2009年11月

スパルタ先生


※ がま口先生の続き

引っ越し
 三学期の始業式が終わって、教室に戻った正太達が最初にしたことは、自分たちの机を二人で一台ずつ運び出すことだった。
 机の中に入っている持ち物をいちど外に出して空にする。それから、二入一組になって机を運んでいく。
 正太はいつもとなりに座っている女子とは別の女子と、いっしょに声をあわせながら机を持ち上げ一番古い校舎にある別の教室へといった。
 何でこんな事になったのか、校長先生と男先生からの話で教室のみんなは理解していたが、納得できているものは一人もいなかった。

 始業式のあと、教室での校長先生と男先生の話はこうだった。
 「とても皆さんにはつらいことをお話ししなければなりません。女先生は二学期でこの小学校をおやめになりました。男先生は女先生の病気が治って教室に戻るまで4組を臨時に担当していただくことになっていました。ところが、一年生担当の先生がお一人、赤ちゃんが生まれるのでしばらくお休みすることになり、そちらのクラスを担当していただくことになりました。そのために、二学期までみんなが仲良くしてきた3年4組は、三学期だけ10人ずつ別のクラスに移ってお勉強してもらうことになりました」
 校長先生の口から出てきた言葉に、息をひそめたように教室はしんとしている。
 正太は自分も他の友だちも息をしていないのではないかとすら思えた。
 校長先生はさらに続けた。
 「3年生は全部で6クラスあります。3年4組がなくなって5クラスになります。そして4年生になったら、また4年4組として4組のみんなは元通りいっしょに仲良く勉強できるようになります」
 教室はもっと静かになった。
 50人の生徒達は、それぞれが校長先生の言葉の意味を必死になって考えていた。
 正太は、背筋を伸ばしたまま固まっていた。
 3年4組がなくなるってことじゃないか。
 二学期までいっしょだった仲間は、バラバラになってしまうってことじゃないか。
 がま口先生がいいとか、男先生がいいとかじゃなくて、二学期までいっしょだったみんながバラバラになるってどういうこと。
 そんなの納得できない。
 正太は突然椅子を後ろに押すようにして立ち上がった。
 「なんで、僕たちのクラスがバラバラにならなければならないですか。男先生がなんでこのまま担任ではいけないのですか。一年生のほうのクラスを減らせばいいと思います」
 この正太の一言で、静まりかえっていた教室は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
 ハイ、ハイ、ハイと次々に手があがる。
 「正太君の言うとおりだと思います」
 「私たちがなんでいっしょに勉強できないのですか」
 「校長先生が一年生を教えればいいと思います」
 「クラスがなくなるのは反対です」
 「別のクラスの友だちと仲良くできなかったらどうしたらいいのですか」
 「一年生を教える臨時の先生はいないのですか」
 「女先生は、私たちのこと忘れてしまったのですか」
 「校長先生はみんな仲良くっていつもいっているのになんで、仲良くしていているみんなをバラバラにするのですか」
 涙ながらに訴える生徒もいた。
 すべての教室の黒板の上には「みんな仲良く」という文章が額に入れられて飾られている。この言葉に、校長先生も男先生ももう返す言葉がなかった。
 あまりの騒ぎに隣の教室からのぞきにくる生徒もいた。
 「みんなの気持ちはよくわかります。先生だって短い間だったけれど、みんなが仲良く勉強していることはよくわかっています。でも、君たちはお兄さんお姉さんになってお互いに助け合って行けるようになったけれど、小学校一年のクラスをバラバラにしたら、君たち以上に不安になるのではないだろうか。君たちお兄さん、お姉さんたちが3学期を我慢してくれれば、一年生もとても助かると先生は思う」
 男先生の、お兄さん、お姉さんという言葉に正太達はぐっとくるものがあった。
 三学期が終わると4年生になり、つまり上級生となる。
 一、二年年生の低学年の時に、まぶしく見えた四年生、それがお兄さん、お姉さんだった。あと一学期を過ごせばあこがれの四年生になる。お兄さんお姉さんは正太達にとって殺し文句だった。
