2013年10月

いざ松山へ



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石鎚山から下山すると、その足ですぐに松山に向かった。翌日の全国歌会のために、到着入りしている九州歌会のSさんから、前夜祭をやろうというメールが入っていたからだ。伊予西条から特急しおかぜに乗り込む。西条から松山までの直線距離は、たいしたことはないのだが、電車を使うと高縄半島を大回りすることになる。しおかぜ君は、まあ慌てずに、ゆっくり瀬戸内の海を眺めていきなさいなと、海に沈んで行く夕日を用意してくれた。



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ホテルの部屋からは松山城。よし、歌会が始まる前に行ってみよう


石鎚山 (日本百名山・74座目)


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日の出前の高松駅。誰もいない


N君に、松茸讃岐うどんやら海の幸コースをご馳走になった翌朝、早起きをして石鎚山を目指す。高松〜伊予西条〜石鎚ロープウェイ〜石鎚山のコースだ。ロープウェイの出発駅の温度計を見ると4度。駅員に聞くと、上の駅は0度を切っているだろうと言う。う〜む・・・台風が去ったとはいえ、風が強いし、かなり冷え込むはずだ。また、朝方まで降っていた雨の影響もかなりあるはず・・・。登る前から不安になる。まあ、ダメなら、そこで引き返そう。


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石鎚山は、西日本の最高峰の山だ。ロープウェイの上がっていく斜度も目眩がするほど急角度。おまけに風が強いらしく、かなり揺れる。高所恐怖症の症状が出てしまい、思わず目を下に向ける。なんとも気持ちがワル〜。山頂駅に着くとガスがかかっていて、この空気は冬バージョンだ。すぐに新品の赤のゴアテックス上下を装着。お〜暖かい。手拭を頭に蒔いてから、フードを被る。アタックザックに昼食と飲み物、キャンディ、そしてフリースを詰め込み出発。


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少し上がると、何人かが登山口が分からずウロウロしている。ガスで先が見えない上に、看板の表記が怪しい。ここで20分間のロスタイム。頂上までは約3時間だ。少しずつ稼いでいけば、何とか予定通りに着くだろう。しかし、楽しみにしていた紅葉が見えないのが悔しい。グイグイと登る。途中から風が強くなる。やがて耳元から風の音が絶え間なく聞こえるようになり、喧しいことこのうえない。


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しかし階段の多い山だ。後半は、これでもかというように階段が、次々に現れる。おいおい、勘弁してくれ〜と口にする。何度も小休止をするのだが、風が強いので、ゆっくりも出来ない。力を振り絞って、歩を進めていくと小さな小屋が見えた。山頂小屋だ。やっと到着。百名山の75座目を制覇。


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振り返ると、ときどき霧が消えて石鎚山のピークが見え隠れした



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始めてのパノラマバージョンで撮ってみる


N君のこと


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彼の家に到着。雨で瀬戸内海の眺望が・・・残念



昨日、松山から帰ってきました。先週の金曜日、台風26号を迎え撃つかのように飛行機は高松へ。約一時間半、台風と激戦の末、なんとか高松へ着陸したときには、身体は硬直。ロボット歩きをしながら出口に向かうと、古い友人N君が、ニコニコしながら待っていた。四国を訪れるのは四回目で、高松は三度目。毎回N君が駆けつけて、最高のおもてなしをしてくれる。


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奥さん、お母さんを亡くした彼は、自宅のリビングを改装し、週末カフェを始めた。
自ら料理を作って、訪れる人達に喜んでもらうことで、元気をもらっていると言う。



彼と出会ったのは、もう40年前。中野の小さなアパートで、一人暮らしを始めたばかりの頃だ。深夜、仕事が終わってアパートに帰ると、すぐに洗面道具をもって銭湯に駆けつける。身体を洗っていると、番台にいたおやじさんが入ってきて、ブラシで床の掃除を始めるので、椅子をずらしながら移動する。隣で同じことをしていたのが、彼だった。そして顔を合わせるたびに話すようになった。



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彼は何でも作る。ピザ釜(写真上)もデッキも石垣もビーチまでの階段も
雨が降らなければ、ここでピザをご馳走になる予定だったのだが・・・・


