花咲くお風呂

お風呂がバスルームに


 正太の家にはお風呂があった。

 近所でお風呂のある家は珍しく、お風呂がない家では、隣近所でお風呂のあるうちにもらい湯したり、銭湯にいくのが普通だった。

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 正太の家のお風呂は、引っ越してきた当時は湯船が古びた桧だったのを、二年後に改装したのだった。  壁から床は白タイル、湯船は縁が青いタイルで、中は白だった。桧の時と比べると、見違えるほどど豪華で父親は、「風呂場がバスルームになった」と横文字を使ってたいそうご満悦だった。それを聞いた正太も正太で、「どうしてお風呂のがバスになったの」と車のバスと勘違いして訳もわからないまま無邪気にはしゃぐばかり。

 「正太、友達にそんなこというとバカにされるから、絶対に外では言っちゃだめ」と、小さい姉に釘をさされても、「うちお風呂がバスになった」という正太の口を封じることは、もはやできなかった。

 お風呂の完成日には、恥ずかしいからいやだという母親を無理矢理水風呂に入れて、写真を撮り大阪の親戚に送るのだなどと、父親はカメラを取り出してまたひと騒ぎ。

 湯船は扇形をしていて洗い場は広く、兄弟4人で入っても十分よゆうがある。

 姉たちは、母親が手を離せないときに、正太をお風呂に入れて、といわれて仕方なくいっしょに入ることはあったが、正太は湯船でおならをするからという理由で滅多に入らない。

 兄は、いっしょに入ると、湯船に沈んで潜水遊びを教えてくれたり、シャボンの箱に手ぬぐいをかぶせて、口をつけて息を送ってはぶくぶくと泡を吹き出すなど、いろいろと風呂遊びを教えてくれた。

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 風呂当番

 4年生になった春から、正太は家のことを手伝うようになった。もちろん自分からそうすると言ったわけでもなく、母親がそろそろ正太も家のお手伝いをするようにということで、風呂当番を任せられるようになった。

 「学校の当番もちゃんとできないのにお風呂なん沸かせっこない」と例によって小さい方の姉が、憎まれ口をきいたが、「だからこそ、役割を決めて責任を持ってやらせるようにしなければ、正太はちゃんとできますね」と母親のいつになくきつい言葉に、正太はしっかりと頷いた。

 風呂釜は風呂場の外にあった。

 釜は銅製でずんぐりとした円筒状をしており、中は上下二重構造になっている。上には上がり湯用のタンクがあり、下が風呂の湯沸かし用になっている。

 正太は風呂を沸かす前に必ず確かめなければならないことがある。第一番目が、湯船に水を満たすこと、忘れると空炊きになって風呂釜を傷めてしまう原因になる。

 これだけでも責任は重大だった。

 二番目に上がり湯のタンクに水を満たすこと、これはタンクについている専用の蛇口をひねっておけばいいのだが、そのままにしておくとせっかくの上がり湯が使っているうちに冷たい水でさめてしまうので、その日に使うぶんを入れたら、蛇口を閉めておかなければならない。主に、父親や姉たちが頭を洗うときに使うので、坊主頭の正太にはあんまり関係がなかった。

 お湯を沸かす燃料は、薪だった。

 炭をうっている店から、ひと月おきぐらいに薪の束が配達された。薪の束をしっかりと巻いている針金をはずして、その日に使うぶんを風呂窯のところに運んでおく。 

 新聞紙をグシャグシャにもんで柔らかくして、釜にくべる。その上に裏山でいくらでもひろえるヒバの木の枯れ葉を、こんもりと山のようにしておき、新聞紙の下の方からマッチで火をつける。すぐにヒバの枯れ葉が、パチパチと音を立て始めるので、そうしたら細目の木枝をそっとくべていきそこに薪を乗せていく。乾いてる薪ならすぐに燃えるが、外においてある薪は雨などに濡れ湿気ていると、くすぶって煙が外にまでもれてくる。

 こうすると薪に火がつきやすいと、裏山のヒバの枯れ葉を使うように教えてくれたのも、細い木の枝を積み重ねるようにくべるように手取り足取り教えてくれたのも、兄だった。やってみると確かに、一発で火がつき、あとは火が消えないように気をつけながら、お湯加減をみながら沸き上がるのを待つだけだった。


冬の風呂たき

 なんといっても寒い冬の風呂たきはうれしかった。

 釜の中の赤い火をみているだけでも、気持ちがぬくくなる。夏は、なんとか釜から遠のいていたいと思うが、

 冬は、風呂を沸かす時間がくるのが待ち遠しい。

 正太の住むまちは、東京でも山間にあるので、冬になると猛烈な寒さになった。都心では雨というときには、かならずと言っていいほど雪になる。裏山は南向きだが、一山超えた北向きの山では、降った雪がななかな溶けずに、ずっと残っている。

