マーちゃんのこと その1
マーちゃんの父親の店
中古の子ども用の自転車をきれいに塗装しなおして新品同様にしてくれたのが、マーちゃんの父親だ。マーちゃんの本当の名前は、雅昭という。
上に二人の兄がいる。
父親も、二人の兄も正太のことをかわいがってくれた。
マーちゃんの父親が営む自転車屋は、駅前の大きな通りがぶつかる東西にのびる目抜き通りにあった。電気店、薬屋、酒屋、衣服店、和装店、おもちゃ屋、床屋、農機具店、雑貨屋などなどが軒を連ね、たいそうにぎわう商店街だった。
肉屋や八百屋はどちらかというと、駅前通りとその通りから左右に入る狭い路地などに店を構えている。
目抜き通りには、そういうわけで、日用、雑貨品などの店が中心だった。
マーちゃんの父親の自転車屋の間口は、そんなに幅広くないけれど、店の奥はウナギの寝床のように長くのびていて、そこが住まいになっている。
店先にはところ狭しと自転車が並べられており、くろがねという黒くどっしりとしたオートバイが、まるで店の看板のように置かれている。
青い作業服を着た店員が、自転車のパンク修理などで忙しく働いている。正太は、そんな風に働いている店員やマーちゃんの父親の姿をみるのが好きだった。
マーちゃんは、運動神経が抜群で、しかも勉強がよくできた。
朝は誰よりも早く登校して、校庭の場所どりをして、始業の鐘がからんからんと鳴るまで仲間ときまって野球をしていて、授業が終わると暗くなるまで、野球やドッジボールに熱中していた。
日曜日には、大人たちに交じっていっしょに野球をするほどうまかった。
正太とマーちゃんは仲良しだったけれど、丁目も違うので、ふだん遊ぶ機会も少なかった。小学校でもクラスがいっしょになったことはない。それでも、正太はマーちゃんの家によく遊びに行ったり、マーちゃんもちょくちょく正太の家に顔を見せたものだった。
正太とマーちゃんの母親がPTAの会合で意気投合し、いっしょに旅行に出かけたり、都心の三越百貨店や歌舞伎座などに出かけたり年中お互いの家を行き来していたことから、正太たちもいつしかいっしょに遊ぶようになったのだ。
マーちゃんにはかなわない
マーちゃんの運動神経のよさは、運動会でいかんなく発揮された。小学校の二年生から徒競走が運動会の競技に加わるのだが、マーちゃんに勝てる同級生はいなかった。とにかく早い、正太もクラス対抗でいっしょに走ったことが何度かあるが、走り出してすぐにあきらめるしかなかった。
「マーちゃんに勝てるのは、風邪引いて運動会を休んだときしかない」
正太だけでなく、それが同級生みんなの本心だった。ところが、マーちゃんは風邪を引いても、運動会をやすむことはなく、しっかりと一着になってしまう。
もちろん、クラス対抗リレーの選手にも選ばれていた。
いつもアンカーで、最後のバトンを受け取ったときどんなに後方にいて、ぐんぐんスピードをあげ追い抜いていき、逆転で一着になってしまうなど、マーちゃんが走るときにはいつも大歓声と大きいなため息がいっしょにきかれたものだ。
運動会では一等から三等まで入ると、クレヨンやノートなどの学用品が賞品としてもらえた。一つの競技が終わると、校長先生の前に並んで、賞品をもらえるのだ。マーちゃんは常連でいつも手に持ちきれないほど賞品をかかえていた。
そんなマーちゃんが、正太はうらやましくてしかたなかった。
マーちゃんは、泳ぎも得意だった。
まちにはプールなどという都会的なものはなかったので、泳ぐと言えば川しかないし、もちろん夏の間だけだ。同級生が怖くて近づかないような急流や深い淵のあるところでも、マーちゃんはまるで河童のように泳ぎきってしまう。
勇気もあった。正太が尻込みしてなかなか飛び込めなった、釜の淵の岩場でもいつもいちばん上から、しかも頭から飛び込むのは同級生では、マーちゃんだけだった。
きれいに放物線を描き、水面に落ちるときにも、両手がまっすぐ伸びて、指先からスパッと水を切るように川のなかに消えていく。
いくじなしの正太は、またそれがうらやましくて、悔しくてしかたない。
江ノ島の海で
5年生の夏休み、正太はそのとき初めて海を体験した。
マーちゃんの父親たちがバスを仕立てて、商店街の子どもたちを海につれていってくれたのだ。本来なら、商店街と関係ない正太が、誘われることはないのだが、マーちゃんの母親のはからいで特別に参加がゆるされた。
山育ち、川育ちの正太たちは、海を絵本や映画などの世界でしか知らなかった。
まちから海までは、4、50キロくらいの距離だったが、電車や列車を乗り継ぎ乗り継ぎして長い時間かけていかなければならないので、忙しい大人たちも子どもをつれていく余裕などなかった。
