2009年7月

祭りの悲しみ

悲しい朝
 朝が明けた。正太にとって、その朝はとびっきり悲しかった。
 心も体も重かった。二段ベッドの布団から出たくなかった。
 外を見たくなかった。学校にも行きたくなかった。
 とても辛くて、悲しくて、こんな朝は二度ときて欲しくなかった。
 「正太、起きなさい。早くしないと学校におくれますよ」 
 いつもなら跳ね起きる絶対神である母親の声にも、正太の反応は鈍かった。
 「どこか具合でも悪いの?昨日お祭りで夜遅くまで遊んでいたからでしょう」
 正太は疲れてもいなかったし、具合も悪くなかった。
 祭りが終わってしまったことが悲しかったのだ。
 昨日まで鳴り渡っていた鉦や太鼓、笛の音は、いくら耳を澄ましても聞こえない。
 まちには、大きな山車が繰り出し、沿道には屋台の店が連なり、道行く人はどこか晴れやかで着ている物も派手、派手しく、正太の家の玄関の軒下はもちろん、商店の軒に祭り提灯がぶら下がり、正太をはじめ子どもたちは顔に化粧までしている、そんなにぎわいが、一夜明けたらすべてまるでシャボン玉のように一瞬にして消え去ってしまった。
 昨日までの楽しい世界は、もうどこかへ行ってしまった。
 悲しかった。ずっと続いて欲しいのに、なんで、たった二日で終わってしまうのか。
 寝間着のまま、食卓につく。
 「正太は、お祭りが終わったので悲しいのでしょう」
 小さい方の姉が、意地悪そうにいう。
 「本当にお祭りが好きだね、正太は」
 兄が笑いながら続ける。
 「お祭りは終わるから楽しいの、もし、このまま毎日がお祭りだったら、いくら正太でも、きっとお祭りのない国に行きたくなるよ」
 そんなことない、ボクはヘンデルとグレーテルのように、お菓子の家にずっと住みたい。漫画の本を積み上げて造ったベッドで365日寝たい。
 だから、お祭りが毎日でも大丈夫だ、と正太は心の中で叫んだ。
 お祭りが終わったことを、口に出して認めることすらその朝の正太にはできなかった。
 
ジャラン棒
 正太の耳は、その音を聞き逃さなかった。
 母親が台所で夕飯づくりをしている。陽はもう落ちているが4月上旬の夕方は、まだ明るさが残っている。たそがれ時になっていくぼんやりとした光の向こうから、その音は、軽快にリズムを刻みながら、次第にはっきりと正太の耳を刺激しはじめた。
 「お母さん、お囃子の練習が始まったね」
 「おや、そうですか。お母さんには聞こえないけれど、正太は耳がいいね」
 母親は、包丁の手を止めることなく、耳を澄ます。
 「ほら、聞こえるでしょう。聞こえるよ」
 「お祭りが始まると、正太はもう何も手に付かなくなるから」
 「今年のお祭りは。いつからはじまるの?」
 「毎年、4月28日と決まっています。去年も同じことをきいたでしょう」
 正太の住むまちのお祭りは、4月28日と29日の二日と昔から決まっていた。
 祭りは江戸時代から連綿と続いており、綿織物が盛んなこの町では、各町名ごとに山車小屋があり、大きな山車がおさめられている。
 春、桜が終わり、山々が淡い新緑に染まると、祭りの準備が始まる。
 町衆が公民館などに集まり、肝いりを中心に祭りの段取りを話し合う。 
 やがて、そこここで笛の音、太鼓の音が響き始め、祭り囃子の稽古に入る。
 正太の家は、まちの北側で中心街から幾分山寄りの高台にあるので、祭り稽古の音が下からわき上がるように登ってくる。
 町衆は、昼間は仕事をしているので稽古はといえば、もっぱら夕方からになる。
 さっきまでは小さかった太鼓の音も、笛の音もいまでははっきりとしかも大きく聞こえてくる。正太は勉強机に座っても、鉛筆で机を叩いたり、口笛で笛の真似したりで、完全に祭り気分になった。
 まだ、祭りまでは2週間以上もあるのに。
 夕食の席で正太は、母親に瞳を輝かせて確かめる。