 そのあたりの山あいの田んぼは、冬ともなると全面が凍って、天然のスケートリンクになり、ゴム長靴の下に竹を細く切って ひもで結び、スケート靴がわりにして子どもたちは、滑っていた。  大人は、北の斜面につもった雪で、スキーを楽しんでいる。

 正太は、電車で西に5つほどいった駅にある、天然氷のスケート場に遊びに行くので、スケート靴をもっていたが、田んぼのスケートリンクでは、手すりががないので、どうしても怖くてなかなか滑ることができなかった。しかも、みんなが長靴で滑っているのに、ちゃんとしたスケート靴ははいているとかえって恥ずかしく、入場料は無料だけれど、スケート靴で滑る勇気はなかった。

 「お父さんが、今日は早く帰るといっていたから、お風呂を早めに焚いておいて」

 と母親にいわれ、夕飯前から顔を照らず真っ赤な火に、頬を赤く染めて、その日の夕方も風呂釜の前に座っていた 。

 いつものように、火おこしをして、薪がしっかり燃え始めたところで、正太は本をとりだした。  

 冬は、風呂を沸かすにも時間がかかるので、釜のところに座る場所をこしらえて、好きなマンガや図書館で借りた本をもっていって、読むことにしている。

 「正太、まちがって本を釜にくべないでね」

 母親から、冗談とも本気ともとれるような注意をうける。

 以前に、庭でたき火をしていて、うっかりマンガの本を読み終わったと思って燃やしてしまい、わんわん泣き叫んだことがあり、その時から母親は、正太のおっちょこちょいぶりを心配している。

 早く帰った父親といっしょに風呂に入る。

 父親の背中を流し「正太は力があるから、背中を流してもらうと気持ちがいい。湯加減もちょうどいいし、正太はよく家のことを手伝っているのでえらい」

 父親のほめられて、正太はうれしかったけれど、照れくさかった。

 「あんまり長湯していると、のぼせますよ。でたらよくふかないと風邪引くから注意してください」 

 風呂の外から、母親の声が聞こえるのもいつものことだった。

 暖まったあとは、もう寝るだけ。

 子ども部屋の自分のベッドにいくと、お風呂後の正太は、いつもあっと言う間に寝ついてしまう。

 「正太は、すぐにねられてうらやましい」

 「何にもしないで、動き回っているし、なんといっても悩みがない少年だもの」

 と兄や姉たちは、ぐっすりと寝込んでしまった、正太の鼻をつまんだり、耳をひっぱたりしている。

 夜寝るのが早い正太は、目覚めるのも早い。

 兄弟の誰よりも早く目覚め、父親の食事の準備をする母親といっしょに起きてしまう。冬の外はまだ真っ暗だ。

 「正太、お風呂場にいってごらん」

 正太は、母親に促されて、台所のおくの風呂場の引き戸を開いた。

 中はまだうす暗い。引き戸の横にあるスイッチをパチンとあげる。

 風呂場がパッと明るくなった。

 「わーきれい」。正太は思わず声をあげた。

 風呂場のガラス戸というガラス戸に、真っ白い氷の花が咲き乱れている。

 母親がいつの間にか正太の後ろにきて、いっしょに窓に咲いた氷の花をみている。

 外の寒さで、風呂場の湯気が窓ガラスに凍り付き、さまざまな花模様になっているのだ。大きい花、小さい花、中には太い茎のまわりに開いているように見える花模様もある。どれもこれも真っ白だが、それぞれに不思議なほど花の形を描いている。

 「お母さん、これは菊みたいだ、こっちはダリア、チューリップもある、あっ、バラだ」

 正太は、自分が知っている限りの花の名前を大きな声をあげならが指さしていく。

 花を爪でひっかいてみると、細かい雪のように削れ落ちる。 

 「きれいな花模様は、正太がわかした湯気でできたのだから、正太がいちばんにみる資格があるでしょう。だから早く起きてこないかとまっていたのよ」

 「お兄ちゃんたちも起こしてこようか」

 「ほら、もう溶けてきたでしょ。部屋の温度があがると、すぐに消えてしまうから、正太一人で楽しみなさい。これからも寒い毎日がつづくから、何度でもみられます」

 母親いうとおり、見始めたときに比べると、もう花は あちこちで溶け始めている。

 正太は母親がいった通り、それから何度も花咲くお風呂の景色に出会うことができた。

 

  

 

 


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