新たな日常?


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喩えば墓の上で哲学するとか・・・


なんだ、この言葉。スッと入ってくるけれど、なんとも怪しげな言葉。
あの人が得意顔で使いたくなるような言葉だけに、そーはいかんぞ、と探りを入れたくなる。新たな日常? が始まると、なにが起き、なにが変わっていくのか。

新たな日常は、意識の変化から始まる。会社に出なくても仕事ができるじゃないかと分かれば、暮らしのカタチが変わる。人・モノが動かなくなると、カネも動かなくなる。当然、社会構造、形態も変わり、失業、倒産が増えていく。「新たな日常」を手放しで喜んではいられない。
 

コメント

 「新しい日常」いつもマスクをして、他人とは安全距離を空けて、對面を避けて、等と言ふ生活はまるで地球では無く、酸素の少ない有害な環境の太陽系以外の未知の惑星に降り立った地球人の姿ではないか、と思った。此の言葉を遣って居る連中は、片假名言語を得意氣に遣ひ如何にも自分達は新時代の最先端の生活樣式を先取りして居るんだ、と感違ひして居るのではないだらふか。人間は矢張りマスクなんかせずに、安全距離を空けずに大いに話合ひ、飲み合ってこそ、人間らしさや、人間社會で共同生活を營んで居る實感を味はって行けるのではないだらふか。
 今後、地球が、或は太陽系が、宇宙の未知の危險な空間に新しく突入して行く、と言ふなら仕方ないが、未だ暫くはフツーの空間を移動して居ると言ふのに。何か變だ。

2020年5月26日 13:31 | 雅蘭洞英齋居士

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