 男先生の一言で、教室の騒ぎは真っ赤な炭をバケツの水に放り込んだようにシュンと静かになってしまった。
 正太はハイと言って手を挙げた。
 「正太君」。男先生が正太を指さす。
 「4年4組の先生は誰になるのですか」
 「それはボクが担当します。だから四年生になるまで淋しいだろうけれど、我慢して欲しいのです。きっとその時には本当にしっかりとしたお兄さん、お姉さんになって会えると思います」
 またまた殺し文句で、教室は完全に沈静化してしまった。
 そして、早速、引っ越しとなったのである。
 
3年3組
 正太達の通う小学校には校舎が3棟ある。
 一番古い校舎は明治6年にたてられた洋風の建物で、次に建てられたのが木造の二階建てで最初の校舎より一段下に建てられている。その校舎は5段の石段を組んだ高い位置にあり、グランドは石段の下に広がっている。そのグランドに三番目の新校舎と呼ばれている校舎があり、こちらも二階建てになっている。
 各学年は6組あり、一組に生徒は50人いる。生徒1800人での毎朝の朝礼は、グランドいっぱいにひろがって行われる。
 新一年生は、一番下の新校舎で、六年生になると再び新校舎の二階に戻ってくる。
 二年生、三年生、四年生、五年生は真ん中の校舎と一番古い校舎をつかっている。
 教員室などは真ん中の校舎にあり、講堂は同じ二階にある。
 そのうち書くことになるが、5段の石段はすべて丸石を組んだ石段で、一段の高さが1メートル以上ある。
 一段の奥行きは広く、運動会などでは学年ごとに陣取り、応援する場所になる。
 正太達の3年4組の教室は、真ん中の校舎にあったが引っ越し先の3年3組はいちばん古い校舎だった。その日に内に引っ越しを終えて、明日からの授業に備えなければならない。
 校長先生と男先生の説明を聞き終え、クラスメイトはさようならをいう間もなくそれぞれのクラスに分かれていった。
 3年3組のある校舎は、すでに建てられてから80年経っていることになる。
 平屋だったが、真ん中の校舎とは屋根続きになっており、そこは古くて急な階段でつながっていた。正太とクラス替えでいっしょになった女子生徒はその急な階段に苦労しながら、自分たちの重い机と椅子を運んだ。
 3年4組からの10人全員が、3年3組のクラスに移ったのはお昼前だった。
 始業式のある日は半日で授業は終わるので、その日は新しい先生からクラスの紹介と、3年4組10人の自己紹介で終わった。
 それにしても、と正太は思った。
 まず第1に、なんで3年4組のクラスが無くなってしまったのか。
 第2に、なんでこんな古い教室に移らなければならないのか。
 第3に、なんで三年生の先生のなかでいちばん怖いと噂のある先生のクラスに移ることになったのか。
 第4に、なんで3年3組には知っている友だちがいないのか。
 どれも正太にとっては大問題だったが、とりわけ第3が深刻だった。
 3年3組の先生は男先生で怒りんぼで評判だった。
 正太にとって、二学期の終わりに男先生にちょこっと教わったけれどそれまでは、一、二年生がおばさん先生で、三年生も女先生だった。
 女先生だって怒るときは怒るけれど、やっぱりやさしいと正太は思っていた。
 3年3組の男先生はスパルタ先生とあだ名が付いていた。
 正式な教員ではなく、大学院をめざして勉強している臨時教員だった。
 例によってスパルタとはどういう意味か正太には皆目わからない。スタルヒンなら野球の巨人にいるピッチャーだからよく分かる。
 怒りんぼ、怖いそれがスパルタという意味なのだろうと、勝手に納得する。
 ともかく怒ると、びしびしと言葉といっしょに手までがとび、どんな悪ガキでもスパルタ先生にかかると、借りてきたネコになるというのだ。
 借りてきたネコより自分の家のネコの方が可愛いいと思うが、正太自身は借りてきたネコになるとはどういうことか、しばらくして知ることになる。
 耳に入ってくるのは噂ばかりで、このクラスに知っている友だちがいないこともあって、実際にどう怖いのか正太は確かめようもない。自己紹介したときも自分のことをどういったのかさっぱり覚えていないほど緊張しきっていた。
 
すきま風の窓
 始業式から帰宅して、いのいちばんに今日起きた衝撃的な事件のすべてを母親に報告した。いや、報告しないではいられなかった。
