2018年7月

夏酒


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夏酒と聞くと、心がサワサワしてしまう。なんと心が踊り、ゴクリとする言葉〜。夏酒。しかしよく考えると、これはなんであるか。ググった。

この呼び方が生まれたのは最近のことで、夏の日本酒需要の伸び悩みが背景にあったらしい。つまり夏酒という呼び方によって「夏でも日本酒がおいしく飲める」ということを知ってもらいたかった。
というわけで、夏酒といってもたくさんのタイプの日本酒がある。

・酸味の効いたスッキリとした飲み口の白ワインタイプ
・フレッシュな味わいが楽しめる生酒タイプ
・キリリと冷たい原酒ロックタイプ
・お米の栄養が詰まったにごり酒


なるほど、なるほど・・・一つに定まっていないのね。夏酒とは各酒蔵から提案されている「夏においしく飲める日本酒」のこと。それでいいらしい。


サプライズ


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台風12号が上陸しなければ、先週末は親子4組と一緒にこんな景色を見ていた(はず)。山岳会「家族登山普及委員会」のイベントで上高地一泊二日が中止になった。残念だけどお天気には逆らえない。

夏休み最初の週末に台風なんて・・・観光地や野外のイベント会場は、中止・キャンセルが入って、大きな打撃を受けたことだろう。我らもすで用意していた食糧をどうするか悩んだ末、メンバーのNさんの自宅でホットドッグパーティをやろうという話になった。


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ワイワイとビールがすすむなかで、ピザでサプライズ〜♬
誕生日がバレていました。家族以外で祝ってもらえるなんて、初めての体験。
嬉しい〜皆さん、ありがとう。
Mちゃん、Tさん、プレゼントありがとうございました。

ルート66は、どこに向って延びていくのでしょう。


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ありがとう〜


懐かしい写真


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このリンゴ、掌よりも大きい、そして美味い!


ORMAC50回の山登りをまとめようと、写真のチェックをしていたら「歩キ眼デス」にアップしなかったカットがいくつも出てくる。どんな思いでシャッターを切ったのだろうと、ついつい眺めては当時を思いだしている。たとえば、青森の市場でのイカとリンゴの価格に驚いた。
マイカ20パイで2,000円、リンゴ三個で150円。どうよ〜。


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なのにフジツボ一皿2,000円。分からん・・・


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この価格・・・なかには、タラコか白子か


山道


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今日の新宿周辺は27度。涼しい・・・数日前から10度くらい下がっている。せっかく暑さに慣れてきたのに〜なんてほざいていたら、週明けからふたたびの猛暑らしい。

この山道を思いだしながら山百合の歌を一つ作った。御岳山から日の出山へ向う途中にこのカーブがあって、いつもここで足を止める。なんだろう、映画のワンシーンに出てくるような迷宮への入口というか、このまま歩いていくと白いワンピースの女の子がポツンと立っているのではと想像してしまうようなポイント。結界!? 今なら山百合の花がいくつも咲いている。


黒蝶を
放った  山百合
甘い香りで
異界へ
おいで  おいで


!!


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昨晩、歌会の帰りの電車のなかで、Oさんと思わぬ話で意気投合した。暑さ対策になるか分からないけれどと、我が家のエピソードを話しはじめた。

「水道水までお湯のようだねえ」などと言いながらトイレに入って、ウォシュレットにタッチ・・・!?・・・!!。なんとお尻に真水。冷たいというか、ビックリで、「あれは、調節したの」と家人に聞くと「いいでしょう、我が家で一番ヒンヤリする瞬間」とのたまう。一瞬、背筋が伸びるような体験だった。

試すといいかもしれないよとOさんに話すと「じつは我が家でもそうしています」と答える。えっ、ホントに。いやはや、思いがけないことを同体験していたのだ。

なんか地下水脈で繋がっているではないかと、後で可笑しくなった。


なら、行かん


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キャッチを書いたコピーライター氏、ここまで暑くなるとは思ってなかっただろう。眺めているうちに悪戯をしたくなった。「が」にマジックで×をつけて、「も」の字を入れる。
ライター氏、今ごろ臍(ほぞ)を噛んでいる違いない。