 「お母さん、今年はボクに来るかもしれないね」
 「何が?」 
 「ジャラン棒だよ」
 ジャラン棒とは、山車を引く太い綱の先導役で、小学生の役割と決まっていた。
 金属の杖のてっぺんに金属の輪がついていて、地面に杖を突くとジャラン、ジャランと賑やかな音を立てる。先導役の小学生は、白粉で化粧し、唇に紅を引き、目の端にも小さく紅をつける。きりっとはちまきをして、結び目は額の上。祭り半纏は、大人と同じこしらえで、普通の子どものぺらぺらしたものではなく、豪華だ。
 正太は、このジャラン棒に選ばれることを楽しみにしていた。
 祭りが近くなると、町ごとに小学生が選ばれる。
 「正太は、この町の生まれではないから、選ばれないと去年もいったでしょう」
 「でも、勝二もみんな選ばれているよ」
 「カッちゃんは、この町で生まれてこの町で育っているでしょう」
 「でも、同い年で、学校も同じだし、学芸会にだっていっしょにでているし」
 こうなると、正太にはもう何を言っても通じないことを知っている母親は、はいはいと頷くだけだった。
 「明日、学校から帰ってきたら、ジャラン棒の話がきていたらうれしいな」
 正太は、祭りが好きだった。
 祭りとなると我を忘れる正太を見て、おじいさんの予言は当たったと、母親がつぶやいたことがある。
 正太の成長の記録を書いた祖父が、正太の生まれた日が大阪の住吉大社の大祭の日であったことから「この子は、お祭り好きなる」と母親に言ったそうだ。そんな話を兄からも聞かされたことがあるが、正太は、祭りの嫌いな人なんかこの世の中にいないと、信じていた。
 
 祭りの当日は朝から忙しい。
 祭りに備え、母親が前夜から祭り衣装を出して、和室の鴨居に掛けておいた。正太は祭り衣装を着せてもらう。
 黒い足袋をはき、ふくらはぎから腿がきゅんと締まるパッチ、上半身には、腹掛けを着け、祭り半纏を着る。腹掛けのお腹部分はポケット状になっており、そこには、小遣いなどを入れる。
 衣装が整ったところで、唇に紅をひき、両目尻にも同じ紅で赤い飾りをつける。坊主頭に、水玉模様の鉢巻きをきりっと結べば、祭りへの準備が整う。腰帯に鈴のついたお守りをぶら下げて、いよいよ出陣となる。
 正太は、衣装を付けたことで、身の引き締まる思いとともに、はやる気持ちを抑えることができない。
 昨夜は、興奮してなかなか寝付かれなかったが、目はらんらんと輝き、鼻息も荒く檻から放されるイノシシのように、いまにも外へ飛び出しそうになっている。
 食事もそこそこに、いってきますの言葉もそこそこに、玄関先の石段を勢いよく駆け下りて、そのまま学校とは逆に右に向かって走る。
 その先には、大願寺の黒塗りの山門があり、山門下の坂を下ったところの広場には町内の山車小屋がある。
 正太が広場についたときには、すでにすっかり飾り付けが終わり、準備万端の山車の前に大人や子どもたちが集まっている。
 正太の知っている顔ばかりだ。
 まだ、山車の出発時間まで時間があるので、大人達は段取りを話し合っている。
 勝二の父親が、肩から大きな拍子木をぶら下げている。
 勝二自身は、その父親の脇に誇らしげに立っている。
 父親は、小学生の正太でも分かるくらい豪華な半纏を着込み、左片肌を脱いでおり、龍の絵を描かいた着物の袖が見えている。
 拍子木の役割は、山車をひく先頭に立って、山車の出立と止まるときに頭上で叩き、合図をおくる。拍子木を叩くことは、町内で一生に一度か二度しかできない、名誉あることだった。
 去年、勝二はジャラン棒を鳴らし、今年は父親が拍子木を鳴らす。
 正太はなんで、自分はこの町で生まれなかったのか、ほんの一瞬父母を恨めしく思った。
