白い人たち
白い箱
正太はその白い人たちに出会ったり、見かけたりするといつも心のいちばん奥をきゅっと締め付けられるような痛みを感じた。
初めて出会ったのは、二年生になった年で東京まで遊びに行った帰りの電車の中だった。
あと二駅か三駅で正太の住むまちの駅に着こうかという頃だった。
となりの車両をつなぐ通路の扉が開くと、3人の白い人たちが一人ずつ入ってきた。
白い着物姿で、頭には黄土色の軍帽をかぶり、腰には革製の太いベルトを締めている。最初に入ってきたその人は、着物の裾から足が一本だけしか見えない。両わきの下に松葉杖を挟むようにして、体を前後に揺すりながら歩く。続いて入ってきた人は、黒い色の丸いメガネをかけ、白い杖をついている。杖を持っていない方の手を前にして、探るように車両に入ってくる。目が見えないことは正太にもわかる。
目が見えない人を後ろから支えるように、入ってきた白い人は上着の長い袖の先からのぞく金属性の義手に赤い十字のついて白い箱をぶらぶらとさせている。
先頭の松葉杖の人が、かぶっていた帽子をとり、小さく頭を下げ、「おくつろぎのところ、おさわがせいたします」と大きな声であいさつし、自分たちは南方で戦った兵士で、このように傷痍軍人となって帰還しました。などと、一言一言しっかりとしゃべる。
お国のために戦ってきた自分たちに、みなさまからのご援助をいただきたく、お願いにあがりました。
そして、3人の白い人たちは、揺れる電車のなかをゆっくりと歩を進めていく。
正太は、じっと目を凝らしてみていたが、先頭の松葉杖の人と目が合うと、その人がにこっと笑ったので、あわてて目をそらした。
「正太、戦争で身体が不自由になった人たちを、じろじろみたりしてはだめです」と母親から小さな声で注意された。
「お母さんショウイグンジンってなあに?」
「この前の戦争で怪我をし身体が不自由になった人のことです」
母親は、そこまで言うと後はもう正太の質問を受け付けませんというように、顔を前に向けたまま視線を窓の外に送っている。
戦争が終わってから、何年たったのか正太はよく知らなかったけれど、この前の戦争で怪我をした人がこうして白い服の姿で歩いているということは、戦争が終わったのは、ついこの間だったような気がした。
正太の目は、いちばん前を歩く松葉杖のショウイグンジンの足に釘付けになった。
足が片方しかないということは、どんなに大変なことだろう。
二本の松葉杖を前後につきながら、一本しかない足を引きずるようにして、歩くの姿はつらそうで、額には汗が玉になって光っている。
黒いメガネをつけ、白い杖をついている人は、足取りはしっかりしているが、杖の先が左右に小刻みに動き、立っている乗客たちは杖に先をよけるように、足を座席の方に引き寄せている。
金属の義手の先に白い箱をぶら下げている人が、席に座っている乗客に前に、箱を差出すと、それに応えるように乗客は財布を取り出したり、ポケットに手を差し込んだりしてお金をつかみ箱の中に入れていく。
隣の人がそうすると、次の人もなんとなく同じようにいれていく。
中には、知らんぷりする人もいるが、誰もが白い人をみることなく、箱だけを見つめてお金を入れていく。
そのたびに箱の中でちゃりんちゃりんと小銭の音が鳴る。
やがて箱は正太たちのところまできた。
母親は、手提げの中でがま口を開き、中から100円札を取り出し小さく折って箱の中に差し込んだ。そして「ご苦労様でした」と小さな声でいった。
電車が駅に着くと、乗客は白い人たちから離れるように、出口に向かったり、なかには前の車両に移ろうと歩いていく人もいた。
3人の白い人たちは一車両が終わると、丁寧に頭を下げて、お礼の言葉を述べると、次の車両に移っていった。
やがて電車は終点の駅に着いた。
「おかあさん、あの白い服をきたおじさんたちは、どこに住んでいるんだろう。ああして、毎日電車に乗ってお金集めているの?」
「きっとまだ病院などにいるのでしょう。戦争で怪我をして、仕事ができなくなってしまったのだからみんなで助け合わなければならないでしょ」
ああ、だからさっき「ご苦労様でした」っていっていたのかと正太は自分勝手に納得した。
兄と姉
その日うちに帰ってから、正太は兄や姉をつかまえて、電車の中で見たことを話した。
「正太は戦争のことを知らないから仕方ないけれど、戦争は正太が生まれる二年前の昭和16年に始まって、正太が生まれて二年目の20年に終わった。それが太平洋戦争で、日本はその前に中国という国と戦争をしていて、その戦争を含めると10年近く、戦ってきたことになる。その間にたくさんの兵隊さんが戦死したり、大きな怪我をしたし、そればかりか戦争の終わる頃には、空襲や原子爆弾で普通の市民も犠牲になった。ショウイグンジンは、戦場で命は助かったけれど、大きな怪我をした人たちのことだ。正太たちは、戦争についてこれから勉強するけれど、いまのような平和な時代をずっと大切していかなければならないと思うよ」
兄の言葉に、いつになく強い口調を感じた。
「私たちは、戦争を実際には体験していないけれど、戦火が厳しくなった時には、お父さんやお母さんと離れて、集団で学童疎開したりさみしい思いもしたし、食べるものがなくておなかがすいてつらい思いもした」
と大きい方の姉も、正太に言って聞かせるのではなく何かを思い出すように話す。
そこに、小さい方の姉も加わった。
「わたしは学童疎開の経験はないけれど、昭和20年3月の東京大空襲の時、疎開先から東京の空が真っ赤になっているのを見た。夜遅くだったけれど、東の空が夕日のように明るくて、お父さんや近所の人たちが、ああ、東京が燃えているって口々にいっていた。そのとき、ああ東京の私たちの家ももう燃えてしまったと、ものすごく悲しくなったのを忘れることができない」といつになく、しんみりと話す。
正太が白い人たちのことを話しただけで、兄や姉が、戦争中のことを思い出したように話しはじめたのを聞いて、4人兄弟のなかで、自分だけが知らない世界があることを知った。
戦争っていったいどんなことなのだろうか、正太がそのことを考えるようになるにはまだまだ、多くの時間が必要だった。
2010年6月27日 10:21