2010年6月

白い人たち 

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白い箱

 正太はその白い人たちに出会ったり、見かけたりするといつも心のいちばん奥をきゅっと締め付けられるような痛みを感じた。

 初めて出会ったのは、二年生になった年で東京まで遊びに行った帰りの電車の中だった。

 あと二駅か三駅で正太の住むまちの駅に着こうかという頃だった。

 となりの車両をつなぐ通路の扉が開くと、3人の白い人たちが一人ずつ入ってきた。

 白い着物姿で、頭には黄土色の軍帽をかぶり、腰には革製の太いベルトを締めている。最初に入ってきたその人は、着物の裾から足が一本だけしか見えない。両わきの下に松葉杖を挟むようにして、体を前後に揺すりながら歩く。続いて入ってきた人は、黒い色の丸いメガネをかけ、白い杖をついている。杖を持っていない方の手を前にして、探るように車両に入ってくる。目が見えないことは正太にもわかる。

 目が見えない人を後ろから支えるように、入ってきた白い人は上着の長い袖の先からのぞく金属性の義手に赤い十字のついて白い箱をぶらぶらとさせている。

 先頭の松葉杖の人が、かぶっていた帽子をとり、小さく頭を下げ、「おくつろぎのところ、おさわがせいたします」と大きな声であいさつし、自分たちは南方で戦った兵士で、このように傷痍軍人となって帰還しました。などと、一言一言しっかりとしゃべる。

 お国のために戦ってきた自分たちに、みなさまからのご援助をいただきたく、お願いにあがりました。

 そして、3人の白い人たちは、揺れる電車のなかをゆっくりと歩を進めていく。

 正太は、じっと目を凝らしてみていたが、先頭の松葉杖の人と目が合うと、その人がにこっと笑ったので、あわてて目をそらした。

 「正太、戦争で身体が不自由になった人たちを、じろじろみたりしてはだめです」と母親から小さな声で注意された。

 「お母さんショウイグンジンってなあに?」

 「この前の戦争で怪我をし身体が不自由になった人のことです」

 母親は、そこまで言うと後はもう正太の質問を受け付けませんというように、顔を前に向けたまま視線を窓の外に送っている。

 戦争が終わってから、何年たったのか正太はよく知らなかったけれど、この前の戦争で怪我をした人がこうして白い服の姿で歩いているということは、戦争が終わったのは、ついこの間だったような気がした。

 正太の目は、いちばん前を歩く松葉杖のショウイグンジンの足に釘付けになった。

 足が片方しかないということは、どんなに大変なことだろう。

 二本の松葉杖を前後につきながら、一本しかない足を引きずるようにして、歩くの姿はつらそうで、額には汗が玉になって光っている。

 黒いメガネをつけ、白い杖をついている人は、足取りはしっかりしているが、杖の先が左右に小刻みに動き、立っている乗客たちは杖に先をよけるように、足を座席の方に引き寄せている。

 金属の義手の先に白い箱をぶら下げている人が、席に座っている乗客に前に、箱を差出すと、それに応えるように乗客は財布を取り出したり、ポケットに手を差し込んだりしてお金をつかみ箱の中に入れていく。

 隣の人がそうすると、次の人もなんとなく同じようにいれていく。

 中には、知らんぷりする人もいるが、誰もが白い人をみることなく、箱だけを見つめてお金を入れていく。

 そのたびに箱の中でちゃりんちゃりんと小銭の音が鳴る。

 やがて箱は正太たちのところまできた。

 母親は、手提げの中でがま口を開き、中から100円札を取り出し小さく折って箱の中に差し込んだ。そして「ご苦労様でした」と小さな声でいった。

 電車が駅に着くと、乗客は白い人たちから離れるように、出口に向かったり、なかには前の車両に移ろうと歩いていく人もいた。

 3人の白い人たちは一車両が終わると、丁寧に頭を下げて、お礼の言葉を述べると、次の車両に移っていった。

 やがて電車は終点の駅に着いた。

 「おかあさん、あの白い服をきたおじさんたちは、どこに住んでいるんだろう。ああして、毎日電車に乗ってお金集めているの?」

 「きっとまだ病院などにいるのでしょう。戦争で怪我をして、仕事ができなくなってしまったのだからみんなで助け合わなければならないでしょ」

 ああ、だからさっき「ご苦労様でした」っていっていたのかと正太は自分勝手に納得した。


兄と姉

 その日うちに帰ってから、正太は兄や姉をつかまえて、電車の中で見たことを話した。

 「正太は戦争のことを知らないから仕方ないけれど、戦争は正太が生まれる二年前の昭和16年に始まって、正太が生まれて二年目の20年に終わった。それが太平洋戦争で、日本はその前に中国という国と戦争をしていて、その戦争を含めると10年近く、戦ってきたことになる。その間にたくさんの兵隊さんが戦死したり、大きな怪我をしたし、そればかりか戦争の終わる頃には、空襲や原子爆弾で普通の市民も犠牲になった。ショウイグンジンは、戦場で命は助かったけれど、大きな怪我をした人たちのことだ。正太たちは、戦争についてこれから勉強するけれど、いまのような平和な時代をずっと大切していかなければならないと思うよ」