彼は、母をひとり高松に残し、デザインの仕事を覚えようと五年間、修行をするつもりだと言った。志も高く、なぜか気が合った。こちらは四畳半で、彼は三畳間。今思えば、信じられないような狭い部屋で、お互い赤貧の生活をしていた。やがて些細なことで大家さんと言い争いになり、アパートを出ることになった。すると彼も同じような不満をもっていたらしく、一緒に出ると言った。その後、移ったアパートでも隣同士になり、本の貸し借りや週末のランニングなど、正しい青春まっしぐらをして過ごした。


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プライベートビーチには、台風が運んだゴミが漂着。N君は、ここから
カヌーやカヤックを出して、素潜りでタコやサザエなどを採っている


五年の月日が流れ、別れの時、彼はこう言った。「お前がいなかったら、つまらない東京だったかもしれない。五年間、ありがとう」と。
出会いから40年。「お前がいたからこそ、今日の俺がある」と言ってくれる。
友とは、ありがたいものだと思う。



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ご自慢のMGBも紹介してしまおう


落花



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初夏から咲き続けていたハゴロモジャスミン。開花期間が長く、甘い香りを放っているが、そろそろ終演の頃か。徒長枝についた花が、アササンコースにいくつも散っていた。「猛烈な台風」と、最近は台風の前に、その凄さを表すようような言葉がつき始めた。今世紀の終り、台風は風速80メートルになるらしい。40メートルでも、山で飛ばされそうになったことがあるのだから、どれほどのものか、形容される言葉さえ想像がつかない。地球上で起きている災害は、地球環境の悪化であることを私たちは知っている。それなのに・・・だ。
明日から四国へ。石鎚山は無理かもしれないなあ。


マルバフジバカマ(丸葉藤袴)



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秋の七草のひとつフジバカマ。その仲間で外来種なのが、このマルバフジバカマ。なんでも、約100年ほど前に、神奈川県の箱根の強羅自然公園に植栽されていたものが、逸出して全国に広がったらしい。花はこの通り白い色をしているので、最初これがフジバカマの仲間だとは思わなかった。少しずつだが、アササンコースで見かけるようになった。
切り花にしてテーブルの上に飾っておくと、静かな秋を感じさせてくれそう。


オシロイバナ




「昨日会った人が亡くなったような喪失感が、胸の中から引いてかない」と、天声人語にありましたが、まさしくそんな気持ちを抱えながら、歩いていました。天野さんの穏やかな笑顔と軽妙な話し振りが思い出され、何とも惜しい人を失ってしまたなあと・・・。でも、次の世代にきっと彼の意志は、受け継がれていくのではないかと、オシロイバナの種を見て、ふと思いました。



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この種を剝くと胚乳が現れ、潰すと白い粉が出て来ます。これをおませな女の子が白粉替わりに使ったことから、この名がついたようです。



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大きいものだけ選んで、本日ムカゴを少し収穫しました。


天野祐吉さん


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葉や花に残っている雨粒が、朝の光に輝いて、何とも気分の良いアササンだった。秋の晴れ間かね!?なんて〜意地悪なことを思いながら、家に帰って新聞を手にすると、コラムニストの天野祐吉さん死去の記事が飛び込んできた。えっ、先週までコラムを書いていたじゃないか・・・。
あー、また一人社会に灯を照らす人が亡くなってしまった。筑紫哲也さんの悲報を伝えられた時もそうだったが、ユーモアや洒脱のある批評家が亡くなるたびに、寂しさを覚えるのはなぜだろうか。天野さんは「人生は楽しく遊ぶためにある」と言っていたが、筑紫さんもそうだった。遊びと仕事を上手く両立させて、人生をエンジョイしていた。歳を重ねても、少年のような眼差しと問題の核心を見抜く力は、共通していた。日本を照らしていく人が消えていくというのは、何ともやり切れなく寂しい・・・。



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香り



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朝に夕に、金木犀の妖しい香りが漂っています。香りの刺激は、記憶を司る海馬に伝わり、さまざまなイメージをもたらすことで、脳にしっかり記憶されます。だからか、良い香りには、理性ではコントロールしきれない感情を呼び起こす力があるらしく、思わぬ情動に・・・金木犀の下を通ると、つい記憶を辿ってしまいます。


百八歳?