熱き吟行歌会


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まあ〜この暑さなか、吟行歌会なんて、死の行軍では・・・
そんなご意見もあるかと予想し、今回はインドアでの吟行歌会を企画した。新宿歴史博物館で新宿の歴史と「〜錦絵で読み解く四谷怪談〜幻想の新宿」という企画展の世界に浸って、歌を捻ろうじゃないかという試みだったが、参加者は五人。皆さん強靭な体力の持ち主だった。


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新宿歴史博物館までの道のりが、暑くて辛い。何とか辿り着けば、館内に人は少なかった。まずは内藤新宿の縮尺模型展示ジオラマがドンと現れた。じっくりと眺めていると学芸員の方がやって来て、江戸から昭和にかけてのさまざまな説明をしてくれる。江戸時代から、内藤新宿で暮らしていたのではないかと思うほど、もの知りの方だった。もしや名のある方なのではないかと思い、自己紹介をして名刺交換をさせてもらった。


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あの日の暮らしがそこかしこにあった


館内は涼しくて楽しい。撮影どこでもオッケー。ワイワイと昭和の世界を楽しんだ。もっと時間をかけて、見たいところだが、すぐ近くの消防博物館の予定も入っている。それ〜と火事のような世界に飛びだしたのだった。


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消防博物館もゆっくり回ると、江戸からの消防の歴史がよく分かる


アチイ〜


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今日はこのパラソルの下にいても暑いだろうなあ。蝉の死骸をいくつか見つけたけれど、一鳴きしたのだろうか。明日は吟行歌会・・・大丈夫か!?


キーホルダー作り


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先週末に登った三頭山(1524m)に、一緒に登りませんかと山岳会のMちゃんから声がかかった。10月に予定している家族登山の下見で、今週末だという。お〜、何とタイミングが合わないことか・・・。現地のコース情報とキーホルダーが作れる木材工芸センターの楽しさを説明して、行けないことを伝えた。

三頭山の麓にある木材工芸センターは、木工の楽しさを教えてくれる。二度目のキーホルダーは猫にチャレンジ。なるべく大きく、難しい形を選んだ。糸鋸の扱いは意外に難しい。とくに複雑で小さなアールを描いていくときは、背筋を伸ばして体を動かさず、丁寧に慎重に・・・。それでも糸鋸はラインから外れていく。

さて次は何を作ろうかなと、猫ちゃんを窓辺に飾ってみた。



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さらば


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スマホ君の最後の仕事は撮影だった。ピンが合わせ難い、青と赤の色が出ない、接写に弱いなどと飼主にブツブツ言われながらもメールやライン、電話、検索にとよく働いてくれた。
35度を超えた猛暑の三頭山で、息絶え絶えで残してくれたのが、これらの写真。二年間、あちこち共に旅をした・・・ありがとう。


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小さなエゾハルゼミの抜け殻

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甘酸っぱい木イチゴ


熱い夏


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ついにお前もか・・・スマホが熱中症になって息絶えた。三連休の最後は、買い替えの手続きで一日が終わった。母を送って、スマホを送って、やれやれと思っていたら「この歌、ダントツの一席でした」のファックスが秋田「雪葩五行歌会」から届いた。



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昨晩は本郷歌会。題詠「開」をテーマに多種多様な19首の歌が集まった。「開」を旅した人たちは、自分の歌に、そして選んだ歌にコメントを寄せた。入口は同じでも出口が違う。どんな旅をしてきたのか、それぞれがその旅を語った。大いに笑ったり、なるぼど〜と想像をめぐらしたり・・・題詠歌会、好いかもしれない。
12月には、恋の歌を歌おうと二次会で盛り上がったのだった。

選んだ歌はこんな歌・・・

人生百年となれば
私の未来は
洋々と
開かれている
としよう

ゆっくりと
瞳孔 開き
数多の
「嘘」
を 見極める

空に浮かぶ
冷蔵庫が開いて
限りなく
降ってくる
神経症

待つこと
待ち続ける
柔らかな気持ちが
閉ざした心を
開かせる

小生の歌はこんな・・・

この透き通った青い目を見ろ
粋がいいの 分かるだろ
叩くなり
開くなり
好きにしやがれ


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まずは・・・


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半分青いなどと言いながら、流氷に想いを寄せて地ビールを楽しむ


