正太のお父さん その1
サラリーマン
正太の父親のことは、何度か話の中に登場しているけれど、どんな人物なのか。
正太が生まれたのは父親が36歳の時で、干支が三回りちがいのひつじになる。
正太の名前はもともとは正大と書いて読み方はまさひろであったが、区役所で出生届けを出したときに、書類の黒い染みが偶然「大」の字の左下についていて、大が太になってしまった。
このいきさつはすでにふれているので詳しくは書かない。
小学校に入る頃までは、家族はまさひろと呼んでいたが、隣近所や正太の友達が、ショウタ、正チャンなどとよぶものだから、いつの間にか家でもショウタと呼ぶようになってしまった。
父親は届け出た区役所に名前の訂正を求めることもしなかった。
そんなところからも正太の父親は、ある面おおらかであるが、ある面いい加減なところもあった。
ダジャレを言うのが好きで、正太が大好きなダジャレはマヨネーズをはじめて食べたときに、「真夜なかに寝ずにつくるからマヨネーズという」といったことだった。姉や兄には評判が悪かったけれど正太は、おもしろいと思っていた。
だが、毎日の生活のこととなると、厳格であった。
それは仕事と関係していたようだ。
正太の父親は、大きな製薬会社のサラリーマンで、経理部に所属していた。
数字を扱う部署で万事にわたって細かいことまで、きちんとしないとつとまらない仕事ということもあって、普段の生活も規則正しく、整理整頓を怠らない。
子どもたちや母親にも、厳格さを求めるところがあり、それに逆らったりすると、ちゃぶ台がひっくり返ることもしばしばだった。
だから、正太の家族はよほどの無理難題なことでない限り、父親の言うことに逆らうことはしなかった。
正太はまだ、よくわからなかったが、兄や姉は父親が間違ったことを言っていたり、無理強いしているのではないことをよく理解していた。
父親は子どもたちを同じようにしかり、同じようにかわいがり、決してえこひいきすることはなく、つねに公平に接していた。
そんなことも子どもたちが、父親を尊敬する理由になっていた。
茶筒にお湯
「もう時間がない」
父親のいつにない怒鳴り声に目が覚めた正太は、布団から抜け出した。
母親が茶の間と台所を行ったりきたり、おたおたとしているのが子ども部屋のドアの隙間から見える。
とうの父親は、ワイシャツに袖を通しながら、怒りが収まらない様子で、ボタンを留めるときもネクタイを締めるときも、いつもとちがっていらいらしているのがわかる。
父親の会社は東京の日本橋にあり、正太が住む町からは電車で、二時間近くかかる。
朝、6時40分発の東京行の直通電車に乗り、会社に着くのは8時40分。始業時間が9時だから、ゆっくり間に合う。
だが、6時40分の電車に乗らないと次の電車は、時間があきすぎていて、始業時間には間に合わない。唯一の直通電車が、仕事場への貴重な足だった。
毎日5時半に起床して、朝ご飯は6時ちょうど。父親は顔を洗い髭をそり、背広に着替えて台所の大きなテーブルに向かう。そこに母親が、温かいご飯と味噌汁、なにがしのおかずを出して、ゆっくりと朝食をすませる。
食事が済むとお茶を飲みながら、新聞にざっと目を通す。
日曜日をのぞいて、判で押したように毎朝同じことが繰り返されていた。
だが、母親がちょっと寝坊することもある。
すべて母親が悪いわけでなく、目覚まし時計が鳴らなかったり、うっかり起きる時間をあわせていなかったりしたことが原因だから、父親が注意していれば寝坊は防げるような事が原因だった。
だが、父親はきちんとした時間に起きられなかったことの責任を、万事母親に押しつけて、いらいらぶりぶりと怒っているのだ。
「ああ、もう時間がない、食事はいい」
話し方の端々に刺がある。こんなことは滅多にないのだが、一日の始まりが万事きちんとしないと気が済まない父親の性格は、こんなときに特に現れる。
「でも、もうすぐ準備できますから」母親は台所から返事をする。
「そんな急いで食べたら体に悪い」と父親の語気は、さらに強くなる。
「おなかを空かしたまま仕事にいく方が体に悪いでしょ」
母親も負けてはいない。
「いや、落ち着いて食べられない方が体に悪い」
もうどっちが体に悪いかのやりとりになっている。
「食事は、いいからお茶だけでも入れてくれ。茶腹も一時と言うだろう」

父親の言った、チャバラモイットキという意味が正太にはわからない。
「まだお湯が沸きませんから、ちょっと待ってください」
母親はますますおたおたして、石油コンロに火をつけようとしているが思うようにいかない。
父親は、茶の間のちゃぶ台に前に座って、バサッ大きな音を立てて新聞を開く。
その音に、母親はあわてたように、コンロの上のやかんをとりあげようとして、「アツイ」と声を上げ、あわややかんを落としそうになった。
ガシャンという音に、茶の間の方から「もういいと言ってるだろう」という父親のいっそういらついた声が響く。
そんな言葉にも母親は、大きめのお盆にやかんと急須と父親の湯呑み茶碗を乗せて、茶の間に運んだ。
「いま、すぐ入れますから、お茶ぐらい呑む時間はあるでしょう」と、茶の間の柱時計をみる。
「分かった急いで淹れなさい」新聞を閉じながら父親が急かす。
母親は、茶筒のふたを開けると、やかんを取り上げてなにを勘違いしたのか、お湯を茶筒の中に流し込んでしまった。
「なにやってるんだ、茶筒にお湯を入れをどうするんだ」
母親は、さらにあわてて茶筒の中身を、急須に入れる。
茶筒の中の茶葉が、急須からあふれてお盆の上に広がる。
それを見て父親は、ちゃぶ台から立ち上がり、背広を着ると鞄をもって玄関から出かけてしまった。
正太は一部始終をみていたけれど、そのことを姉にも兄にも話すことはなかった。
ただ、後で兄にチャバラモイットキという言葉の意味を教えてもらった。
お母さんも大変だったけれど、お父さんは本当にお腹が空いたまま、仕事に行ってしまったのだなということを知った。
2010年9月 9日 10:05
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