 もちろん、3年3組が自分にとってどんなすごいところでこれからどうしたらいいのかという不安もいっしょに。
 「お母さんは父母会で、正太達のクラスが無くなることは知っていました。でも生徒達が不安になるといけないので、今日まで黙っていたのです。3年3組の男先生は怖い先生といわれているけれど、生徒がきちんと約束を守ってしっかり勉強すれば先生は怒ることもありません。先生が怖いというのは、お前達が悪いことをしたときだけです」 
 正太は、母親がいつものように先生の味方をしているなと感じたけれど、言っていることはもっともだし、女先生も生徒がいうことを聞かないと容赦なく廊下に立たせていた。正太も何度もバケツを持って廊下に立ったものだ。
 だが、スパルタ先生の怒り方は違うと、噂にだけは聞いていた。違うのがどう違うのかそれを想像しただけでじゅうぶんに体が震えてくる。
 緊張感に満ちた3学期はこうして始まった。
 新しいクラスに移って登校初日、正太が教室についたとき、まだ誰もいなかった。
 黒板には当番の名前がある。
 どこのクラスも当番が朝やることは決まっている。正太は何もすることがないのでとりあえずストーブの火おこしから始めることにした。
 とにかく、古い校舎の朝は寒かったのだ。
 石炭を入れる黒いバケツをもって、下の校舎に下りていく。校舎の裏手に石炭置き場がありそこからクラスごとに石炭を運んでくる。
 石炭置き場は、薄暗く一日中陽が当たらない。正月に降った雪がまだ残っており、しかも凍っている。黒くつるつるに光る氷の上を恐る恐る歩きながら、石炭置き場につきなんとか石炭をバケツに入れたまでは良いのだが、さて、今度は重くなったバケツを持ってまた凍りついたところを歩かなければならない。 
 案の定つるっと滑って、思い切りバケツをひっくり返してしまった。
 半ベソをかきながら、散らばった石炭を拾い集めていると、目の前に長靴を履いた足があらわれた。
 「正太、一人で無理をしちゃだめだ」
 顔を上げると、そこにはスパルタ先生が立っていた。
 「早く来たら誰もいなかったし、教室も寒いし」
 「わかった、わかった。ストーブを早く焚いてみんなのために教室を暖めておこうとした気持ちは分かった。でも、一人では石炭を入れたバケツは重くて無理だろう。氷の上でころんで怪我でもしたらそれこそ大変だ。今度からは絶対に一人ではやらないようにしなさい」
 なんだ、スパルタ先生はやさしいじゃないか、でも石炭を取りに来たのは、何もしないと凍えるほど寒かったからで別にみんなのためを思ってのことではない。
 正太は先生に手伝ってもらい、石炭をいれたバケツを教室まで運び、あとはいつものように、だるまストーブに古新聞を丸めて入れ、たき付けの木を放り込み、マッチをすって火をつける。木に火が移ったところで石炭をスコップですくって入れる。
 石炭がしっかり燃えるまで、最初は煙たいがやがてゴーゴーと音を立てて炎を上げるようになると一気にストーブの回りが暖かくなる。
 しばらくして当番の生徒が教室に入ってきて、水の入った大きなヤカンをストーブの上に置いた。
 「君は正太か、今日は俺の当番だったのに石炭運んでくれたんだって、とりあえず礼はいっておく。でも、これからは当番のときだけにしてくれよな」
 礼の後に念を押すように言った一言は、3組にきたら3組のルールに従えと、暗に命令しているように正太には感じた。4組のときには当番は当番として役割があったが、できるものが手伝うという4組にはまた4組の暗黙のルールがあった。
 クラスが違えばやり方も違うのか、正太はそう自分を納得させた。
 50人のクラスに10人、五台の机がはいったことで3組に限らず3年生の教室はどこも超満員となってしまった。だから、南向きの教室では、生徒の体温で暑くてストーブもいらないくらいだった。
 下の校舎のまだ新しいが、なんといっても一番上の正太達のいる校舎は80歳になる。
 建物全体が歪んで、窓がきちんと閉まらなくなっている。しかも、その窓と言えば上下に開く方式で、窓枠が歪んでいるのできっちりと下までに閉まらず、斜めに隙間が空いている。
 正太の机はいちばん北の窓側でしかも、すぐ後ろには教室に出入りする引き戸がある。その引き戸も斜めになって縦にも横にも隙間がある。
 校舎の裏は、崖になっていて一日中、山からの冷たい風が吹きおろしてくる。
