涙の二部授業

誰もいない校庭

 学校の門をくぐった正太は、誰もいない校庭をぼんやりと眺めていた。

 人っ子一人いない校庭に、正太はこの世の中からだれもいなくなったような心細さを感じた。不安が心の奥底からつきあがってくる。夢であってほしい。いま、くぐったばかりの校門から、同級生たちがくるのではと振り返る。しかし校門は二本の石の柱が立っているだけで、人影はない。

 正太の目に涙が、じわっとあふれてくる。

 遅刻したのだ、もうみんな、自分のことをおいて教室に入ってしまったのだ。

 遅刻なんかしたことがないのに、今日に限って、誰も誘いにきてはくれなかった。

 秋子も、かっちゃんも、どうしたのだろう。

 正太は教室に行くのが怖かった、人っ子一人いない校庭を横切っていく勇気はなかった。

 じわじわとわき出てくる涙で、校舎もかすんで見える。

 声には出さなかったけれど、正太はわんわんと心の中で泣いた。そして、一目さんで家まで走った。

 家からでるときも、戻るときも誰にも会うことがなかった。まちから人が消えてしまった。正太はますます心細くなり、自宅の玄関の引き戸を開けるやいなや、一気にワーと声をあげて泣き叫んだ。

 「どうしたの、正太」

 声に驚いて母親が飛び出してくる。

 「学校に誰もいない。道にも誰もいない。同級生がみんないなくなったあ」と、手放しで泣き叫ぶ。

 「正太、落ち着きなさい。お母さんは、もうそろそろ正太が学校へ行く時間だと思って帰ってみたらもう姿が見えないので、おかしいなと思っていたのよ」 

 「だって、12時になったら学校に行くようにってお母さんいったでしょう。柱時計の短い針が、ちゃんと12時を指してから、ボク学校に行ったんだよ、でも、だあれもいなかった。校庭にだって誰もいない」

 涙といっしょくたになって、なにをいっているのかわからない。

 「正太、この時計、昨日の夜から止まっていて、お父さんにネジを巻いてもらおうと思っていたけれど、昨日の帰りを遅かったし、今朝は早くから会社に出かけたので、そのままになっていたの、ごめんなさい。でもお昼ご飯を食べてから学校へいくことになっていたから、大丈夫だと思ってお母さんもちょっと用事で出かけていました。外で遊んでいたけれど、この前みたいに疲れたらだめだから、早く帰るようにってお母さんがいったでしょう。忘れていたの?」

 事情が飲み込めた安心感と、お昼ご飯を食べてから学校へ行くという母親との約束を忘れて、止まっていた柱時計を信じて学校まで行った自分の間抜けさに、ようやく気分が落ち着いた。

 正太の小学校では、児童の数が増えて教室が足りなくなり、一年生の時から二部授業となっていた。

 一部が午前中、二部が午後から授業を受ける制度だった。

 午後の部の児童たちは、午前中はなにもすることのないので、友達と遊ぶことになり、あんまり遊びすぎて肝心の授業時間には疲れはて授業にならないという事態が起きてしまった。

 そこで、学校から午前中はあまり遊ばないようという

 連絡がきて正太も母親から注意されていたのだ。


柱時計

 それにしても、柱時計が止まっていたとは、と正太は今更ながら、時計をみて大慌てで飛び出したことをおかしく思った。


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 正太の家にある時計は、茶の間の柱時計と父親の枕元にある目覚まし時計、あとは父親の腕時計の3つだけだった。

 生活の時間をみるには、柱時計で、ネジ巻き式だから、一週間に一度、父親が脚立に乗って、柱時計に扉を開き、中においてあるネジでカリッカリッとネジを巻く。

 振り子が左右に振れながらコツコツと秒を刻み、一時間ごとボーンボーンと音の数で時をしらせ、半になるとボーンと一回だけ鳴って教えてくれる。

 母親が昨日から止まっていた柱時計のネジを巻き、目覚まし時計に時間を見ながら、針をあわせる。

 「正太、今はまだ11時だから、ちょっと早すぎたようね」

 母親は笑いながらそういうけれど、誰もいない校庭にポツンと一人でいたときの心細さは、たとえようもなく悲しかった。

 「お母さんどうしてこんな時間に学校へ行くことになったの?」

 「二部授業になったからって、昨日もちゃんと説明したでしょう」

 「だから、どうして二部授業なんてやるの?どうして朝からいつも通りに学校へ行っちゃいけないの?」

 ほら始まった、とばかりに母親は正太のだからどうしてにどうやってつきあおうかとちょっと間をおく。

 「正太にはわからないことがまだ、たくさんあります。日本は正太が生まれた頃に大きな戦争をしていました。とても大変な戦争で、たくさんの人が亡くなりました。正太が生まれたのは戦争が終わる二年前だったけれど、その頃、お国のためにたくさんの子どもを生みましょう、ということになって、正太と同じ年の子どもがたくさん生まれたの。そして戦争が終わって平和な時代になって、その子どもたちがみんな小学校に入ることになったら、あんまり大勢でお勉強する教室が足らなくなってしまいました。そこで、みんなが勉強をするには、一日に一回では足りなくて、一日に二回に分けなければ、ならなくなってしまったのです。でも今日は正太たちが1時からで、明日はいつも通りに8時からだから、我慢しなければね」

 正太には戦争中にお国のために生まれてきた自分が、なんで二部授業になるのかはっきりは飲み込めなかったが、子どもがたくさん生まれたのは戦争のせいだったということは、新しい知識だった。

 正太は、母親のつくってくれた昼ご飯を食べ、時計が12時を指すのを待っていた。

 そうこうしているうちに玄関の前の道がにぎやかになってきた。  

 その声につられるように正太は今日、二度目のランドセルをしょって勝手口から元気よく飛び出す。

 玄関下の石段を下りると、同級生たちがにぎやかに話し声をあげながら学校に向かっている。

 いつもの風景を見ながら、正太はさっきの人っ子一人いなかった通学路を思い浮かべていた。

 それはやはり、この世の中から誰もいなくなり、自分一人だけが取り残された、心細さと恐怖を思いだして、正太は思わずブルッと身体をふるわせた。






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