 山車小屋から、引き出されている山車は、一番高いところで優に二階建ての屋根と肩を並べている。山車の正面舞台には、柱に大太鼓が白い木綿でしっかりと縛られ、一番手前には小太鼓が3台据えられている。舞台の背には深紅のビロードに金色の龍が刺繍された垂れ幕がかかっている。それらは、のれんのように三つに裂けており、そこから、踊り手が登場する仕掛けになっている。
 正面舞台の後ろ側には、踊りの衣装を着替えたり、お囃子方が休む座敷のような空間がある。周囲は深紅のビロードの垂れ幕ですっかりと包まれて中を覗くことはできない。
 正太は、山車の回りを一周する。
 山車を支えている大きな木製の車輪は、正太の背丈ほどある。軸にはたっぷりと黒い油が塗り込まれ、やがてギシギシといううなり声を上げながら、まちを練り歩く様子が正太の心をいやが上にも高ぶらせた。
 山車の上の方から「正ちゃん上がっておいでよ」という声がした。
 この方に目をむけると、山車の後ろ正面の深紅の幕の裂け目から勝二が覗いている。
 正太は、上がろうかどうか迷った。なぜなら、自分はこの町で生まれた子どもではないので、山車の引き縄を引くことはできても、このような山車に登ったりすることはゆるされないと感じていたからだった。
 ジャラン棒の役割を果たせたら、それもゆるされるとは思っていたが、今年もやっぱり回ってこなかった。きっと、自分はまだこのまちの子どもとして、認めれていないのだと、悲しいけれど、仕方ないことだと正太なりに理解していた。

露天は不思議の国
 「カッチャン、大通りの方に行ってみないか」
 正太は山車に登らない替わりに、勝二を大通りの不思議の国へと誘った。
 垂れ幕の裂け目から顔だけ出していた勝二は、いいよとばかりに身を乗り出し、地面に降りる前の帯の背中に挟んであった草履を地面に投げ、そこに上手く下りて草履を履く。
 その大人っぽい仕種に、正太はやっぱり生まれつきこの町に住んでいる勝二は、お祭り慣れしているなと感心した。
 山車小屋の前から、近道の細い路地を抜けると、まち一番の商店街にでる。
 道幅は、ざっと7メートルほどで、商店街はその昔江戸と甲州へとつなぐ裏街道だった。
 細い路地から商店街にでると、そこは正太にとってまさに「不思議の国」だった。
 商店街の歩道のところに、一夜にして露店が隙間なく連なっている。それも、歩道の左右に。大きなお店の前や、祭りの町内事務所のあるところにはないが、いつも静かな街並みは一変していた。
 この、いつもと異なる風景が、正太にとってはまさに不思議な国、いまでいうワンダーランドだった。
 にぎやかでわくわくするような商店街を、勝二と二人で東をめざす。そちらに行けば、にぎわいがもっと増すことを正太はよく知っている。
 街道の真ん中は、丁目ごとに山車が繰り出すのに備えて掃き清められている。
 間もなく始まる鉦や太鼓、かけ声、露店商の呼び込み、喧噪とざわめきが正太の耳には聞こえている。正太は、その瞬間が大好きだった。
 まだ、人の出が少ない内に露店を見て回るのは、お気に入りの店がどこに出ているか、今年はどこで何を買おうか、もらった小遣いの配分を考える下見をするためだった。
 露店といえば、天井にテント地を斜めに張って竹の竿で支え、路上にも同じテント地か、ござを敷いてその上に商品を並べている。
 中には、台の上にガラスをはめた木製のショウケースを置いている店もあるが、それらの多くは、鯛焼き水飴などの食べ物を扱っている。
 甘いものが好きな正太にとって、鯛焼きや水飴も大いに魅力的だったが、食べ物は買わないという母親との約束があり、それは絶対に守らなければならない。
 それぞれの露店は準備にいとまがない。
 つづらのような大きな箱から商品を出しては並べる。
 正太は、並べられる商品を眺めつつ、ああ、ここは生活用品だ、ああ、ここはおもちゃだ、文房具だと頭に入れていく。
 おもちゃの店では、つぎつぎに正太の目を奪う品物が姿を現していく。