乗り合いバスしか乗ったことのない正太たちは、貸し切りバスのシートでおおはしゃぎしながら、朝早く江ノ島の海岸を目指した。
バスの車窓は、電車のそれとはまたちがって、沿道の人の生活が間近にみえる。
物珍しい景色の変化に、子どもたちは、はしゃぐのも忘れて見とれていた。
3時間ほど走って、初めて海が見えたとき、誰もがその広大な景色に声を失った。
真っ青な空と太陽で光る海面がひとつになり、どこまでが空でどこまでが海か区別がつかない。
山育ちの正太たちにとって、見たことない、とてつもない広さだった。
驚くのは、まだ序の口だった。
江ノ島の砂浜は、まだ午前中だというのに、ものすごい人出で、色とりどりのパラソルが、タンポポの花のように浜辺を埋め尽くしている。
住んでいる町のいちばん大きいお祭りでも、こんなに人が集まることはない。
正太たちは、あらかじめ予約されていたよしずで囲っただけの海の家で、着替えをすませ、きそうように海にでる。
「迷子になるといけないから、なにかあったら必ずこの海の家に戻るように」
大人たちの注意もそこそこに、砂の感触に子どもたちは、キャーキャーと声を上げながら、波打ち際に走り出していた。
子どもたちは川と同じように赤いふんどしである。正太は海水パンツだったが、周りをみると大人も子ども、色鮮やかな水着姿がほとんどで、赤いふんどしの子どもの集団を不思議そうに眺めている。
石がごろごろしている川遊びになれている正太たちにとって、砂浜の感触は、不思議な世界だった。砂といえば、校庭の隅っこにある砂場の砂ぐらいしかしらない。
「おーいみんな集まれ。これから船に乗って江ノ島の沖の方へでてみることになった。船が怖くない子どもはいっしょにいくぞう」
「しょうちゃん、いっしょに船に乗ろう」
マーちゃんに励まされるように、正太も大人たちの後について船着き場へ行った。
船はがっちりとした木製の伝馬船で、船尾では、頭にちまきをしてふんどし姿に半天をはおった船頭が、力強く櫓をこいでいる。ぎぃーぎぃーという、リズミカルな櫓の音にあわせるように船は左右にゆらゆらと揺れながら沖をめざした。
船の進行方向の右手には、江ノ島の橋が島に向かってのびている。
島の裏側に回り、沖に近づくと、船は上下にも揺れ始める。
船の底が波をたたくバシャン、バシャンという音に正太はちょっと首をすくめる。
「正太、怖くないぞ。この船は大きいから、ちょっと波が高くても大船に乗った気持ちでいればいい」
大人たちは、正太の体が固まっているのを見て励ます。
沖にでると、大人たちはつぎつぎに海に飛び込み、たち泳ぎしたり、抜き手ですいすいと船の周りを泳ぐ。その中で、マーちゃんは、一人で沖へ沖へと大海原を目指して泳いでいった。大人たちは何にも心配することもなく、船はマーちゃんの後を追いかけるように、ゆらゆらと進んでいく。正太も一度は伝馬船から海に入ってみたが、濃い海の青は、底知れぬ怖さがあり、足と手をばたばたともがいただけで、すぐに船に引き上げてもらった。
5年生の夏のこと
海の思い出を夏休みの日記に書いていたとき、川遊びから帰ってきた同級生が、わざわざ正太の家に立寄り、マーちゃんが、頭に大けがをしたと知らせてくれた。
その日は、雨のあとで川が濁っており正太たちは川遊びをあきらめて、大願寺の庭で時間つぶしをしていた。
度胸試しの釜ヶ淵からさらに下ったところに、もう一つの度胸試し、大岩がある。
マーちゃんは、度胸試しの大岩から飛び込んで、川の濁りで見えなくなっていた岩に頭をぶつけてしまったのだ。幸い、頭に大きなこぶができ、5針ていど縫っただけすんだ。
「勇気があることと無鉄砲はちがう。こんなことしていたら、いつかは命を落とすことになるぞ」と父親から雷を落とされて、マーちゃんはそれから、二度と川で泳ぐことはなかった。
それにはもう一つ理由があった。
「小学校を卒業したら中学校で、野球選手になろうと思っている。野球の監督さんから、肩を冷やすといけないから、これからは冷たい川で泳いではいけないっていわれたんだ」
翌6年生になった夏、正太がマーちゃんを川で見かけることはついに一回もなかった。
小学校を卒業して、正太とマーちゃんは同じ中高一貫教育の私立学校に進学し、マーちゃんは、迷わず野球部に入った。
毎日毎日、汗と泥で、どろどろになりながら練習に励み、帰りの電車もいっしょにならなくなり、正太ともあまり言葉をかわす機会がなくなっていった。
でも、幼い頃からずっといっしょに育った、マーちゃんとは、その後も不思議なつながりが続いた。
2011年3月21日 15:08