 窓と引き戸の隙間からはいりこむ風は、刺すように冷たい。
 鉛筆を持つ手もかじかんで、字を書くときにはいちいち手に息をふきかけ、揉むようにして温めなければならなかった。
 東京でも西の山間にあるこのまちは、冬には一日に30センチほど積雪することも少なくない。校舎の裏庭には、二三日前に降った雪が、まだたっぷりと残っている。
 正太は誰よりも雪が好きだったが、この教室では窓の隙間から雪が吹き込んできて、机の上にうっすらと積もることもあり、これじゃ教室かグランドか分からない。
 寒くても短いズボンで過ごしてきた正太も、どうにもならなくなって長ズボンの下にさらに暖かい下着をつけてその冬を過ごすことになった。

よそ者あつかい
 それでも春がきて四年生れば、4組は復活するということだし、分かれたクラスメイトともいつだって学校で会えるのだし、少しの間の我慢と思えばいい。正太は自分に言い聞かせていたが、やはり毎日のことなので、慣れないクラスでは面白くないことも多い。
 正太は、他のクラスにいった友だちから、そのクラスの様子も聞いていた。
 いいこともあれば、面白くないこともあるのは、どこも同じようだが、正太は3組の学級委員長とどうも馬が合わなかった。
 後から加わったこともあって、遠慮する気持ちがあったがその学級委員長はものの言い方が高圧的で、何かというと君たちは別というよそ者あつかいする感じがあった。
 正太は、いきなり別のクラスに入ったので、自分自身がそう感じているのかなとも最初の内は思っていたが、学校の帰りに旧4組のものだけで下校したときに、同じように感じているということが話題になった。
 正太は、ホームルームの時間に感じている気持ちを3組で発言した。
 スパルタ先生は正太の話をきくと、「正太君がいっていることについて、意見のある人は手をあげて発言してください」と他の生徒にいう。
 「ハイ」と学級委員長が手を挙げた。
 「ボクはそんなこと思いません。まだ、4組の人はきたばかりでなれていないから、なんとなくそう感じるのだと思います。もし、よそ者あつかいされているというなら誰がどんなときにそういうことをしたのか、具体的に話して欲しいと思います」
 委員長の言葉に、そうだそうだという冷たい視線が、後ろに座っている正太に降り注がれた。
 「なるほど、正太君、委員長のこの発言にはどうこたえますか」
 正太は、困った。なんといってもそう感じるまでのことで、具体的(こんなむずかしい言葉は普段使わないのに、このクラスの委員長はむずかしい言葉が得意だ)なことといわれてもそんなのはない。
 「あのー。具体的にどんなときに誰にというのはわかりません。でも、そんな感じがするのです。ボクだけでなく、4組からきた友だちはみんなそう感じています」
 精一杯、4組を代表している気持ちで訴える。
 「なるほど、よくわかりました。むずかしい言葉でいうとお互いに意思疎通がとれていないということですね。もっと話し合ったり、運動したりしてお互いに理解することが大事でしょう。なにかよい方法がありませんか」
 「毎朝、ドッジボールをしませんか」
 委員長から早速、提案があった。
 「やだよ、寒いしそんなことしたって仲良くなれないよ」
 「場所取りだって大変だし」
 「いや、それはいい方法だ。学校に近い人が早くきて場所取りをする。そして授業が始まるまでにドッジボールすれば体も温まるし、みんなもいっしょに運動することで意思の疎通ができるようになる。よし、早速実行しよう」
 とんでもないことになったものだと正太は、ホームルームの発言を後悔した。
 なんと、場所取りは小学校に一番近い正太の役割となったのだ。
 朝、早くグランドに来て、大きなヤカンの水で地面に線を引いてドッジボール用のコートをつくり場所取りをしなければならない。
 場所取りしたところに、3−3と同じ水でクラスの名前を大きく書いておく。
 それが終わってからいったん帰宅して改めて登校する。
 「これじゃまるで、みんなのために場所取りに使われているようなものだ」
 正太の本音はここにあったが、不満を口に出すことはできない。
 よそ者あつかいされているといった手前、みんなと協力するということに反対するわけにはいかない。

バツは恐怖の椅子崩し
