2010年11月

怖い夢


医者いらず

 正太はよく夢を見る。

 たいがいの夢は目が覚めるとほとんど覚えていないけれど、怖い夢だけは不思議なことに、目が覚めて忘れることはなかった。

 怖い夢。それは決まって正太が熱を出したときに見る夢だった。

 正太が熱を出すことは滅多になかった。

 一年中短いズボンをはいていて、母親に言われなければいつも素足でズック靴をはき、真冬でもそれは変わりない。およそ病気にかかったことがなく、「正ちゃんは医者いらずだから、薬屋さん泣かせだね」と父親が製薬会社に勤めていることを知っている近所のおばさんからよく言われた。

 だから、正太が熱でも出そうものなら、普段が普段だからかえって、まわりが慌てた。

 「鬼のかくらんだ」などと、兄や姉は決まってそういったものだ。

 その鬼は、寝ていなさいと母親にいわれても、布団の中で半日もじっとしていられず、何回も体温計をわきの下に挟んで計り、ちょっとでも体温が下がっていると、すぐにでも外に出たがるので、母親は目を離せない。

 一度など、外で遊んでいてふらふらになり、さすがに途中で家に帰ったものの、母親がおでこに手をおいたら、火のように熱い。すわ大変と、大願寺下の広場の先にあるかかりつけの医院にいって、体温を計ったら40度近くあった。「正太、このままじゃ肺炎になってしなうぞ」と医者からきつく言われた。

 「ハイエン?」、初めて聞く言葉は、正太にとって熱以上に興味があった。

 「ハイエンってなんですか」

 正太の質問が始まった。

 先生も子どもいえども患者からの質問だから、きちんと答えないといけない、と説明を始めた。

 「正太くん、肺はどんな役割があるか知っている?」

 「はい、呼吸するためにあります」

 「うん、そうだね。その肺が炎症をおこしたら」

 「先生、エンショウってなんですか」

 「そうか、炎症という言葉は難しいか。そうだね、 炎症というのは、肺が傷ついてしまうことだ」

 「肺が傷つくのですか」

 「そう。その傷がひどくなると息をすることができなくってしまいます」

 「じゃあ、死んじゃうじゃない」

 「だから、傷をなおすために薬を飲んで静かに寝ていなければなりません」

 「キズしたら、赤チンを塗るでしょう。肺の中にも赤チン塗るのですか?」

 先生は、ちょっと考えた、正太の質問はどこまで続くのか?診察室の外ではまだ、ほかの患者も待っている。

 「赤チンを塗るかわりに、薬を飲みます」

 「ふーん、そうか。その薬が溶けて肺のキズをなおしてくれるんだね」

 突然、正太は友達に話すような口調になった。

 「そう、だから薬を飲んで安静にしていること」

 「先生、アンセイってなんですか」

 「静かに寝ていること」

 先生の口調がちょっと強くなる。 

 「ずっとですか?」

 「熱が下がるまでは、静かにしていること。こじらせると、それこそ大変なことになるから、お大事に」

 「先生こじらせるってなんですか」

 「先生の言うことを聞かないで、外で遊んだりしていまよりももっと症状、症状というのは病気の具合、具合というのは、調子が、えーと」

 「そうか、病気がもっと悪くなることですか?」

 「その通り、今日はご飯をしっかり食べて、栄養をつけて、薬を飲んで暖かくしてしっかり寝ること。わかりましたか」

 薬をもらって、正太はふらふらしながら、家まで帰った。

 「先生は、ハイエンになるかもしれないから、栄養をつけて薬を飲んで、暖かくして寝ていないさいって」

 母親からどうだったと聞かれて、正太はそう答える。

 「肺炎になったら大変、はやく寝間着に着替えてお布団に入りなさい。おとなしくしていなければいけませんよ」

 「おかあさん。ご飯を食べて、薬を飲んでからアンセイにしていなさいって言われたから、まだお布団には入れないよ」

 「わかっています。でも、正太はじっとしていられないから、とにかくお布団に入っていなさい。ご飯ができたら起こしてあげるから」

 正太は、父母が寝る和室に敷かれた布団に潜り込んだ。

 その前に熱を計ったが、変わらず40度近くある。


怖い夢

 正太は熱があって、眠くなってもそのまま眠ってしまうのがいやだった。また、きっとあの怖い夢を見る、そう思うからだった。

 この前、その怖い夢を見たのはいつのことだったか、もうずっと前のことのようで覚えていない。

 正太のが通う小学校の校舎は、三段に分かれていることは前にも書いた。

 一段目には大正時代の洋館風校舎、真ん中の二段目の旧校舎に職員室や講堂があり、新校舎は30メートルほど下がった東側にある。新校舎の一階は一年生が入り、二階は6年生が入る。運動会などを行う校庭は、この新校舎の西側に広がっている。