 兄の言葉に、いつになく強い口調を感じた。

 「私たちは、戦争を実際には体験していないけれど、戦火が厳しくなった時には、お父さんやお母さんと離れて、集団で学童疎開したりさみしい思いもしたし、食べるものがなくておなかがすいてつらい思いもした」

 と大きい方の姉も、正太に言って聞かせるのではなく何かを思い出すように話す。

 そこに、小さい方の姉も加わった。

 「わたしは学童疎開の経験はないけれど、昭和20年3月の東京大空襲の時、疎開先から東京の空が真っ赤になっているのを見た。夜遅くだったけれど、東の空が夕日のように明るくて、お父さんや近所の人たちが、ああ、東京が燃えているって口々にいっていた。そのとき、ああ東京の私たちの家ももう燃えてしまったと、ものすごく悲しくなったのを忘れることができない」といつになく、しんみりと話す。

 正太が白い人たちのことを話しただけで、兄や姉が、戦争中のことを思い出したように話しはじめたのを聞いて、4人兄弟のなかで、自分だけが知らない世界があることを知った。

 戦争っていったいどんなことなのだろうか、正太がそのことを考えるようになるにはまだまだ、多くの時間が必要だった。



男は男。女は女。

掃除当番より野球

 4年生になって、クラスの中は何をするにも男組と女組の区別がはっきりしてきた。それは担任が男先生になったこともあったけれど、男子生徒の間で、野球が流行りだしたことも大きかった。

 3年生のころまでは、男女の体力差がほとんどなかったこともあって、ドッジボールなどの集団スポーツは男女がいっしょにできたけれど、4年生になると男子の力が強くなり、いっしょに競技することが危険になってきたのだ。

 ましてや野球になると、力やスピードで男女では差がありすぎて、完全に男子だけがやるスポーツで、女子が加わることはまったくといってよいほどなかった。

 なかには男勝りにバットを振り回し女子もいたが、オトコ女などと男子がからかうものだから、自然に男の輪から離れていった。

 授業が終わると、多くの男子生徒は、自宅に帰ることなくそのまま校庭に集まって場所取りをして、野球を始める。

 当然のことだが、掃除当番の男子生徒は当番が終わるまで野球はおあずけとなる。

 野球の仲間に少しでも早く入るには、大急ぎで掃除を終わらせなければならない。 

 早く終わらせるには、手を抜くのがいちばん手っとり早い。

 そこで、班長にもちかけて、正太たち男子が床を掃く、女子が雑巾がけをするという役割分担が決めると、机を一気に後ろに移動してさささーとほうきで掃いて、床の雑巾掛けがまだ終わらないのに、机を前に運んでしまう。

 「ちょっと男子!そんなことしたら、雑巾がけができないでしょう」と、当然ながら女子が怒る

 「俺たちは、机を運んでほうきで掃くのが役割で、ちゃんとしているのに文句あるか」と勝手な理屈で反論する。

 「野球がしたいからそんなこと言っているのでしょう。それじゃ、今度、男子が床の雑巾掛けするときはどうするの」

 「とにかく、やることやったんだから、あとは雑巾がけよろしく」と捨てぜりふを残して校庭へまっしぐら。

 こんなこと繰り返していれば、ホームルームで、男子がやり玉にあげられるにきまっているが、野球という遊びの魔力に男子は勝てない。

 グローブは人数分ないけれど、みんなで使い回して、投げて打って走る、それだけで野球を味わうことができる。

 プロ野球のスター選手、川上にも青田にも大下にも誰にだってなることができる。


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 女子にはわからない、男にしかわからない世界、野球は男の命なのだ。

 いつものように、掃除当番を急いですませて、野球をたっぷりと楽しんで、家に帰ると、おやつの前に母親から「ちょっと正太、こっちへきなさい」と声がかかった。

 声の調子で、母親の機嫌がわかる。正太は、母親が怒っていると感じた。

 「ここに座りなさい」

 茶の間のちゃぶ台の前にかしこまる。

 「正太、今日は掃除当番でしたね」

 「うん、そのあとみんなで野球やったから遅くなりました」

 正太は、学校から帰るのが遅いことをとがめられたと思い、先回りして神妙に答える。

 「掃除が終わってから野球をやっていたことではありません。正太は掃除当番をちゃんとしなかったでしょう。そのことをいっているのです」

 「ちゃんとやったよ。野球は、自分たちのやることをちゃんとやってからしました」

 正太の口がとんがる。

 「ホームルームでも、男子がちゃんと掃除当番をしないって、女子から文句がありませんでしたか」

 確かにホームルームで掃除当番のことがとりあげられ、男先生からこれからはちゃんとやるようにという注意があった。その後からも男子は自分たちのやるべきことだけやればいいという理屈を通して、相変わらず女子と口論が絶えなかった。