 箱に入っているブリキ製のおもちゃは、箱に描かれた絵で中身が分かる。
 飛行機、機関車、そして戦艦などの船、どれも正太にとってはよだれが出るほど欲しいものだった。
 4歳の時のクリスマスに、父親が買ってくれたブリキの飛行機は、天井からつるしネジを巻いて手を離すと、2つついたプロペラが回転しなが、ぐるぐると大きな円を描きながら回る。ボディには読めない英文字が記されていたが、形も動きもリアルで正太のお気に入りだった。
 目の前のおもちゃは、お祭りの小遣いではまったく足りないことは承知ししている。
 正太にとっては、それを見ているだけでも満足で、頭の中で自分のものになったときを想像するだけでもうれしかった。
 駅前通りと商店街がT字でぶつかるところが、このまちでいちばん賑わうところだ。
 このあたりになると、もう露店は商売を始めている。
 客を呼び集める声がそこかしこから聞こえる。
 だみ声の調子のいい声につい正太の足も止まりがちになった。
 篠鉄砲、針金鉄砲、弓矢に戦車と正太が毎年買ってしまっては、また同じものを買ってきたと、母親や兄弟から言われてしまう。それでも、毎年、買いたくなる気持ちが止められない。
 篠鉄砲は篠でつくった鉄砲で、水鉄砲の原理で、細い篠の中に杉の実などを入れ、後ろからもうひとつの実を押し込むと前から、ポンと実が飛び出すというたわいのない手作りおもちゃだ。正太の兄にも作れるが、露店で売っているものには、細工が施されていたりしてそれはそれでまた、欲しくなる。
 お店には、高いものになると実際の拳銃のようにシリンダーがついていて、連発できるタイプもある。種類が豊富なので、足がどうしても止まってしまうのだ。
 拳銃の形をしたようなものは、もちろん値段が高く、高嶺の花だ。
 針金鉄砲は、針金を曲げて鉄砲の形にしている。弾丸は輪ゴム。こちらも、一発ずつ撃つ単純なつくりから輪ゴムを何発でも発射できる連発型まである。しかも、派手に着色されているなど、年ごとに新タイプもあり、これが正太をして同じものを買っているのではないといういいぶんになっている。
 弓矢は、正太にとってもう卒業というおもちゃだった。
 矢の先に吸盤がついていて、窓ガラスや鏡に印をつけて矢を放つと、吸盤がくっつく。
 安全だが、面白くない。それが正太の本音だった。
 最近では自分で竹と篠をつかって弓矢づくりがはやっており、矢の先に釘などを巻き付けて射ると、杉板を射抜くほどの威力があり、安上がりの上に満足感が大きい。
 ただ、大人に見つかると、怒られた上に取り上げられるので、滅多に遊ぶことはできなかったが。
 戦車というのは、最近の人気おもちゃだった。
 日本の戦争が終わって、まだ10年も経っていなかったが、いつの間にか鉄砲など戦争物のおもちゃが増え始めていた。その中でも人気だったのが戦車だった。
 戦車には大きく分けると二種類あった。
 一つがブリキ製で、アメリカ軍の戦車をモデルにし、ボディは緑色、砲塔の上などに★のマークがついている。ネジを巻くとジージーと音を立てながら前進し、砲のからパチパチと火花を散らすタイプ。もう一つが、木製で、砲塔の上から円盤状の玉を押し込み、それを、バネの力で飛ばすものだった。こちらは、同じ戦車をもっていると戦争ごっこができる。お互いに戦車を持ち寄り、模造紙の上に戦場の絵を描き、本などを陣地に見立てて、撃ち合うのだ。
 砲弾代わりの円盤がお互いに分からなくならないように、あらかじめ印をつけておく。
 雨が続く日などは、友だちを呼んだり、友だちに呼ばれたりしながら、部屋のなかでいろいろ作戦を立てて遊ぶ。そんな時に、ブリキの戦車をアメリカ軍に見立てて、円盤の弾丸を命中させるゲームが正太のお気に入りだった。