ビールが好きだ。美味いビールのために山登りをしているのではないか・・・と下山後、口の回りに泡をつけてそう思うときがある。まずはビール。・・・だが、じつは最初だけ。渇きが癒えてきたら、ビールにはお引き取りを願う。その後は、旬の肴をアテに夏酒となる。薬味たっぷりの鰯のなめろうとか、鯵の南蛮漬けとか、茗荷と胡瓜の酢の物など、こんなのと一緒に冷やでキューー。ア〜〜たまらん・・・


風鈴


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きれいな音のする方へ行ってみると、組まれた棚に沢山の風鈴がぶら下がって揺れていた。真下に入ると、ガラスの奏でる音がじつに賑やか。短冊には子どもの字かな、名前やら思いやらが好きに書かれている。

風鈴は昔、軒先辺りから聴こえたものだが、最近は音がうるさいと近所からクレームが入ると聞く。夏の夕方、路地に響く下駄の音を楽しんだものだが、今はそれがない。防音対策として、下駄の裏にゴムのシートが貼られている。

運動会の練習の音や声までに地域からクレームが寄せられるというし、了見が狭いというか、風情を楽しめないというか、世知辛い世の中になったものだ。


流木


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母の葬儀の翌日、勇払の浜辺を歩いた。風があって、潮の香りがして、遠くに苫小牧のパルプ工場の煙突が見えた。煙突からの煙は、ほぼ真横にたなびき海の方に流れていた。母を送った実感が、まだ湧かなかった。

流木を見つけたので、立ててみようと思った。湿った砂に深く埋めたら、すべすべの細い流木はスッと立った。「なんでそんなことをするの!?」。母なら、そんなふうに聞いてくれると思ったからか・・・
あの流木、まだ海を見つめているだろうか。


陽子さん


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この写真は、三階の展示室に入ってすぐにあった。「あっ、陽子さん」。図録を見ると、カメラマンの名に荒木経惟の名前がある。ずいぶん昔、どこかの図書館で見た写真集「センチメンタルな旅」で、被写体となっていた荒木陽子さんに心を惹かれた。夫との新婚旅行の中で見せるその虚ろげな表情。

この人の哀しみのような翳に、不思議な既視感を覚えた。以前にも会ったような、もしかしたら探していたかのような、そんな女(ひと)。

「原色のようだった私に、君はその虚ろげな表情がいい」と、天才アラーキーに口説かれて、人生が大きく変わったとあった。天才は最初の一歩から、もう天才なのだ、と思った。
陽子さんは、24歳で天才と一緒になり、42歳の若さで他界された。


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反面、太陽のように明るい陽子さんでもあった


陽子さんとの思いがけない再会をつくってくれたのは、じつはこの歌。

葬式に向かう
婆さまたちの
祭りに行くような
明るい笑顔
写真展の一枚

このお婆に会おうと、写真美術館に足を運んだのだった。
お婆たちの抜けたような笑顔にエールを貰った。クヨクヨするな〜
暑い夏は、美術館、写真館がおすすめ。シルバーパスが使えるし(^^)V


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雨に思う


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雨にあたると見る見るうちにガラスの花になるサンカヨウ(photo by sasamoto)


梅雨明け、台風が消えたにもかかわらず、西日本では線状降水帯なる怪しげな雨雲が、繰り返し発生して、大雨を降らせている。センジョーコースイタイ・・・なんか怪しげである。

かつてないとか、気象観測史上初めてなど、その凄さを喩える言葉を聞くと、これはただ事ではないと思う。風速80メートルのハリケーンとか、50度を超える猛暑など、よその国の話だと思っていたが、天と地からこの国を揺らし続ける。いつか国家予算が災害対策費用として、消えていくのではなかろうか。



