2010年4月

みてよい。みてはだめ。

三つの映画館
 正太が2年生になった年、それまで町だった正太のすむまちが、市になった。 
 変わったここといえば町役場の看板が市役所と付け替えられたことぐらいで、小学2年生の正太には、どんな意味があるのか分からなかったけれど、町が成長して低学年から上級生になったのだなと、大人たちの喜びようをみてそう感じた。
 まちは活気に満ち、4年生になった時には人口が五万人を超えた。
 その多くは地元産業の機織り工場やそれに関係する会社につとめており、めったに町の外に出ることもないので、まちでの娯楽と言えば、なんといっても映画が大人気だった。
 だから休日だけでなく、仕事の終わった夕方からもまちにある三つの映画館はどこも超満員になる。
 一つ目の映画館は、駅前にのびる幅の広い商店街が、街道とぶつかった先の右側にあった。主に大映と東映の時代劇を上映していた。以前は、外国映画もかけられていたが、東京寄りの一つ先の駅に洋画専門の映画館ができてからは、日本映画だけになった。
 二つ目の映画館は、松竹と東宝の映画を上映しており、場所は駅から線路沿いの道を東に歩いた5分ほどのところにあった。映画館の後ろには神社の小高い山があり、北側には線路をまたぐ陸橋があった。
 陸橋は正太たちが通っている小学校につながっており、この映画館は小学校の映画鑑賞でもよく使われていた。
 三つ目の映画館が洋画専門館で、できたのは正太が小学校4年生の頃で、かまぼこ型の屋根でほかの映画館には、二階席があったが、この映画館は一階席だけだった。
 当時始まったばかりの大画面、シネマスコープを上映できる幅広のスクリーンがあり、洋画専門館らしく外観もクリーム色でスマートだった。
 この映画館があるのは東京寄りの一つ隣り駅だったが、自転車でいけばわけもない距離だった。
 大人だけでなく子どもにとっても、映画は最高の娯楽だった。とくに半ドンの土曜日と日・祭日、お正月などは普段でも混んでいる映画館が、どんな映画がかかっていてもはち切れるほど超満員で、席に座って見るなどというは、よほど運がいいか、早い時間から我慢して並ばなければならない。
 子どもたちにとっては、映画を見るということは、特別の日で、月に一回も見られれば、最高に幸せだった。
 映画にいくときには父親か母親がいっしょでなければならず、友達同士でいくこともあったがそのときでも、年上の者が付き添っていく。
 最近めきめき売り出してきた中村錦之助や東千代の助が主演の映画ともなると、朝早くから長い列ができ、映画館に入るということが大事だった。
 入れたら入れたで今度は席取りでまた一苦労する。席に座れなければ、両脇と後ろ側の通路の最前列に立たないと画面が見えない。一番後ろの通路には鉄の柵があり、そこにしがみつくようにして見ることもできたが、身体が小さい小学生は、後ろから押されると柵に押しつぶされ映画どころではなくなってしまう。
 超満員になると、外の通路まで客があふれ、扉も閉まらなくなる。それでも客は外の通路から背伸びして少しでも画面を見ようと必死だ。
 こうなると背の低い小学生は、とにかく大人をかき分けかき分けしながら、前にでなければならない。
 だいたい、映画をちゃんと始めから見るなんてほとんど無理だった。
もちろん朝早くから並んで、いの一番に映画館に入れれば別だが、前もって映画にいくことが決まっていればの話で、だいたいはその日の朝、父親が映画にいくと決めてから、それならボクも正太がせがんでついていくのが常だった。だから出かけるのはいつも昼過ぎになり、そのころになるともう映画館は長蛇の列ができている。
 それでも正太にとっては、映画館に入り、スクリーンなんか見えなくても、映画館のなかの、普段とは異なる別の世界がそこに、広がっていることだけで満足だった。

