家出人と宿主


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瀬を早み・・・われても末にあはむとぞ思ふ


今朝の福岡伸一さんのコラムを読んで心がときめいた。この歳になってときめくなんてことは、そうあるものではない。まずこの歌を読んでほしい。

我慢ではなく
辛抱かもしれない
撲滅ではなく
共生
共存なのかもしれない

ある歌会の題詠「辛抱」で詠んだ歌だ。
コメントを求められれば、人生観や自然観について語ることになるけど、どう話していけば良いだろうと思っていた。最初の二行についてはこうだ。

人間の英知は、私たちに快適で心地の良い暮らしを提供した。しかし今度のコロナウィルスの試練は、人間が私たちの社会が、いかに脆弱であるかを突きつけた。

楽観や期待を込めた我慢だけでやり過ごせない。先を見据えた辛抱する覚悟が必要なのではないか。それにしてもウィルスが人間を脅かすというのは、何か意味があるのではないか、だった。

喩えば・・・驕ることなかれ、人類

人は自然を克服することはできない。この地球という大きな生命体の中において、ウィルスもまた存在する意味や価値があるのではないか。そんなことをぼんやり考えてこの歌を詠んだ。

福岡さんはこう解いていた。
いくつかを紹介すると

・ウィルスは高等生物の遺伝子の一部が外部に飛び出したもの、ウィルスはもともと私たちのものだった(ひっくり返るくらい驚いた)。
・家出人を宿主は優しく迎え入れている(ここは面白く、納得できた)。
・おそらくウィルスこそ進化を加速してくれる。
・宿主に気づかれることなく行き来を繰り返し・・・

コロナウィルスも彼が唱える動的平衡の理論に組み込まれてゆく。痛快で分かりやすく様々な疑問がストーンと落ちていった。結びはこうだ。

かくしてウィルスは私たち生命の不可避的な一部分であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウィルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。

歩いて、感じて、言葉にしていく。こんな楽しいことが人生の一つなのではないか。今日は偉そうにそう言えるような気がしている。


たらの芽


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フェンスの向うに見えたわずかな葉の形状を見逃さなかった。紛れもなくたらの芽である。誰がこんな場所に植えたのか。ツツジを分け入ってフェンスから顔を出すと、背丈を伸ばしたたらの芽が目の前に現れた。
手を伸ばしたが、ちょっと育ち過ぎ。今年は諦めようと、グッと我慢した。来年ね、しっかり場所を確認  (^^)V

こんなところでたらの芽が・・・よし、週末、そっと山に入ろう。


なぞかけ


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飼主も急かさない、いい関係


転職したばかりの娘がテレワークとなり終日家にいる。午前中のやり取りが終わったら、これといった仕事も無いらしく、暇を持て余している。よって朝晩、顔を合わせての食事が増える。週末の夕食時に、ひょんなことからなぞかけをしようとなった。
突然、娘がコロナとかけまして・・・と言いながらこちらを見た。しばしの沈黙・・・。

できました。コロナとかけまして・・・

テレワークとなった君と解きます。

娘:そのこころは〜

シボーが増えています。

上手い!と娘は大笑いして、受けてくれた。

家人:ちょっと不謹慎かも。

昔、独立したばかりの事務所で、シェアした仲間と毎晩、なぞかけや格言パロディをしながら呑んでいたことを思いだした。仕事が少ない頃で、落語好きの仲間らが酒と肴を持ってきて、遅くまで大いに笑って遊んだ。ここで笑いのツボを鍛えられたのかもしれない。

最強の敵を笑いで吹き飛ばしたいものだが、ウィルスはなかなかしぶとい。

では最後に、コロナへの対応とかけまして

SMの女王と解きます

そのこころは

たえしのぶ さん。