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水を浴びると・・・

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透明になってしまう


弛んでいる


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ある作家のエッセイを読んでいたら一駅乗り越してしまった。四谷駅前にはトンネルがあるというのに、気がつかない・・・頭が弛んでいる。

その作家は「怖い短編」をまず紹介をした。一人の男が結婚式でスピーチを始める。話が長くなり、三十分経ってもまだ話をしている。一時間、二時間、三時間・・・式場がパニックになっていく。話題になった短編らしい。それと同じ体験をしたというのだ。

ある有名な話好きの女史が乾杯の前に、新郎新婦の馴れ初めからプロポーズまで、延々と約三十分、話し続けていた。乾杯が始まらない。同席していた作家の久世光彦氏が、通る声で「長いなあ」と言った。それでもその女史の話は終わらない。

しばらくすると、ピンスポットの中の女史の顔の前を白い煙が流れていった。女史がふいに「長くなりましたので終わります」と言った。照明が点くと久世氏が美味そうにタバコをくゆらせていた。

あとにもさきにもあんな恰好のいい煙草の吸い方を見たことがない・・・そんな話に、ニヤニヤしていたら市ヶ谷駅でドアが開いたのだった。



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はまなす


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経済発展に伴い、日本の浜辺から砂浜が消えた。いや、少なくなった。子どもの頃、夏休みに預けられていた親戚の住む日高の浜辺には、ハマナスの花が咲き乱れていた。そばには小さな沼もあって無数のトンボが飛んでいた。

高校生活が終わる頃、北海道である歌がヒットした。ザ・キッパーズが歌った「はまなすの恋」。北海道のブルーコメッツ(いま思えば、笑っちゃう)と呼ばれていた。ときはGSの時代。ググってみた・・・結成は1963年。なんと、結成以来一度も解散をしていない長寿バンドとして、今も活躍しているという。
えっ!?55年経つぞ。

ザ・キッパーズ/はまなすの恋


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白いハマナスなんて、初めて見た


記念写真


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娘と甥っ子、年齢が近いから話しが合うらしい


家族葬であるはずなのに、ずいぶんたくさんの人がやって来るものだと、挨拶をしていくと、ほとんど知っている親戚、そして繋がりのある人ばかり。50人もいただろうか。こんな時でなければ会えないね。そんな言葉を交わして、叔母たちや従兄弟、姪や甥たちと久しぶりに話をした。

20年前、父の葬儀のときに娘と甥と姪6人が並んで撮った写真があった。今回も同じ並びで撮ろうということになり、母を真ん中にしてパチリ(前は父が真ん中)。二つの写真を並べると楽しい。小学生、中学生がみんな成人になっている(あたりまえか)。次は、俺が真ん中になるのかな〜と言えば、誰が撮るのだ〜と甥っ子からツッコミが入った。


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母逝く


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母を送った翌日、家族と近くの浜を歩いた


もう7月なんだと、昨日カレンダーを見て気がついた。過ぎ去っていった時間だけを思っていたら、過ぎていく時間をすっかり忘れていた。

28日、出棺の日、降り続いていた雨はピタリと止んで、北海道らしい晴れ間が広がった。母を送るのにふさわしい空。洩れる光が、さまざまな木々の緑を輝かせた。父も弟も、別れの日は吹雪だったから、嬉しい六月の青空だった。

この日は、いつか来る日だった。いや、もうすぐ来る日だった。妹から母のさまざまな数値が下がり始めたことを、知らされていたので、覚悟はあった。弟から「お母さん亡くなったよ」の連絡を受けた時、間をおいて思ったのは、「辛さからやっと解放されたね」だった。

名ばかりの長男は、母のことのほとんどを妹に頼っていた。母が90歳になった時に妹は、こんなことを言った。「私一人が母を独占しているみたいで、申し訳ないね」「いつ母とお別れをしても何も悔いはないよ。沢山のことをしてもらって、沢山のことをしたから」。

その言葉は温かかった。気遣うその優しさに感謝した。いくら母のことを思っても、妹にはまるで敵わない。きっとそんなふうに思っている兄への配慮の言葉だったのだろう。

あれやこれや、書けばきりがない。人生は続く。