 委員長のペースで、3年3組の毎日は過ぎていった。
 スパルタ先生のいうイシノソツウをはかるにも、どことなくぎこちなさがあり、正太はクラスの中で孤立している自分を感じないではいられなかった。
 そんな鬱積した気持ちでいるときに事件は起きてしまった。
 事件といってもたわいのないものだったが、事件の後始末で正太はスパルタ先生のスパルタの意味を身にしみて知ることになる。
 その日の授業が終わって、いつもの通り教室の掃除が始まった。
 もちろん教室の掃除は当番が決まっていて、正太達の6斑と5斑の20人が当番だった。
 教室の掃除でいちばん大変なのが床掃除だ。
 まず机と椅子全部を教室の後ろに集め、空いた床を掃いて雑巾がけする。そこが終わったら椅子と机を今度は教壇の方に寄せて、空いた床を同じように掃除する。手際よく床全体もれなくきれいに拭くためには30ある机と椅子を教室半分にきっちりと並べなければならない。
 ところが、きちんと並べる正太たち6斑に対して、5斑のやり方がいい加減なので正太は斑を代表して5斑に文句をいった。
 そこから口げんかが始まる。残っていた委員長が仲裁に入っていったんは収まったが、5斑の一人が、とつぜん教室の外に出て窓から雪を投げ入れ始めた。
 「雑巾がけは寒いから、雪をまいてほうきで掃いて終わりにしようぜ」
 その一言で6斑の男子生徒も加わって、教室の床は雪だらけになった。
 正太は、教室の放り込まれた雪を手に取り丸めて球にして窓の外に投げ出した。 
 とその雪玉が、運悪く外にいた生徒の頭に当たった。
 さあ、それからの教室は雪合戦の場となってしまったのだ。
 正太にも容赦なく雪玉があびせられる。
 あの委員長までもがすっかり雪合戦に参加している。
 床をもちろん、机上も教壇も黒板も雪だらけ、床の雪で滑って転ぶは、机の上にのって雪を投げるはの大騒ぎになった。
 「コラー」の一言で、騒ぎは一瞬にして収まる。
 雷が落ちたようなその声の主こそ、スパルタ先生その人だった。
 騒ぎを見かねて女子生徒が教員室に先生を呼びに行ったのである。
 その一喝に、正太は手にした雪玉を思わず握りしめ、その場で凍りついた。
 「5斑、6斑、君たちの仕事はなんだ。正太答えろ」
 「掃除当番です」
 消え入るような声で正太は答えた。
 「先生には聞こえない」
 「掃除当番です」
 精一杯の声を張り上げるが、声が震えているのが自分でも分かる。
 「いま、していることは掃除当番か」
 「いえ、ちがいます」
 「じゃあ何をしている」
 「雪合戦です」
 「雪合戦は、いつから教室でやることになった」
 「雪合戦は校庭でやるものです」
 「誰が最初にやった」
 「ボクが、教室のなかに投げ込まれた雪を玉にして外に投げたら、たまたま当たってそれから、始まってしまいました」
 正太は正直に答えるしかなかった。言い訳が通用するとは思えない。
 「雪を最初に教室に投げ込んだのは5斑です」
 横から委員長が口をはさむ。
 「委員長も見ていたのか」
 「はい」
 「委員長の役割はなんだ」
 「はい、クラスをまとめることです」
 「委員長はその役割を果たしたと思うか」
 「いえ、思いません」
 「よし、分かった。委員長と正太前に出なさい」
 そういうと、スパルタ先生は椅子を教室の真ん中に集め始める。
 前に出た正太と委員長を残っている生徒が遠巻きに囲む。
 正太は何が始まるのかまったく見当もつかない。
 だが、委員長は目がつり上がって体を硬くしている。
 スパルタ先生は、集めた椅子を積み上げ始めた。
 椅子の座るところに椅子を積み上げるのだが、椅子の脚がようやく半分座席面に引っかかる程度で、グラグラとしている。それを一段、二段、三段と積み上げて四段まで積み上げたところで、「委員長、椅子に登りなさい」とスパルタ先生。
 委員長は、いわれるままに椅子に登る。
 登るといっても、足下がぐらついているので、先生の手を借りる。
 なんとか四段目まで登るとなんと両手を離して立ち上がった。
 と次の瞬間、椅子が崩れた。先生が手を離したからだ。
 委員長の体がふわっと落ちる。正太は息をのみ目を閉じた。
 しかし、どさっという床に落ちる音もしないし、椅子が崩れる音もしない。
 目を開くと、委員長は先生の右腕にしっかりと抱きかかえられていた。