 でもいつもそうしているわけではなく、雨の日や授業が終わった後で学校行事のあるときなどは、野球もできないのでそういうときには、きちんと掃除当番をすませていた。だから、女子がいうほど自分たちは勝手なことをしているという自覚もなかった。

 それにしても、と正太は思った。こんなことまでどうして母親が知っているのだろうか。男先生から母親たちに注意するようになにか連絡でもあったのだろうか。

 今日のことなんか、ちょっと前のことだからそんなに母親が早く知るはずもないのに教室で見ていたように詳しい。

 「正太たちは自分の役割分担だけすればいいと言うけれど、教室はみんなのものなのだから、みんなでいっしょに掃除しなければいけないでしょう」

 「でも、お母さん、お掃除なんかは女の仕事でしょう。うちでもお掃除、洗濯、食事を作るのもお母さんの仕事だから、学校でも掃除は女がすればいいんだ」

 「正太!」とんでもないところから声が飛んできた。

 「正太は、男女同権という言葉知らないの」小さい方の姉がいつの間にか茶の間に入ってきていた。

 「知ってるよ、男女同権というのは、男も女も同じだということでしょう」  

 「ばーか、男も女も同じなわけないでしょう。同権というのは男も女も同じ権利をもっているということ。つまり、これからは男だからこれをしてこれをしなくていいというではなくて、みんなが同じように力を合わせていく時代だということ。わかった!だから、学校でも掃除は女の仕事だなんて、かってないいぶんは許されないの。そんなこと言っていたら、女の子から、嫌われてしまうからね」

 「女なんかに嫌われてもいいよーだ」

 いつものように捨てぜりふは、憎まれ口で終わる。

 「正太、今度また掃除当番でいい加減なことをしたら、お母さんは絶対許しませんからね。そのときはおやつも夕食も抜きます。いいですね」

 正太は、首をすくめて母親の雷が通り過ぎるのを待った。


秋子の逆襲

 だが、おやつと食事抜きのバツはすぐにやってきた。

 その日は、天気も良くて昼休みのときから男子たちは放課後に野球をやることで大いに盛り上がっていた。

 正太は、あいにく掃除当番でしかも、床の雑巾掛けだった。なんとしても早く掃除を終わらせて校庭へ急がなければならない。

 男子は、女子を急かせて、ずんずんと掃除進める、でもどんなに急いでも、手順というものがある。

 正太たちは、机を運ぶのも手伝い、掃き掃除も手伝って、なんとか早く終わらせようとするが、それでも時間はかかる。そこで男子たちは、一計を案じ、掃き掃除している時に、バケツの水を教室に手でまいて掃くのと雑巾掛けをいっしょに始めてしまった。

 教室は水浸しになるし、大騒ぎで正太たちは雑巾で拭いては絞りを繰り返し、ともかく俺たちの雑巾掛けが終わったとばかりにランドセルを背負って校庭に飛び出した。

 教室の入り口で秋子が、飛び出す正太たちをにらんでいたが、そんなのはお構いなしで後は頼んだぞとばかり、走り出していた。

 野球はもう回が進んでいたが、そんなことは関係ない。

 正太の打席は一回しか巡ってこなかったけれど、思い切り振ったバットにボールが当たり、鋭く大きなフライになって外野の頭を越えた。転々とするボールを追いかけているうちに正太はゆうゆうとホームイン。

 正太にとって生まれて初めてのホームランだった。

 試合のあと、すげえあたりだったな正太!などとはやし立てる同級生と話しながら、正太は自分の家が見える坂道にさしかかっていた。

 すると、なにやら家のほうから大きな声が聞こえてきた。

 正太は耳を澄ます。その声に聞き覚えがある。

 「おばさん、おばさん、正太君のおばさん」

 秋子の声だ。

 「おばさん、正太君は、ネっ」と「ネっ」が一段高い声で語尾がはねあがる。

 「また、野球がしたくて、お掃除当番をさぼっていました。正太君のおばさん、正太君に注意してください。お願いします」

 風もない静かな午後、秋子の声は坂道を上り、裏の山に響き、否応なしに耳に届く。

 秋子の声に「はい、秋子ちゃんよくわかりました。正太が帰ってきたら今日はもうゆるしません。しっかりとしかっておきます」と、正太の母親の答える声まではっきりと聞こえる。

 正太は、その場で凍りついたように歩けなくなった。

 そして、今日はおやつどころか、夕食も食べられなくなったと思うと、とたんに悲しくなってきた。母親以外で女の怖さを知った正太10歳の初夏だった。


 小学校を卒業すると同時に、正太は秋子たち同級生と別れて、都心よりのまちにある私立学校に入学した。そして、中学二年の秋、通っている学校のあるまちへ引っ越した。

 中学三年になったある日、美術の教科書に載っている岸田劉生の麗子像をみたとき、麗子のちょっと顎を前に出した独特の背格好が誰かに似ているなと思った。

 髪型も違うし、顔も違うけれど全体の雰囲気が秋子に似ているのだと気づき、ちょっと秋子のことを思いだし、懐かしく感じた。

 秋子たち同級生と再会したのは、正太の家族が引っ越してから、約50年後のことだった。