2011年6月

紙芝居のコーちゃん

5円玉をにぎって


 学校が終わって、午後の2時頃になると決まって町内にドドント・ドンドンという大きな太鼓の音が響く。

 太鼓の主は紙芝居のコーちゃんである。

 コーちゃんの本名を知っている子どもはいない。誰言うこともなく、紙芝居のコーちゃんとよんでいた。

 背が高く、がっしりとした肩で、赤ら顔で額が広い。

 大きくてあごの張った四角い顔に細い目、どっしりとした鼻、そして大きな口からその口にふさわしい白い歯がのぞく。

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 声は、紙芝居の出し物で、いろいろと変わるけれど、普段の声は体の大きさに比べると小さくそして優しかった。

 紙芝居のコーちゃんは、戦争にいって外地から引き上げてきたら、奥さんも子どももみんな空襲でなくなっていて、天涯孤独だという噂が流れていたが、それを確かめたものはいないし、子どもたちは単純に大人たちの噂を信じていた。

 そして、戦争帰りということで、大人はどこかいたわりの目で、子どもはどこか好奇心の目でコーちゃんをみていたが、誰も戦争のことを聞こうとはしなかった。

 正太の小遣いは、紙芝居をみるときには5円と決まっていた。

 太鼓の音が聞こえると、母親にせがんでもらった5円玉をにぎって、大願寺前の坂道を一気にかけおりる。

 コーちゃんが紙芝居お自転車をとめるのは、坂下の踏切をわたったところにある山車小屋のまえの広場と決まっていた。 

 紙芝居をみるときの料金に、きまりはない。

 水飴を買うなど、なにかしらのお菓子を買えばそれが見物料で、そのほとんどは2円、3円の世界だった。

 コーちゃんは、お金を払っている子どもは、紙芝居の台の前の方に立たせたが、タダ見だからといって決して邪険にしたりすることはなく、集まった子どもたちが、遠くからみている分には文句をいわない。 

 それだけでなく、紙芝居のなかに、時々お楽しみで、クイズが仕掛けられていて、そのクイズに正解すると、たとえタダ見の子どもでも、気前よく賞品のお菓子などをくれるのだ。

 お金を払っている子どもも、コーちゃんが決めたルールに文句を付けることはなかった。

 コーちゃんは、だから子どもたちに人気があった。 

 正太も、大きくて力持ちなのに、誰にでも優しいコーちゃんが好きだった。


魔法の引き出し


 コーちゃんは黒くて頑丈な自転車の荷台に、紙芝居の道具箱を乗せて運んでくる。

 大きな太鼓は、箱の上にでーんと置かれていた。

 子どもたちが集まると、コーちゃんは、紙芝居の舞台づくりの用意を始める。

 正太をはじめ子どもたちが、映画の始まりと同じようにわくわくする瞬間だ。

 箱の上に紙芝居の舞台が立ち上がり、そして、舞台の下には正太が名付けた魔法の引き出しがある。小引き出しが、いくつもあって、それぞれに小さな丸いとっ手がついている。

 一番下のもっとも大きな引き出しには、紙芝居の主役である水飴がが入った平たい缶がおさまっている。コーちゃんは、注文を受けると、短く切った割り箸二本に、水飴を豪快に絡めて、そこにうすくわれやすいせんべいを張り付けてくれる。

 子どもたちは、せんべいを巻き込むように、くねくねと二本の割り箸でこねまわす。

 正太は、水飴よりもす昆布とか、あたりのあるくじを引くのが好きだった。

 こちらは、別の小さな引き出ししまってある。

 それ以外にも、ハッカの味がする紙や貝殻に赤いジャムを塗ったお菓子もあった。

 でも正太はどれもたべたことがなかった。

 理由は、おなかをこわすといけないからと、母親から食べることを厳しく禁じられていたからだ。

 食べてはだめといわれればいわれるほど、食べたくなるのが正太だったが、舌が真っ赤になるようなお菓子類は、母親にすぐばれてしまい、ばれたら最後、紙芝居を見ることを許してもらえなくなるのではないかと、じっと我慢していたのだ。