光が描く別世界
 観客のざわざわとした声、画面が見えないぞと、怒鳴り合う声、子どもの鳴き声、満員の映画館の中はいつも異様な熱気に満ちている。
 そのざわめきも上映開始を告げる鈍いブザーの音で、しんと静まる。
 やがて、スクリーンを隠していた黒い幕が左右に開き、同時に天井灯がすぅーと光を失い、ゆっくりと暗くなる。
 正太の気持ちは、期待とわくわく感で満ちあふれもうこぼれ落ちそうになる。
 首をひねって振り返ると、二階の一番奥の壁についている四角い窓から、映写機から放たれる光線が、スクリーンに向かって広がってくる。
 光をたどるように、目をスクリーン向ける。
 スクリーンには、白黒のニュース映像が映されている。
 ニュースの内容が変わるごとに題字がでて、その後に映像が続く。
 ソビエトのスターリンが、アメリカのアイゼンハワーがどうしたこうしたと、アナウンサーの淡々とした声で語られるが、小学生の正太には何のことやらわからない。
 だが、めまぐるしく変わる画面をみているだけで、正太の気持ちは満たされていく。
 大人たちも静かに外国のニュースを見入っている。
 ニュースの上映時間はだいたい15分ほどだが、終わりのほうになると決まって野球や相撲などのスポーツになる。家での野球や相撲の中継はラジオ放送が頼りだから、動いている映像に大人も子ども大いに興奮する。
 川上や大下のホームラン映像には、ため息とも何ともいえない感嘆の声があがり、時には拍手も起きる。
 ニュースが終わると、いよいよお目当ての映画の上映だ。
 東映映画のマークがスクリーンに砕け散る波の中から浮かび上がってくると、もうそれだけで映画館は、はちきれんばかりの期待で観客の息づかいも荒くなる。
 正太は、しばしば頭上に走る映写機の放つ光を見上げる。
 スクリーンに向かって放たれる光は、大人たちが吸っているたばこの煙が反射してくっきりとした白い帯になって見える。画面の動きにあわせてその光線も激しく動きまわる。光の先を追うと、スクリーンでは片岡知恵蔵が、中村錦之助が刀を振りまして、斬りまくっている。まるで、魔術のような光の世界、正太はこれが映画だと、小さくつぶやくのだった。
 どんなに満員でも、大人たちは遠慮なくたばこを吸うし、お酒も飲むし、子どもたちはバリバリと煎餅をかじる。ただ、目線だけは画面に釘付けとなる。
 スクリーン以外は、暗闇に包まれる映画館の中は、正太にとってまさに別世界だった。
sazen.jpg