 椅子も先生に支えられている。
 「つぎ、正太」
 正太の心臓は縮み上がった。
 ごめんなさいと言おうと思った。謝れば何とかしてもらえると思った。
 だが、委員長はもうバツを受けている。
 自分だけ許されるわけがない、正太は一歩前にでて言われるままに椅子によじ登る。
 四段目まで登ったが、手を離して上に立つなんてそんな芸当ができるわけがない。
 「しっかり立たないと痛いめにあうぞ」
 その一言に正太は目を瞑って恐る恐る立ち上がった。
 と思った次の瞬間、正太の体は一瞬宙に浮いて、次の瞬間スパルタ先生の腕の中にあった。
 「よし、これで教室雪合戦のバツは終わる。教室をしっかり掃除して帰りなさい」
 正太は、先生の手から解放されて、床に立ったときに余りの恐怖から口もきけなかったし涙も出なかった。凍りついたように固まって直立不動の姿勢のままだった。
 「正太は、どんな理由があるにしても雪玉を投げて、雪合戦をはじめる原因をつくったこと。委員長は、クラスの騒動を止めるべきだったのにいっしょになって雪合戦したこと。だから二人にはそれぞれ責任があるので、バツを与えた」
 スパルタ先生はそれだけを言うと、教室をあとにした。
 残った5斑と6斑の20人と委員長は、おしゃべりすることもなく教室の雪が溶ける前にほうきであつめて外に投げ出し、いつも通りに教室の床を雑巾で拭き、机をきちんと並べ直した。
 正太は、職員室まで行き、スパルタ先生に掃除が終わったことを報告した。
 先生はいつも通りに「ごくろうさん」といって、さっきの事にはまったく触れなかった。
 正太は、学校からの帰り道、高く積み上げた椅子から落ちる瞬間を思い出し思わず身震いをした。そして、今日のことは絶対に母親には秘密にしておこうと心に誓った。
 その後、正太達3年4組の10人は、3組の生徒と喧嘩することもなく、短い三学期を無事に終えた。

50年目の同窓会
 正太は63歳になっていた。小学校を卒業し、10年間住んだまちを離れてから50年、すっかり足が遠のいていたが、昭和30年卒業の同窓会があるという通知をもらい、出かけることにしたのだ。
 卒業以来50年ぶりにあう顔に昔の面影をみつけ、正太はここにいるみんなが当たり前のことだが、63歳であることに、不思議な感動と驚きをおぼえた。
 卒業時のクラスごとに分かれて旧交を温めていたが、正太はどうしても会って確かめたいことがありその同級生を探した。
 「正ちゃん、秋子です」
 遠くから見て秋子だろうと思ったがなかなか自分から切り出せなかったら、彼女の方から声をかけてくれた。
 「正ちゃん全然変わらない。すぐにわかりました」
 「シュウちゃん(秋子の本当の呼び方はシュウコである、これは別のはなしでまた書くことにしている)、ああ、あの当時のシュウちゃんだ」
 いろいろと話が弾んだが、正太は確かめたいことをようやく質問する気になった。
 「一つだけ聞きたいことがあるのだけれど、3年生の二学期、女先生が突然小学校を辞めてしまって、三学期になってクラスがばらばらになったでしょう」
 「そう、あの時はクラス中が大騒ぎになって、大変だったわね」
 「あのときに、男子生徒がみんな、女先生は絵の先生とカケオチしたっていったら、シュウちゃんは、だから男はバカだって、すごく怒ったことおぼえている?」
 「もちろんおぼえている。あのことはいまでもよくおぼえている」
 「なんで、男はバカだって怒ったのか、怒り方が真剣だったので、ひょっとしてシュウちゃんは先生が辞めた本当の理由を知っていたのかなと思って」
 「そう、私は母から聞いていました。女先生はカケオチなんかしたのではなく、絵の先生に言い寄られたんですって。いまでいうストーカーのようなものね。でも、あの当時、女性の立場がまだ弱くて、女先生は学校にいられなくなってやめざるをえなくなったの。男子生徒はおもしろおかしくカケオチの意味も知らずに騒いでいたけれど、女の子たちは本当のこと知っていた。でも、そんなこといえないでしょう。だから、私が男子生徒はバカだっていったのは女先生の名誉を守るための精一杯の気持ちだったの。女先生はあの後、別の学校に移って結婚したそうよ」
 シュウコのその話を聞いたとき正太は、小学校3年生の二学期にもどっている自分に気づいた。50年以上も昔の自分に。