黄金バット


 コーちゃんの紙芝居で、いちばん人気は、なんといっても黄金バットだった。

 映画にもなっていたが、コーちゃんが太鼓をならしながら、語る迫力は、映画などよりも感情がこもっていて、正太たちは、大興奮した。

 紙芝居はいつもいいところで「それでは次回にお楽しみ」となってしまう。

 紙芝居が終わっても、結末を知りたい子どもたちは、コーちゃんからなかなか離れない。

 中には、よその町の友達から、つづきを聞き出してこようというこどももいるほどで、それほどコーちゃんの語りは、次は?を期待させるものだった。

 紙芝居が終わると、正太たちは、山車小屋前の広場で、さっそく黄金バットごこっこを始める。ストーリーは、いま見たばかりの紙芝居を、そのまんまなぞるだけだ。

 黄金バットに必要な小道具と言えばのは、マントと細い杖。

 こんなのは、風呂敷一枚あれば足りる。杖なんて、どこにでも落ちている棒きれで間に合う。

 例によってじゃんけんで役をきめると、せりふも語りも、コーちゃんの口まねになる。

 そして、いつもきまって、次回はどうなるのか、そこで意見が分かれる。

 黄金バットが悪を滅ぼすのは分かっているが、どう滅ぼすのか、そしてとらわれている少女の運命は、子どもの頭では、結局たいした答えをだせない。

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 だから、次の日の紙芝居を見る以外にない。

 いいところなのに、用事を言いつけられたり、塾へいかなければならなくて、紙芝居が見られないときには、続きを見た友だちに頭を下げて、教えてもらうなければならない。


テレビとともに

 正太が4年生になったその年、テレビ放送が始まった。

 四角い小さな箱のテレビ画面に、動く映像が映し出され、それまではラジオで聞くしかなかった大相撲の取り組みを見ることができた。いま、じっさいにやっている大相撲をこんなまちの中でみることができることは、正太にとって生まれ以来最大の驚きだった。

 やがて、力道山という力士出身のプロレスラーが登場するや、街頭の置かれたテレビ受像機の前には、何百人もの人が群れ集まった。

 力道山が戦う相手は、日本が戦争で負けたアメリカの白人プロレスラーだ。空手チョップという、得意技で大きなアメリカ人プロレスラーを成敗する姿は、黄金バットの数十倍、数百倍のおもしろさだった。

 あれほど興奮した紙芝居も、相撲やプロレスを映し出すテレビの出現で、すっかり影がうすくなってしまった。それになんといっても、街頭テレビはタダで見ることができる。

遊びもプロレスごっこに移り、空手チョップだ、ルーテーズの岩石落としだと、プロレス知識のあるものが、大将になり、ユセフ・トルコなどというレフリーまでしっかりと役割をきめる。

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 力道山はいつもピンチに陥る、そして最後に空手チョップでしとめるという、おきまりのストーリーだが、同じことを何回繰り返しても飽きることはなかった。

 コーちゃんは、テレビがはやっても相変わらず、太鼓をたたきながら、子どもたちに紙芝居を見せていた。

 正太はといえば、小学校4年生になってしばらくして、月のお小遣いをまとめてもらうことにして、その金額が200円と決められた。もちろん紙芝居の5円も自分で払わなければならない。

 月に20日も見れば、100円の出費になる。

 母親にせがんでもらっていたときなはんとも思わなかったけれど、自分で払うということになって、初めて5円の出費がもったいないということがわかった。

 次第に、紙芝居をみる回数は減っていき、いつしか太鼓がなっても、机から離れることがなくなった。

 コーちゃんは、そんな正太と町内であっても、「元気かい」と優しい目で声をかけるけれど、紙芝居に誘うことはしなかった。

 正太が、6年生になったとき、コーちゃんの紙芝居は、誰に告げることもなく終わりになった。