 旧校舎にも狭い校庭があって、その校庭と下の校庭は、Y字型の幅広いゆるやかな石段でつながっている。

 Y字の股のところからは垂直に上に延びており、その上に立って下を見ると、ずいぶんと落差があり、先生からも、そのあたりで遊ばないようにと注意されていた。

 正太が熱を出したときに決まってみる夢、それはこの石段のいちばん上から、まるでムササビのように両手を広げて、下の校庭に向かって飛び出す夢だった。

 時には、なぜか手にしている番傘を広げて飛ぶこともあった。

 さいしょは何にも怖くなく、むしろ気持ちよく滑空する。ぐんぐんと下の校庭がせまってくる。するとどういうわけか、うまくコントロールできなくなって、急降下し始める。番傘の時には、ふわりと空中に浮かび、ゆらゆらと下りていくのだが、とつぜん傘がお猪口になって、やはり一気に落ちていくのだ。

 わっ、地面にぶつかるというその瞬間に目が覚める。

 目が覚める瞬間に、いつも大きな声をあげるので、そばにいる姉や兄が「どうしたの?」と声をかけて揺り動かしておこしてくれた。

 母親は手慣れていて、うなされて目が覚めると、乾いたタオルと着替え用の寝間着をもってくる。

 正太は、いま見た夢の怖さか逃れようと、必死になって母親にしがみついた。

 「ほら、汗びっしょり。これで熱が下がったでしょ」

 母親は、汗で冷たくなった寝間着を脱がせ、乾いたタオルで汗を拭うと、新しい寝間着の着替えさせてくれる。

 正太は、ああ、と小さくため息をつき、さっぱりとして気分になって、それからは二度と怖い夢を見ることなく朝までぐっすりと眠ることができた。

 

 怖い夢をみるのが怖いからと、いくらがんばって目を開けていようと思っても、瞼は自然に下りてくる。

 その夜正太は、同じように石段のてっぺんから滑空する夢をみた。

 そして翌朝は、もう学校へ元気に飛び出していった。

 お昼過ぎ、大願寺下の広場の医者が、さすがの正太も今日ばかりはおとなしく布団に寝ているだろうと往診にきたが、お茶を一杯だけ飲んで帰っていった。

昨日につづく今日

5年生の春

 小学校の5年生になって、正太にとって上の学年はいよいよ最上級生の6年生だけになった。

 クラス替えもあり、担任の先生は二枚目の若い男先生から、オールバックのお父さん先生になった。

 その先生は正太の兄が小学校5年生、6年生のときにも教わった。理由は、わからなかったけれど、その先生が担任になったことを正太の母親はたいそう喜んでいた。

 そして、学校生活は大きく変わり始めた。

 4年生のときは、上級生とはいえまだ上級生見習いという感じで、万事、お兄さん、お姉さんである5年生、6年生のいうことに従わなければならなかったが、いまは、4年生の相談に乗ったり、あれこれと指図する立場になった。学校行事の話し合いなども、6年生といっしょに考えたり、役割分担して責任のある仕事にもつかなければならなくなった。

 5年生になって、正太はクラス委員長に選ばれた。クラス全員が参加して選挙で選ぶ。正太は立候補して、みんなの投票で選ばれた。委員長になると、クラスを代表して、ほかのクラスやほかの学年の委員長と学校のことを話し合ったり、運動会や学芸会など学校行事で役割を分担を決めたりとそれなりに忙しくなる。

 気ままに学校に行っていたときと比べて、結構、面倒なことだなとは思ったけれど、近所のおばさんたちがお兄さん、お姉さんの言うことを聞きなさいと自分の子どもに言い聞かせているのを耳にすると、責任ある立場になった緊張感は、それなりに気持ちいいことだった。

 

二十四の瞳

 たしかに忙しくなったけれど、いいこともある。その一つが学校の授業で映画を見に行く機会が増えたことだった。やっぱり上級生になるといろいろといいことがあるなと、映画大好き少年である正太は単純にうれしかった。

 「今日は、みんなが楽しみにしていた映画教室の日です。その映画は」といいながら、お父さん先生が一段高い教壇に立って、黒板に白いチョークで力強く、「二十四の瞳」と縦に書いた。

  ワーと、教室から声があがる。隣の教室からもやっぱり同じように、歓声が聞こえてくる。

 自分が映画を観に行くときのように、両親に必死にお願いしたり、職員室の外にぶら下げられている「見てよい」「見てはだめ」の看板を確かめに行く必要もなく、勉強時間に映画を見られるなんて、これほどの喜びはない。

  できることなら、チャンバラ映画のほうがいいのだけれど、

 映画鑑賞は映画館が教室になる。  

 つまり映画とはいえ勉強するために観るのだから、チャンバラ映画というわかにはいかないのは、正太にだって分かっている。

 朝9時から始まると言うことで、正太たちは教室から列を組んで映画館に向かう。校庭の西側の門を出て、線路をまたぐ跨線橋をわたった左にその映画館ある。

 この映画館では、東映や大映のような派手なチャンバラ映画をかけることが少なかったので、正太はあまり入ったことがなかった。映画教室というとなぜか決まってここだった。

 そして映画教室で観る映画は、始まりの画面に決まって「文部省選定」などという文字が映し出される。

 昔は芝居小屋だったのではと思えるような外観で、館内も、まちの中にあと二軒ある映画館と比べると、雰囲気がだいぶちがう。

  一階はふつうの造りだったけれど、二階はスクリーンに向かって、観客席がコの字型に左右にせり出して延びている。その席から映画を観ると目の前に画面が迫ってきて観にくいったらなかった。