 「正太は戦争が好きだね」。と、兄や姉に言われることが多かったが、戦争が好きなんじゃない、戦車が好きなんだと、その都度言い返すことにしていた。
 この戦車のおもちゃにも新型が登場していた。
 正太達の遊びを取り入れて、戦場を描いたシートをセットにしたものや、見た目がもっと本物らしくなっているものなどが増えている。いままで5連発だったものが、8連発、10連発に増えていた。
 ブリキの方といえば、前進しながら砲塔からアメリカ兵が出たり入ったりする高級品も登場していた。正太は、なんでこういうのを去年のお祭りで売ってくれなかったのか恨めしく思う。だから、母親や兄姉がいうように、毎年同じものを買うことになってしまうのだと、正太は自分に言い聞かせる。
 しかし、学年を重ねるごとに、同じようなものを買うことに何となく抵抗を覚えるようになってきた自分に気づいていた。
 祭りの露店で、同じようなものをみると。去年のものがあるじゃないか、とおもちゃ箱にしまったままのおもちゃを思い出すようになったのだ。だが、その一方で、新型に引き寄せられる気持ちを断ち切ることが難しく、いつも、いつも同じことで悩む正太だった。
 勝二が「正チャン、鉛筆のおじさんが、きている」と肩を叩きながら言った。
 正太にとって、鉛筆おじさんは、とてつもない存在だった。

鉛筆おじさん
 去年のお祭りのことを思い出す。
 鉛筆おじさんは、いつも同じような場所に店を開いている。
 おじさんが扱うのは、鉛筆だ。
 それもおじさんの座っている後ろに、束になった鉛筆が山積みになっている。
 正太が一生かかっても使い切れないほどのすごい数の鉛筆を売るのだ。
 小学生に限らず鉛筆は、貴重品だった。
 毎朝、筆箱の中に芯先をしっかりと尖らした鉛筆と消しゴム、二つに折れる肥後の守が揃っているのを確かめるのが、学校へ行く前の日課だった。
 鉛筆は長さが不揃いで、短くなったものから使うのだが、書きにくくなるとどうしても長い新品のほうに手がでる。
 兄や姉たちは、ちびた鉛筆に金属製の補助具を足してさらに、使っている。
 手が小さい正太達には、鉛筆がちびても補助具はまだ早いと言うことで、買ってはもらえない。
 ランドセルのなかの筆箱が、走るとカタカタと音を立てる。その音が、小さい鉛筆や大きい鉛筆たちの話し声のように聞こえる。
 鉛筆は、大切にしなければならない、最後まで使い切らないともったいない、と常日頃言われ続けている正太にとって、目の前の鉛筆の山には度肝を抜かれた。
 鉛筆おじさんは、歳のころは40かそれとも50か。
 黒いズボンに真っ白なワイシャツで、袖をまくった手と襟から出ている顔から首筋は、真っ黒に日焼けしている。ワイシャツの白が一際目立つ。ネクタイはしておらず、上から二番目のボタンまで開いている。
 おじさんは、段ボールを手にして、一本の鉛筆を無造作に突き刺す。
 すると約束したように、見物人からオー、ホォーという驚きの声が上がる。
 「鉛筆というものは、芯が命。トンボもコーリンも、みんなが使っている鉛筆は、芯が弱い。だから、すぐに短くなるしちょっと強く書くと折れる。ところが、ご覧通りこの鉛筆の芯は強い。こうして厚いボール紙を突き破っても、さぁどうだ、この通り、すらすらと書くことができる」
 と、ボール紙から抜き取った鉛筆で白い紙に丸やら直線をガシガシと書き始めた。
 また、オー、ホォーという声があがる。
 すごい、正太は正直に思った。これはとてつもない鉛筆だ。
 この鉛筆なら減らないし折れないから、いつまでも使える。ちびる心配もない。だから補助具だっていらない。
 鉛筆おじさんの口上は、まだまだ続く。
 「ボク、試しにやってご覧」
 一番前にしゃがみ込んで熱心に見ていた正太に、おじさんは鉛筆を一本差し出した。
 正太は、びっくりしたけれど、手に取る。