フイルム運び
 嵐寛寿郎ことアラカンの十八番、鞍馬天狗。角兵衛獅子の少年・杉作に扮して曲芸を披露するのは美空ひばり。鞍馬典善をおじちゃんと慕うみなしご杉作は、厳しい親方に芸を仕込まれ、街道暮らしをしている。
 芸が下手だとたたかれ、稼ぎが少ないとご飯も食べさえてもらえない。憎たらしい親方が、十手を預かり新撰組の手先となって、鞍馬天狗を危機におとしいれる
 杉作が鞍馬天狗のおじちゃんといっしょに、悪をうつというのが、決まりの筋書きだった。
 つらいつらい毎日を必死に生きる杉作、憎っくき親方を鞍馬天狗が懲らしめるが、そこへ新撰組があらわれて、あわや...。というところでスクリーンが真っ暗になる。
 もちろん映画館も真っ暗闇に。ため息ともにざわめきがあちこちからあがる。
 このところ毎日のようにおきている停電か、それとも映写機の故障か。観客はしばし再び映画が始まるのを静かに待つ。
 だが、いっこうにスクリーンが明るくならないうちに、天井の電灯が点いて、館内が明るくなってしまう。こうなると観客から怒声があがり、そしピーピーと指笛が鳴り館内は騒然となる。
 誰言うこともなく、フイルムが届かないんだとか、また電車が遅れてるのだろうかとか、声が正太の耳にも聞こえてくる。
 正太が住むまちだけでなく、ちょっと大きなまちには必ず映画館があった。
 上映している映画といえば、どこも同じで、映画館同士で上映時間をずらし一本のフイルムをやりくりして上映している。一本の映画はフイルムが数巻に分かれており、この分かれたフイルムを使い回して上映するという綱渡りもしている。
 だから、一巻を終わるまでにつぎの一巻がとどかないと、映画は途切れてしまうわけだ。
 こんなことはいつものことで、だから観客はなれたものなのだが、さあこれからいいところだ、という時に限ってフイルムが届かないのだ。
 となりまちの映画館からこちらのまちの映画館へ、こちらのまちの映画館から、となりまちの映画館へ、電車でフイルムを運ぶのは若いお兄さんで、フイルム缶を詰め込んだ、たて長の丈夫そうな布袋を担いでいるので、誰にでもわかる。
 お兄さんは、裾が細く絞られたズボンに黒の革靴をはき、冬は厚手のコート、夏は白いランニングシャツ姿だった。季節に関係なく鳥打ち帽をかぶっていた。
 その姿を見るたびに、お兄さんはいつでも映画を見ることができるのだろうと、正太はうらやましく思って、それを兄に話したところ、そばで聞き耳をたてていた小さい方の姉が「だから正太は単純だっていうの、いつもフイルムを運んでいるのだから、映画なんて見ている閑があるわけないでしょ」と皮肉混じりに正太をやりこめる。
 「でも、仕事終わってからだってこっそり見ることできるよ」
 「ああ、もう本当に正太はバカ、映画館が終わって客が帰ったら、働いている人もみんな帰るのに、誰が映写機を動かしてくれるの、そんなことするわけないでしょう」
 「だって」
 「だってもあさってもないの、はいこれでおしまい。どうしてもなりたかったらフイルム運びでもなんでもすれば」
 姉の機関銃のような憎たらしい言い方に、正太はなんにも言葉を返すことができないでいた。
 運び屋のお兄さんは、電車が駅に着くとエイやっとばかりに、フイルム缶を詰め込んだ布袋を担ぎ、扉が開くのももどかしげに、脱兎のごとく走り出す。
 ホームの階段を駆け下り、駆け上がり、改札を通るときにも右手を挙げて、そのまま走り抜ける。そんな様子を正太は何度か目撃していた。
 明るくなって、何も映っていないスクリーンを眺めながら、正太はいまあのお兄さんが遅れている電車の中でいらいらし、そして駅に到着するやいなや、電車から飛び出して改札を風のように走り抜け、まっしぐらに駅前の商店街を走っている姿を思い浮かべていた。
 もうすぐ始まる、正太はぎゅうぎゅう詰めになって押しつぶされながら、頭上を白い光線が走るのをじっと待っていた。

みてよい、みてはだめ
 正太たち小学生にとって、父親や母親といっしょならどんな映画でも見に行ってもいいかというと、そんなに甘くはなかった。
 映画を見にいくということ特別なことであり、一大事であった。
 正太の通信簿の成績がよくなったとか、父親の給料があがったとか、とりあえず両親の機嫌のいいとき。春休み、夏休み、冬休みの一日、正月、誕生日などなど特別な日。
 だから普段、映画に行きたいとせがんでも、はいどうぞということは滅多にない。
 両親のおゆるし取れたとしてもまだ、越えなければならない最後の障害物があった。
 「お父さん、今日日曜日だから、キネマでやっている、映画見につれていって」
 「よし、つれていってやろう」いつになく、二つ返事で父親からおゆるしがでた。
 「その前に、学校へ行って確かめてきなさい」
 この一言がでることを正太は百も承知のすけ、打てば響くように、
 「大丈夫、みてもよいだった」と正太が答える。
 「昨日のうちに確かめたの?正太」と母親から鋭い一言。
 正太が答えに詰まると、「さっ、確かめてきなさい。しっかり確かめない限り連れはいけないぞ」と父親からだめ押しが入る。
 正太は、ズック靴をはくのももどかしげに、家を飛び出し、小学校に向かって走る、走る。
 学校に行くときの何倍もの速さだ。
 いつもの通学路を走りぬけ、職員室の窓の前まで休まずに一気に。
 職員室の窓外に3枚の木の板がぶら下がっている。
 向かって左から、東映・大映、真ん中が松竹・東宝そして右端が洋画専門の映画館の名前が書いてある。
 それぞれの木の板には、東映・大映は「みてよい」、真ん中の松竹・東宝は「みてはだめ」、洋画も「みてはだめ」と墨で黒々と書かれていた。
 この看板の「みてよい」「みてはだめ」は誰が決めているのかわからない。わからないけれど正太は勝手に校長先生だと決めつけていた。
 なぜなら常日頃から学校で一番偉いのは校長先生であると、耳にたこができるくらい大人から聞かされていたからである。
 しかし、正太には「みてよい」の基準はなんとなく納得ができるのだが、「みてはだめ」というのがどうしてもわからない。なぜなら、おもしろくて見たくてたまらない映画のとき「みてはだめ」ということが多いからだ。
 ある時、「校長先生、なんで今度のターザンの冒険は『みてはだめ』になっているのですか」と正太は思い切って校長先生にその理由を聞いてみた。
 「正太」校長先生はすべての小学生の名前を覚えている。「あの映画は大人が見るもので、子どもには向いていないからだ」
 「どこが向いていないのですか」正太は負けていない。
 「正太は、ターザンのどこがおもしろいか先生に話して聞かせてくれるかな」
 「校長先生は、ターザンの映画見ていないのですか」
 「うん、先生は見ていない」
 「じゃ、見ていいか、見てはだめかわからないじゃないのですか」
 「そうか、これは正太に一本とられたな。それでは正太にお願いしよう、どこがおもしろいのかおしえてくれるかな」