 「昔は芝居もやっていたから、ああいう席があったんだろう」と、正太たちは、根拠はなかったが、勝手に想像していた。

  5年生全員300人が席に着くとほぼ満員になる。

 誰もが映画への期待で興奮しているので、ざわざわと声にならない声が館内全体にあふれている。


 スクリーン前の舞台に校長先生があがる。

 「みんな静かにしなさい」

 校長先生の低いけれど野太い声が響くと、館内はシーンと嘘のように静まる。

 「今日は、本で読んだ人もおると思うが、壷井栄という人が書いた、二十四の瞳という映画を鑑賞します。ちょっと長い映画だけれど、とても大切なことを教えてくれる物語だから、しっかりと観て、そして後で感想文を書いてもらいます」

 感想文の書いてもらいますのところで、一斉に「エーっ」といくつものため息ともつかない歓声があがった。

 「エーっ、とは何事か。映画鑑賞というのは遊びではありません。学校で勉強するのと同じです。感想文を書くためにも最後まで静かに、しっかりと映画を観てください。途中でお便所に行きたくなると困るから、始まる前にちゃんと行っておくように。私からの話はこれで終わります」

 クラスごとに席に着いているので、担任の先生が「お便所に行く人はいますか?我慢しないでいいなさい」と声をかける。

 何人かの生徒が手をあげて、もそもそと立ち上がり、通路にでてお便所に向かう。

 正太は、そんなこともあろうかと学校ですませてきた。


おなご先生

 開始ブザーの低い音が鳴り、舞台の奥に下がっていたビロードの幕が左右に開き、同時に館内の電灯が消える。

 生徒は、期待に胸をふくらませて、誰一人声を立てるものはいない。

 やがて、スクリーンに一条の光が射し、暗かった館内に、スクリーンの映像が浮かび上がる。

 いつもながら、正太がいちばん好きな瞬間だった。

 白黒の画面に、二十四の瞳という文字がくっきりと読める。

 映画は、瀬戸内海の小豆島の小学校に赴任したおなご先生とよばれる女先生と12人の小学生の物語だ。校長先生の話にも出たように、小学生は学校図書館で、奪い合うようにして、壷井栄の原作を読んでいた。 だから、5年生で物語を知らない生徒は、ほとんどいないはずだった。

 時代は、日本があの悲惨な戦争に突入したころで、中国大陸からやがて太平洋に戦火が拡大し、小学生だった12人の子どもたちも、成長して戦争にまきこまれていく。

男子生徒は、戦地にかり出され、白い箱となって帰ってくる。


 戦争が終わり、平和な時代になりおなご先生と生徒たちが、同窓会を開くのだが、12人の生徒は、7人になっていた。


 昨日につづく今日であった。

 映画が始まってちょうど半分ほどたった。出征兵士を送る長い長い列が小豆島の細い道を進む。いよいよ戦争が激しさを増し、この小さな島でも男たちが戦場にかり出されていくのだ。

 その長い長い人の列を、鳥の目でみたような高い位置からゆっくりと撮している。遠くに瀬戸内海が太陽の光に白く輝いている。「海の色も 山の姿も 昨日につづく今日であった」。という文字が、その画面に少しずつ映し出されていく。

 正太は、「昨日につづく今日」という言葉の意味を必死になって考えた。こうして島の人たちは戦場に行かなければならない。

 でも静かな小豆島は、昨日につづく今日のように、なんにも変わることがない。

 おなご先生を、浜辺につくった落とし穴に落として、足にけがをさせた児童たちが、見舞いに行くために島の反対側まで歩いていくシーン。

 食べるものがなくて、柿をとろうとして誤って木から落ちたおなご先生の子どもが亡くなってしまうシーン。

 戦争なんかなければいい、と怒るおなご先生が「アカ」だと世間から冷たく見られるシーン。

 平和になってひらかれた同窓会で、戦争で目が見えなくなった教え子が、小学生時代の写真を手でなぞりながら、ひとりひとりの同級生に名前を読み上げるシーン。

 どのシーンも正太は、涙なしではみられなかったが、いちばん印象に残ったのは、「昨日につづく今日」という言葉だった。

 学校に戻ってからの感想文に、正太は迷わず「昨日につづく今日」という題をつけた。

 戦争があり、多くの人が亡くなり、家族もバラバラになり、おなご先生と12人の小学生の人生も大きく変わったけれど、小豆島の海も山は、いままでもそしてこれからもずっと変わる事がない。

 昨日から今日へそして明日へとずっとずっと続いていく。

 正太は、そんな思いを込めて感想文を書き綴った。