 「鉛筆で思い切り、この段ボールを突き刺して」
 おじさんが上下を手で抑えているボール紙に向かって、鉛筆を突き刺す。しかし、鉛筆は、刺さらない。
 「なんだ、坊やは力がないな。さぁもう一回やってみよう」
 正太は、回りの見物人の期待を一身に背負っているような気持ちで、さっきより数倍の力で、突き刺した。
 刺さった。正太は、責任が果たせたようでほっとする。
 「よくできました。じゃあ、鉛筆を抜いて、ここに何でもいいから書いてみよう」
 正太は、鉛筆を抜き取ると、おじさんがさっきしたように、白い紙の上にグリグリと鉛筆をこすりつけるようにして円を描き、そして、力を込めて前後に左右に鉛筆を走らせてみた。
 「どうだい、ボク、よく書けるだろう。いつも使っている鉛筆と比べてどっちがよく書けるかな」
 持っている鉛筆を振り上げて、正太は思わず、「こっち」
 口をついて出た自分の声の大きさに驚いた。
 「ほら、鉛筆を一番使っている小学生が、言うのだから間違いない」
 どっと、取り囲んでいた見物人から笑いが起きた。
 結局、正太は鉛筆をまとめて10本、50円で買った。
 その年の祭りは、夕方から雨になり気温が急速に下がり始めた。
 正太は、明日があるさということで帰宅したのだが、その夜のことだった。
 買ってきたばかりの鉛筆を見せたとき、小さいほうの姉から「正太はおばかさんだね」とからかわれた。
 「その鉛筆は、芯がちゃんと入っていないから、すぐにつかえなくなるよ」というのだ。
 正太は、鉛筆を売っていたおじさんの実演をやってみせるために、ボール紙を持ってきてとがらせた鉛筆をぶすりと刺す。鉛筆は、見事にボール紙を突き破った。
 「わかった、わかった、鉛筆の芯が強いのはわかったけれど、その芯はどこまであるか知っている?」
 正太は、何を言われているかさっぱり理解できない。
 「あのおじさんの鉛筆の芯は、途中で無くなっているから、半分も使わないうちに、書けなくなるからね」
 「ウソだ!ほら、こっちにだって芯がある」
 と、削った方と逆を見せる。確かに黒い芯がみえる。
 「だから、どっちからだって書けるようにしてあるの。そんなのあたりまえでしょ」
 「だって、ちゃんと書けるからそれでいいじゃん」口がとんがる。
 「正太がその鉛筆を気に入ったのなら、そのまま使っていれば」
 小馬鹿にしたような口調で、姉は正太を笑った。
 「ボクが買った鉛筆だから、お姉ちゃんに文句なんかいわれたくない」
 こうなると正太も頑張る。
 見かねた母親が、「お姉ちゃん、正太が自分のお小遣いで買ったのだからいいじゃない」と助け船をいれてくれたので、その場はおさまった。
 正太は、姉の言葉が悔しくて祭りが終わってから、買ってきた10本の鉛筆すべてを削って筆箱に入れた。消しゴムと肥後の守を入れるとぎっしり満員で、ランドセルにしまっても筆箱がカタカタを鳴らなくなった。
 果たして、一本の鉛筆を使い続けていたら、三日目になって、異変が起きた。
 文字を書いていると、鉛筆の芯が中に入ってしまうようになった。
 仕方なく、芯が出てくるまで鉛筆を削るが、字を書くと同じように芯が中に入っていく。
 何度か繰り返している内に、正太は、芯を指先でつまんで引っ張ってみた。
 すると芯は簡単に鉛筆から抜けてしまった。
 姉の云った通りだった。芯は鉛筆の前後から途中までしかなく、真ん中は煙管のように空洞になっていたのだ。
 それでも正太は、我慢して鉛筆を使い使い続けていた。
 「最近、正太の鉛筆減るのが早いね」と、姉が意地悪くいう。
 「ちがうよ、勉強しているから鉛筆もへるんだよ。お姉ちゃんもボクと同じくらい勉強すれば、もっと鉛筆も減ると思うよ」精一杯の憎まれ口をきいても、もはや正太はあの鉛筆が、ウソの鉛筆であることを理解していた。