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このメッセージは、以前紹介した「謎解き」の御仁です。社会への提言や道徳の大切さを毎日のように張り出していたのですが、今回は趣が違います。どんな人が書いているのだろうねえ〜と思っていたのですが、これを読んでと言うか、眺めていたら、この方が朧げながら見えてきました。

台風一過。ムカゴは半分ほどになっていましたが、落ちた実は、来年また元気に芽を出すはずです。


台風と零余子



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先日のアササンで、大発見。こんなウフフを見つけた。誰もこれが、零余子(ムカゴ)だとは知るまい。そろそろ頂こうかなあ〜と思っていたら、この台風二十六号だ。零余子は衝撃に弱く、すぐにポロポロと落ちてしまう。なんとも、にっくき台風。何とか半分くらい残ってくれると良いのだが・・・。


さて、権師匠がここしばらく連絡がなかったので、心配をしておりました。もしかしたら、愛犬のゴンの体調が良くないのだろうと思っていたのですが、こんなメールが入ってきました。家族にそして動物たちに、いつも心優しい権師匠。お悔やみを申し上げます。


ご無沙汰しております。
老犬介護に最後の日がやって来ました。
覚悟はしていたが、やはりキツイね。
一ヶ月経ち、夫婦で流す涙もやっと枯れて来たのでご連絡致します。

9月14日午後11時30分、何時もの様にカレイの煮付けでごはんを食べて居間のソファーでグーグー寝ていたゴンが、急に『クワァーン』と何時もより長く鳴き、それが最期でした。
この所寝たきりで、トイレと食事と寝返りしたい時にクワンと鳴いて知らせるので、この時もそうだと思って見るともうすでに事切れていました。
今までの心臓発作とは明らかに違う、瞬時のことでした。

我が家に迷い込んで15年、推定18歳・・・よく頑張ったゴンちゃん、ありがとうネ!




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小池公園


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昨日、池上線にお住まいのK氏に頼み込んで、庭を一日お借りし「山ごはん」の撮影をした。全部で8品。撮影が終わるたびに、スタッフらと山ごはんなるビーフストロガノフやトマト煮のクスクスなどを次々に食べたのだが、これがどれも上手い。調理風景を目の当たりにし野外で食べるからか、はたまたH嬢の腕なのか、腹が空いているだけなのか、どんどん胃袋に収まっていき、夕方には満腹になった。
片付けが終わり、外に出ると子供たちの声が聞こえる。近づいていくと思いがけない風景〜。住宅街のど真ん中に取り残されたような大きな池があって、子供らが中に入って遊んでいる。どうして、こんな池が残ったのか、K氏に聞いてみた。
昔、この一帯は畑が広がっていて、池のある場所は釣り堀だったそうだ。閉店時に区が買い取り、様々な生き物が住める環境にして解放したとのこと。
暮らしの近くに、なかなか見られない池がポツン。子供たちの記憶に、いつまでもここでの遊びが、残っていくんだろうなあと眺めた。



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こんな山ごはん。上からカレーうどん、ナポリタン、ビーフストロガノフ、サンドイッチ。


風と雲


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紹介したい山の写真は、まだいくつもあるけれど、アササンコースにも秋到来だ。台風のせいなのか、毎日お天気がめまぐるしく変わっている。強い風が吹いてくれるおかげで、朝の澄んだ空は大パノラマとなって、秋らしい雲を絶え間なく見せてくれる。朝陽の上がる頃、雲はさまざまな白の輝きを繰り返して、慌ただしく、流れていく。


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ツラの葉も

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金木犀の花も風に散った


そして浅間山


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浅間は突然、頭を突き出してくる


一時間半以上登って、皆さん少しへばってきたようだ。こちらは普段の半分くらいのスピードなので、とても楽。というよりも、二日酔気味だったので助かった。あとわずかな頃に、「もう少しですよ」とSさんに、激励の声をかける。そして登り始めて約二時間、浅間は突然、頭を突き出してくる。「ほら、どうですか」と指差せば、皆さん感嘆の声・・・。


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「さあ〜左に見える、あのピークまで登りましょう」写真をクリックすると大浅間が!


