氷屋のおっちゃん

でっかいのこぎり

 そののこぎりの大きさは半端ではない。

 普段家で見慣れているものと比べると、まるで子どもと相撲取りぐらいの差がある。

 のこぎりの背は鯨のように丸く大きく、背から歯までの幅もやたら広い。

 そしてなんと言っても歯の大きさがすごい。

 一つ一つがまるで鯨の歯のようにでかい。しかも、全体が銀色に光っている。

 「ちわーす」、台所口であがる景気いい声は、氷屋のおっちゃんだ。

 漫画を読んでいた正太は椅子から飛びあがるようにして下りて、入り口に向かう。

「奥さん、今日はなん貫目にしておきますか」

 正太の母親が、木製の冷蔵庫の上の扉をあけて、中をのぞき込むと、冷気が白い煙のようにふわぁと流れ出てくる。

「そうね、一貫いただいておこうかしら」

「はい、一貫目ですね。まいどありがとうございます」

 氷屋のおっちゃんは、近所中に聞こえるような大きな声を残して玄関の方に向かう。正太は急いでおっちゃんの後を追いかける。

 玄関前の石段の下に止めてあるリヤカーのところに戻り、おっちゃんはかけてあったぶ厚いむしろをはずす。

 むしろの下には、長方形をした透明な氷が縦に並べられていた。

 氷のまわりには白い冷気の煙がたっている。

 おっちゃんは、そのうちの一つを横倒しにすると、いつもの大きなのこぎりを出してきて、氷を二つに切り始める。

 シャーコ、シャーコと小気味いい音が響く。

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 鯨の背が前後するたびに、木くずならぬ氷くずが、雪のように前後に飛び散る。

 正太の目的はこの氷くずだ。

 「手出したら危ないよ」

 氷屋のおっちゃんは、正太がなにをしたいのかわかっている。

 正太も、仕事を邪魔しないように、氷の前の方から眺めている。

 シャーコ、シャーコとのこぎりをさらに数回前後にひく。

 正太に向かって飛んでくる氷の削りかすを手のひらで受け止める。

 夏の暑い日差しをうけて、削りかすはあっという間に淡雪のように溶けていく。

 氷に隙間ができると、おっちゃんはやわらのこぎりを引き抜いてひょいと背を下に返す。

 正太はここからが見所だと、じっとはおっちゃんのもつのこぎりに目を凝らす。

 氷の隙間にのこぎりの背を軽く落とすと、氷はスパンと下まできれいに割れた。

 切り口が冷たく透き通っており、向こうの景色が透けて見えるようだった。

 大きな氷の塊は、一貫目に切りわけられた。

 「おみごと」と正太は、声に出さずに叫んだ。

 おっちゃんは、氷をはさみの親分のようなもので挟むとひょいと持ち上げ、リヤカーの上の残った氷にむしろをかけた。

 氷からポタポタと落ちる水滴で、乾いた石段から台所の入り口に向かって黒い点がつづく。

 「ありがとうございました」

 「ご苦労様」

 おっちゃんは、下げてきた一貫目の氷を冷蔵庫の上の扉をあけて押し込む。氷室の中で残っていた氷とぶつかる音がした。

 

夏だけの冷蔵庫 

 6月の終わり頃になると、正太の母親は冷蔵庫の掃除をはじめる。

 木製の冷蔵庫は上下二つの部屋にわけられている。

 上の部屋は小さくてそこは氷をいれる氷室で、下の部屋は大きくこちらには、中に仕切棚があってお肉やお魚、そして大好きなサイダーやビールの瓶が入る冷蔵室になっている。

 大きめのすいかを入れるときには、仕切棚をはずして、まるで冷蔵庫の主のように真ん中にどんと置く。

 冷蔵庫の内側は、灰色の金属性で、外側の壁との間に断熱材が入っており、全体の大きさに比べると中はずいぶんと狭い。

 扉には波形をした取っ手がついていて、取っ手の先を金属の留め金にしっかりと止めないと扉に隙間ができて、そこからせっかくの冷気が漏れてしまう。

 正太は力がなかったので、しっかりと閉めることができず、そんなときは「また、冷蔵庫の扉をしっかり閉めていないのは正太でしょう」と兄や姉から文句を言われる。

 氷室の冷気が冷蔵室とつなぐ隙間から降りてきて、冷蔵室を冷やす仕組みになっている。

 突然のお客がきたときには、氷室にサイダーなどを入れて冷やすこともあった。もっと急ぐときには、氷を砕いてガラスコップに入れて冷やすこともあったが、氷がなくなると冷蔵庫が冷えなくなるので滅多に氷を使うことはなかった。あらかじめお客が来る事が分かっている場合には、氷屋のおっちゃんに氷を届けるように頼むようにしていた。

 ともかく氷は貴重品だった。

 「氷室は用が無いときは開けないように。冷蔵室はいつもしっかり閉めるように」と母親は口うるさく子どもたちに注意していた。

 夏場に食品が傷むと食中毒になるので、冷蔵庫は食品の保存場所として、重要な存在であったし、それゆえに氷は貴重な存在だった。

 それでも外で遊んで汗をかいた後、冷蔵庫をあけて冷気をあびるとすずしく、すっと汗が引くので正太は母親の目を盗んでは、冷蔵室に頭を突っ込んだりして密かに楽しんでいた。

 それにしてもと、正太は小さな疑問を感じていたい。

 夏になると氷屋のおっちゃんは、リヤカーに氷を積んで忙しそうに運んでいるけれど、冷蔵庫は夏休みが終わる頃にはもう使わなくなり、当然氷を買うこともなくなるので、おじさんは夏の間しか商売していないことになる。

 また夏がくるまでなんにもすることがないのだろうか、それとも、夏の間一生懸命働いたご褒美に、あとは遊んで暮らしていけるのだろうか。

 ありとキリギリスの話を正太は思い出していた。

 正太は、分からないことがあるとなんでも兄に聞くことにしていた。

 「ねえ、お兄ちゃん、氷屋のおじさんは氷がいらなくなる冬はどうしているの?」

 「正太はどう思う?」兄はいつもきまって正太の考えをまず聞いてくる。

 「うん、ボクは夏の間にたくさん氷を売って、そのお金であとは暮らしていると思う。ありとキリギリスのお話のように」

 「そうか。でも夏の4ヶ月位の間に売った氷の売り上げだけで、あと8ヶ月も暮らしていけるかな」

 「じゃあ、お兄ちゃんの考えは?」

 「うん、正直に言うとわからない。きっと別の仕事しているのだと思うけれど」

 「別の仕事って?」

 「別の仕事ってそんなの決まっているでしょ」といつの間にかそばにきていた小さい方の姉が突然口を挟んだ。

 「正太、氷屋のおじさんは夏が過ぎたら、来年の夏に売るための氷をつくっているの。はい、これが正解」というなり、大きな声で笑った。

 それにつられるように、兄も笑いながら「正太、こんな話をまともに聞いたらだめだよ」

 正太は、小さい方の姉の話が正しいのではないかと、半分いやそれ以上に信じて始めていた。

 「なぞなぞ、"夏、氷を売っている氷屋のおっちゃんは、冬の間はなにをしているでしょうか?"答えは"来年の夏に売るための氷をつくっています"」と正太。

 「それじゃ私がいったことそのまんまで、なぞなぞになっていない」

 こんどは、3人でいっしょに大笑いした。








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