 だが、鉛筆おじさんが、段ボールを突き破って文字を書いたことは、真実だし、自分が同じようにして、いままでのどんな鉛筆よりも書きやすく感じたのも真実だった。
 正太は、それで満足だった。
 今年も同じ所に店を出している鉛筆おじさんは、去年と同じように段ボールに向かって鉛筆を刺していた。
 正太はそれを、少し離れたところから見ていた。
 おじさんは、店の前にしゃがみ込んで熱心に見ている小学生に、去年、正太にしたのと同じように、鉛筆を持たせて段ボールに突き刺すよう促している。
 正太は、そこに自分の姿を見ていた。
 そして、小学生が鉛筆を買うと、その場を離れた。

楽しみの後に
 町内の山車は、子どもたちと大人が、二本の太い綱にとりついて、引っ張っていく。
 他の町内の山車とすれ違うときには、お囃子も踊りも激しさを増して合戦のようになる。
 これを繰り返して、約1キロ半ほどの商店街を、往復する。
 何度もお囃子合戦を繰り返す。そのたびに綱を引く子どもたちは、綱を地面におろして、合戦を見守る。止まったところが、町内の寄り合い場の近くだと、おじさんやおばさんがジュースやらお菓子を振る舞ってくれる。
 時には「正チャン、帰りに寄りな」などと、正太の顔を見知っている同級生の親から声がかかる。
 こういうお店では、お昼ごはんに赤飯などを用意してあり、お祭りで一日遊んでいても、お腹が空いたり、喉が渇いたりすることはない。
 だからもらったお小遣いも、食べ物に費やすことがほとんどない。
 買い食いは駄目だけれど、よその内でごちそうになるのは、お祭りだから許されると自分に言い聞かせている正太だった。
 普段でも子どもにやさしい大人達が、祭りの間はもっとやさしく感じられ、正太はお囃子の音のように居心地の良さを満喫していた。
 だが、祭りはたった二日間しかない。365日の内のたった二日間しか。
 正太はそれが不満だったし、とても悲しかった。
 二日目の夕方、帳が下りることになると、そこかしこでは納めのお囃子が聞こえてくる。
 どことなく、弱々しく、しっとりして、祭りが始まる頃の華々しさはない。
 ちょっと未練がましいその笛や鉦の音が、夜の闇が深まるとともに、消えるように聞こえなくなる。
 正太は、どの笛がおしまいの笛なのか、まだどこかで太鼓の音がしていないか、耳をそばだてるけれど、やがてしんと静まりかえってすっかり祭りは終わってしまう。
 正太にとっては、切なくそして悲しい夜だった。

 翌朝は、もっと悲しくなる。
 学校に行こうと家の玄関を出ると、軒下にぶら下がっていた祭り提灯はない。
 外の出ると、電信柱に巡らせていた注連縄もない。
 もちろん家々の玄関も同じように、祭り飾りはまったく姿を消している。
 学校が終わって、商店街に出てみると、露店はすべて姿を消している。それも何の痕跡も残さずに、きれいに掃き清められたように、ごみ一つ落ちていない。
 どこを探しても、昨日まで祭りをしていた証拠がきれいに消されている。
 あたかも祭りがあったことが嘘だったように。
 冬の雪だって溶けて無くなるまでに何日もかかる。小学校の校庭の雪は消えても、裏庭には白く残っている。いきなり消えることはない。
 それなのに、あんなに楽しかった祭りは、どうして終わったら何も残しておかないか、正太は時間をいきなり断ち切られてしまったような、今日という日がとても悲しかった。
 祭りが終わるときまって落ち込んでしまう正太に、父親がかける「正太、祭りは終わりがあるから楽しいんだぞ」と兄と同じような言葉も、うつろにしか響かない。
 楽しいことに終わりがあること、それが正太にはまったく理解できなかった。
 それでも夏向かって、山々の緑が濃く色づくにつれて、正太の祭り病は、いつのまにかおさまっていく。
 そして正太の心の中では、もう来年の祭りへの期待が膨らんでいた。