途中下山してくる人に、今日の眺望はどうかと聞くと、ときどき雲間から見える程度だと言っていたのに、今クッキリの大浅間が登場したのだ。昨年は、雨男だったのに、今年はモーゼ・アルキメデス(^^♪イェ〜イ。良かった、良かった・・・。目を移していくと、雲海の下に小諸市も見える。


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ピークから見える浅間山の左側の景色


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さらに右側へ目を移すと小浅間が現れる


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真下へ切れ込むカールは針葉樹の森


これだけの迫力で広がる山の景色は、なかなか見られるもではない。真下へ切れ込むカールは針葉樹の森で、浅間山に向かって広がっている。その森の中には、赤く染まった樹々がいくつかあって、細い山道が緩やかなカーブを繰り返し、頂へと伸びる。山頂には、数人の登山者たち。
この瞬間を忘れないように、大きく息を吸い込んで、何度も目蓋のシャッターを切って、記憶に残そう〜。


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振り返れば、雲海の下に小諸市が広がる


*写真はOさん、Tさんからお借りしました。



森林インストラクターTさん


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登る前は、ガスがかかって景観は期待出来なかったのに・・・(写真:Kさん)



歌会の翌日、足に自信がある四人と標高2000メートルの高峰高原へ。ビッグサイズの浅間山を観たら、人生感が変わるはずですと豪語して、健脚コースをゆっくり歩き始めた。このコースは、夏冬に歩いている。バリエーションに富んだコースで、夏であれば、お花畑のなかを歩いているような気分を味わえるし、樹林帯や岩場などもあって退屈しない。途中の見晴らしの良い所では、小諸市をはじめ八ヶ岳まで眺望できる(はずだ)。


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登り始めると、ガスが消えて青空が広がった(写真:Tさん)


今回は、森林インストラクターをボランティアにしているTさんが一緒なので、さっそく白樺とダケカンバの違いを聞いてみた。木肌の白い方が白樺で、標高の高いところに生えるのがダケカンバ。ただ若木の時は分かりにくく、わりとクネクネしているのがダケカンバとか。登山中、樹木の本を開き、丁寧に説明をしてくれるので、疲れを感じずに高度を稼げた。五本の葉がついているから「五葉松」とか、この葉は、何枚でしょう!?とクイズを出してくれたりで、じつに楽しい。こんどのアルキメデスの集いでは、Tさんに講師をお願いしようかしらん〜。



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落葉する時はこのカタチで・・・正解は一枚です(写真:Oさん)




初恋りんご風呂


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つくづくネーミングは大切だよな〜と、足でりんごをつつきながら思う。「初恋りんご風呂」ねえ〜。ご婦人をロマンの世界に誘い込むような、素晴らしい名前だ。誰がつけたんだろう〜と、りんごの匂いを嗅いだりしていたら・・・突然、扇山(山梨)の帰りに立ち寄った「君恋温泉」を思い出した。


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風呂と脱衣所に仕切りがない。これが良いんだよねえ〜


地図に、そのキュ〜ンとする四文字を見つけ、鼻息を荒くして駆けつけると、なんとまあ、玄関の横におしめが干してあった・・・。いまなら、ジェジェだ。なんだよ〜これ〜。なかに入ると、小さな風呂なので順番待ちだと言う。後から駆けつけてきた登山者たちも、「えっ、ここなの」なんて言っていた。仕方がない、ここまで来たんだからと、500円を払って風呂場に入るとまあ小さなこと。四人も入れば、満員札止。その時も思っていたな・・・「なるほど、ネーミングは大切だな〜」と(^^;。たしか入浴後は、コンニャクのサービスがあったりして・・・あそこは、今どうなっているんだろう〜。


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こちらは、露天風呂。やや熱かった



*この中棚荘の「初恋りんご風呂」もOさんの写真です。


小諸吟行歌会



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年四回の「四季の歌会」を始めてから丁度二年が経ちました。よし、小諸で記念歌会をしようと、歌会仲間に声をかけたところ、地元の歌友三人も加わって\13名に/。吟行場所は当然、懐古園です。心配していた雨は時間を計ったかのように上がり、懐古園は秋が始まったばかり。園内の木々が、ゆっくりと色づきを始めていました。一時間ほど経つと、あちらこちらで皆さんが紙に向かって歌をつくっています。この風景がとても好きで、毎回嬉しくなります。しみじみ、始めて良かったなあ〜と。