tazan.jpg
 「ターザンは、密林に少年とチンパンジーと住んでいます。密林の動物たちと仲がよくて、助け合って暮らしています。密林に隠された財宝を目当てに悪い奴らやってきて動物たちを殺したり、ランボウロウゼキを働くので、ターザンは一人で悪い奴らに立ち向かいます。でもタゼイニブゼイで、あわやターザン危なしとなったとき、ターザンが両手を口のところにつけ、アーアッアーと何回か叫ぶと、密林の動物たちが、ターザンを助けに来るのです。ボクはチンパンジーが大好きで、だって、まるでターザンの子どものようにいろいろなことができて頭もよくて、だからターザンはすごくいい映画と思います」
 「そうか正太は、難しい言葉もたくさん知っているし、お話が上手だから、先生はまるで見てきたような気持ちになった。ところで、正太、ターザンといっしょに女の人がでてこなかったかな」
 「はい、でてきます」
 正太は、そこでウッと言葉につまった。
 「その女の人はどんな服装をしていたかな」
 「...」
 正太は思い出していた。この前に家族とターザン映画を見たときに、帰宅してから母親が「あの映画の女優さんの格好は何とかならないものかしら。まるでなにも着ていないみたいで子どもには見せたくありません」と父親に向かって怒っていたことを。
 ターザンは動物の皮のパンツをはいおり、その女優も同じように皮でできたパンツと右肩から腰まで隠れるものをまとっているだけだった。正直なところ正太は、その女の人がでてくるたびに、まぶしくてじっとみてはいけないような、そしてはずかしいような複雑な気持ちになった。
 「正太」校長先生の一言で我に返る。
 「先生も正太のお母さんたちも、子どもたちが見るにはどうだろうかと思った、前はみてもよいだったけれど今度はみてはだめにしたわけだ」
 校長先生は、正太の頭の中をまるで知っているかのようにそう説明した。
 正太はそれ以来、みてよい、みてはだめが、校長先生一人で決めているのではなく、母親や父親たちの意見もきっと入っているだろうと思うようになった。
 
 正太は、目をこらして何度も、看板を確かめた。
 正太が見たいたいとせがんだ映画館の板には、無情にも「みてはだめ」と黒々と書かれていた。
 東映・大映の映画の方の板は、みてもよいになっていたが、父親がこの前、そっちの映画は見ていることを、正太は知っていた。
 だから、正太を連れてもう一回行くことは考えられない。
 走ってきた道をとぼとぼと正太は重い足を引きずって帰る。
 正太が見たいと思ったのは「東京物語」という映画だった。
 父親、母親に連れられていったことのある東京のいろいろな場所が出てくる、そんな楽しい映画だろうと、想像していたけれど、「みてはだめ」ということは、やっぱり子どもに見せたくないターザン映画のような女の人が出てくるのだろうか。
 確かめることができないので、なんともいえないけれど、正太は自分にそう言い聞かせることで諦めるしかなかった。