2020年5月

エゴ贔屓


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好きなんだから仕方ない。

身心一如(しんしんいちにょ)


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肉体と精神は一体のもので、分けることができず一つの両面であるという言葉。なるほどと思いながら緊急宣言解除後の皆さんの様子を見ている。多くの日本人はこの二ヵ月の間、毎日のようにコロナ報道番組を観て、行動規範を正しく守ってきた(と思う)。

解除といきなり言われても、ハイ外出します、とはいかない。染みついた規範はそう簡単に離れてくれないのだ。

三密、ソーシャルディスタンスなどの言葉が連呼され、なんだか戦時下の日本のようだと思っていた。
「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」など数々の標語が生まれ、声をかけ合って、守らない者は非国民呼ばわりしたあの時代。

そして今、守らない者には、自粛警察なる者が現れた。なんだこれはと思った。おまえたちは戦時中の国防婦人会か?
そしてSNSでの中傷、誹謗など・・・と、なんだか呑み会のおやじになってきたので、チョン。

いずれにしても言葉の力は大きかったと思う。「三密」。たった二文字。スゴい。

週末は山だ!


食べ過ぎ


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自粛中につい食べ過ぎてしまって・・・と言う方は、案外多いかもしれない。小生も歩いているから良いだろうとか、あらもうこんな時間とか、散歩中におやつを買ってしまって・・・などついつい余計に食べていたように思う。

写真のヒマラヤスギ?も食欲旺盛だ。ネームプレートまで呑みこもうとする姿は、大きな魚を呑みこむアオサギのよう〜〜


新たな日常?


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喩えば墓の上で哲学するとか・・・


なんだ、この言葉。スッと入ってくるけれど、なんとも怪しげな言葉。
あの人が得意顔で使いたくなるような言葉だけに、そーはいかんぞ、と探りを入れたくなる。新たな日常? が始まると、なにが起き、なにが変わっていくのか。

新たな日常は、意識の変化から始まる。会社に出なくても仕事ができるじゃないかと分かれば、暮らしのカタチが変わる。人・モノが動かなくなると、カネも動かなくなる。当然、社会構造、形態も変わり、失業、倒産が増えていく。「新たな日常」を手放しで喜んではいられない。
 

自粛自主解除


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多くを語らず・・・・・

ウツギ ウツリギ ウヅキ


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ウツギの花が咲くと雨の季節が近いと思ってしまうのは、この花が半日影の場所を好むからかもしれない。初夏、やや日陰の森や山道で見かけ、白い花は遠くからも目につく。


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ヤマブキの花が散ってからは、白い花が山道を彩る。コゴメウツギ、マルバウツギ、ガクウツギ、フタリシズカ・・・涼しげで沢の音とよく合う。


山よ


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中野区もみじ山文化センターの裏庭


勿体ないなあ〜と雲ひとつない空を眺めながら、深緑に変わった樹々の中を歩いていると、山への想いが高まっていく。そんなときに、山の事故のニュースが入ってきた。

先月、今月と八ヶ岳、焼岳、妙義山で起きた道迷いや滑落のニュースだ。自粛中にもかかわらず・・・と記されている。
「なんでこんな時に・・・」。いつの間にこちら側の人間にすり替わって、いかんよなあ〜。

全国の山屋さんたちも今は忸怩たる思いで終息を待っているはずだ。いつか山小屋でこの年を語り合う日が、きっとくる。仕方がない。娑婆の花を眺めながら想いを募らせ、せめて心だけでも山へ飛ばそう。


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代々木公園

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明治神宮の森

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標高44メートルの箱根山五合目のベンチ

ポプラ


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歩いていると遠くに背の高い樹が見えた。近づくとあるお寺のなか、それもお墓の端っこにドンと聳えていた。都内では珍しい。しばらく眺めていた。小さい頃、この樹が好きでよく登っては風に揺られていた。枝が上に向って伸びているので、落ちる心配がなかった。

ポプラは北海道を代表する樹木で、小学校の校歌で歌われていた。

窓をのぞいて 立っている
ポプラとともに ぼくらは育つ わたしも育つ
雲をはらって すくすくのびよ
雪にまけずに ぐんぐん進もう
みんなみんな 肩くみあって

この樹を目にすると、少年が登っているのではないかと、つい探してしまう。


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代々木公園の樹は横に伸びていた