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歌はどれも、素晴らしいものばかりでした。


一席/風祭智秋

不器用だった恋の
面影を辿れば
どこかあいまいな
草笛の
旋律(メロディー)に似て


*今回は、カメラの電池を忘れると言うボンミスをしてしまい、Oさんの写真をお借りしました。



ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)



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濃紺のブドウの房のような実をたわわに付けている。これは「洋種山牛蒡」。ヤマゴボウではなく、ヤマブドウモドキでもなく、なぜかヨウシュヤマゴボウの名がついている。
北米が原産で、明治初期に薬草として栽培されるようになった。しかしその生命力の強さで栽培地をぬけだし、各地に野生化した帰化植物だ。美味そうに見えるが、有毒成分が実や草、根にまで含まれているという、とんでもない植物だ。それなら一層のこと「毒性山牛蒡」にすべきだろう〜!と思った。


ミズヒキ


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ミズヒキは、幸せを運ぶ花。赤い蕾に、小さなシジミチョウがとまっているが、ピクリとも動かない。もう羽がボロボロで、鱗粉も落ちている。随分と飛び回ったのだろう。終息を迎えて、選んだ花がミズヒキなんて、いいんじゃないかな。



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昨日の夕方、虹が出ててるよとメールが来た。ベランダに出ると、空のアチコチに大きな虹が出ていた。こんなにたくさんの虹が出るなんて、珍しい。そしてブーメランのような形をした虹の断片も雲間から・・・。今ごろ、メールやツイッターで、この虹情報が空を飛んでいるのだろうなあ〜と思った。


ヤマブドウ(山葡萄)


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ヤマブドウを見なくなって久しい。小さい頃は、札幌の近郊の山で、よく見かけた。学校が終わって山に入り、ターザンごっこで遊んでいた頃、誰かが高い蔓にぶら下がるヤマブドウを見つけた。皆猿のように蔓を登ると、手を伸ばして無心に食べた。手も唇も葡萄色にさせて・・・ところが糖度が高いからなのか、すぐさま舌が割れた。食べたいけれどヒリヒリと痛む。仕方がなく、ブドウを採って持ち帰ると、母は葡萄酒を作ろうと言って、一升瓶に一粒ずつ入れはじめた。全て入れると新聞紙を固く丸めて、瓶に差し込んだ。
ある晩、台所で大きな音がした。初めは誰もそれが、なんの音が分からなかった・・・。恐る恐る父が見にいくと・・・ヤマブドウの醗酵する力は、凄いものだと知った。


薪割り



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八ヶ岳にはこんなあだ名がある。小屋ヶ岳。山の大先輩が、山小屋のあまりの多さに、こう命名したらしい。主だった主峰のそばには、いくつもの小屋がある。まあ、この話をすると長くなるので今回は止めよう。冬期も営業する山小屋は、その準備を夏から始める。代表的な作業が薪割りだ。薪フェチを自称しているので、どうしても薪が積まれている場所に目がいってしまう。木の種類、薪の大きさ、長さ、そして薪の積み方など木の匂いを嗅いでいると、昔々、父親の横で鋸や斧の使い方を教わった日々を思い出す。父が薪ストーブが好きだったのかどうか知らないが、我が家には長く薪ストーブがあって、小学校高学年から高校生まで、授業が終わると丸太を均等な長さに切ってから、薪を割るという作業を仰せつかった(嫌でたまらなかったが)。

腰いれて下ろせ。木の乾きを見て力を入れろ。危ないから遠くに薪を飛ばすな、などなど。
五年ほど前のこと。早くに着いた山小屋の前で、そこのおやじさんが薪割りをしていた。懐かしくなって、変わろうかと声をかけて薪割りを手伝った。「お〜上手いもんだな」。当たり前だ、こちとら小さい頃からの筋金入りだい、と二時間ほどかけて薪を積み上げると汗まみれだったが、気分が良かった。父親の教えが、今ごろ、こんな所で役に立つとはねえ・・・。
小屋のおやじさんからお礼にと貰った白ワインは、スイスイっと旨かった。

木の中心の同じカ所に切れ目を入れていく。これがかなり難しい。後一撃で割れるなと判断したら、適度な力で振り下ろす。すると、薪はスコンと静かに割れる。これが良いのだと、そんなことも言っていたな・・・。