2020年12月

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冷え冷えとした月明かりが、コロナの地球を照射している


一年間、歩キ眼デスをご贔屓いただきましてありがとうございました。
2021年もよろしくお願いいたします。


Merry Christmas


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こんな看板が交差点を見つめてた
家族との時間が増えた一年だった

昨年は、バタバタして掃除もまともにしないうちに一年が終わった。今年は余裕をもって、紙類、資料などをご苦労さ〜んとばかりに、紐でグルグル巻きにしていく。積んでおいたモノがドンドン無くなっていくのは気持ちがいい。

一片付けしての昼飯。蕎麦屋の店主と客が一年の〆の挨拶。遠くにそれ聞きながら蕎麦を啜る。暮れを感じる心地いい時間だ。仕事もすっかり少なくなって不安だが、見えてくるものもあった。

コロナ禍の流れは川のごとく、無用も有用も、削り、呑み込み、解かして、やがて何もなかったかのように大河となるのだろう。

たゆたえども沈まず、この先に見えてくるものを見たい、知りたい。

忙中、感あり


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ようやく年賀状とカレンダーなどの入稿作業が終わってひと息ついた。明日から掃除、整理をしながら、コロナ禍の一年を振り返るのだろう。無かったことにしたい年だったが、考えてしまう一年でもあった。

人、モノ、情報が動いてこそ、カネが動き、経済は回る。流動しなければ経済が保てないというのは、まさに体と同じだ。血やリンパ、髄液が流れていないと決まって体調に変化をきたす。

戻すためには、血液をサラサラにする「go to???」という特効薬の投与。初めは効き目良好だったが、症状との相性が悪くなって投与中止に追いこまれる。

クスリ漬けにしても、体そのものを鍛えなければ、正しい回復にはつながらないのではないか。いつまでも打ち出の国債から小判を出し続けて貰っていいのだろうかと、危惧してしまう。

石岡映子


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東京都現代美術館で石岡映子の大懐古展「血が、汗が、涙がデザインできるか」を観てきた。というか体感をしてきた。さまざまな展覧会を観てきたが、こんなにもアドレナリンが出まくったのは初めての体験。美術館を出た後も興奮が収まらず、凍て月の光を浴びて頭と体を冷やした。
彼女のスケールの大きさをあまりにも知らな過ぎたのだ。

館内にインタビューに応えている石岡の声がずっと聴こえている。日本での広告の時代を「静」とするなら、ニューヨークへと拠点を移し、舞台、映画、ミュージカル、オペラ、サーカス、オリンピックへと活躍の舞台を広げた時代は「動」。その圧倒的な仕事の質量に押しつぶされた。

館内はいくつもの空間に仕切られている。映画やオペラ、サーカスなど、その場に居合わせてるかのような展示空間の演出が凄い。音と映像、そして彼女のデザインした衣装の森の中で、呆然と立ち尽しているとアドレナリンが分泌しはじめた。一つの個性、才能は、ここまで大きくなるものだろうか。空間を移動をしながら感じたことはそれだった。

色校正、コンセプト案、デザイン画、絵コンテ、どれも妥協を許さない石岡の姿があった。今まで自分の歩んできた世界にこんな人がいたのかと思うと、茫然自失となった。

年が明けたら、もう一度、行こう。行くしかない。

石岡映子「血が、汗が、涙がデザインできるか」
2021年2月14日まで。


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一度来てたはずなのに、建物の構造をスッカリ忘れていた


冬至


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朝一番に、今日は冬至です、のメールが入った。すっかり忘れていたので、嬉しくなった。寒波が来ようと、雪が降ろうと、変異種のコロナがイギリスで拡大と聞いても、今日から日が長くなると思えば、希望の光が差し込んできたような気分だ。

そして宙では、木星と土星も超大接近するという。それが約400年ぶりと聞いてもよく分からない。もしかしたら土星的な人と接近するのだろうか、期待してみよう・・・。


視線


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何らかの画面見つめて日が暮れる

こんな川柳を見つけ、まさに現代の風景を詠んでいると感心した。電車の中、レストラン、公園、そして歩きながらも、老いも若きも画面を見つめて今を流れていく。

先日、車内で文庫本を読んでいると、両隣りに座った人が読書を始めるという不思議な時間を体験した(昔なら当たり前)。三人が並んで本を読んでいるのだから、反対側の席からは、どんな風に映っているのだろうと、頭を上げると皆さん一心にスマホの画面を見ていた。そうだよな・・・

これじゃ車内の中吊り広告も少なくなっていくのは仕方がない。寂しいものだが、今日見た中吊りに「お値段異常、コジマ」、これには笑った。「お値段以上、ニトリ」のパロディ広告。こんな広告を見てニンマリする。この人たち、気がつかんだろうなあ〜と眺めて電車を降りた。



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大雪が降っているよ〜と秋田の歌友からメールがあった。長野のRさんは、お願いをしていた吹雪と電車というテーマを見事なトリミングで撮ってくれた。寒い夜中に電車が来るまで待って、ただ感謝、うれしい。この写真に歌一首を入れてカレンダーにする。

昨年は、全く雪が降らず、そしてコロナ。温暖化の影響だろうかと心配していたが、ちょっと安心。この雪、コロナも封じ込めてくれないだろうか・・・


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マハにハマる


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知人から原田マハは、いいですよと教えられて、素直に一冊目を購入。「まぐだら屋のマリア」。「尽果(つきはて)」という架空の地で、夢を失った若き主人公が料理人マリアに助けられ、立ち直っていくという作品だ。一気に読み終えて、この作家には力があると感じ、次々に夢中になった。

ここにないもう一冊に「楽園のカンヴァス」がある。ルソーとピカソが生涯抱えた秘密をベースに、ミステリーに仕立てた作品。誰かに貸したのだろうか、見つからなかった。

原田氏は、元キューレーター。学芸員と訳されるが、美術館、文化施設の専門職の呼称で、欧米では一目置かれる職業だ。氏は、森美術館の設立に携わった後、作家の道をすすんだ。

そんな背景もあってか、美術や画家を描いた作品が多い。「たゆたえども沈まず」は、ゴッホのいた19世紀末のパリを物語にしている。折れそうで沈みそうなコロナ禍のなか、誰もがお呪いにしたい言葉になるのではないかと思う。

「たゆたえども沈まず」。
落ち込みそうになったら、口にしてみてはどうだろうか。


森を守る


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北高尾の山を下りてきたら煙をたなびかせている小屋があった。
小屋の入口横に山岳会のマークと「高尾の森づくりの会」のプレートが表示されていたので入ってみる。二人の男性が薪ストーブの前で談笑していた。薪の爆ぜる音がしたので、思わず「好いですねえ〜」と笑顔になって、まずは挨拶。

聞くと、この小屋は森を守るボランティアたちのベース基地で、伐採や植林などの作業を続け、高尾山周辺の広大な森を守っているとのこと。少しずつではあるが、針葉樹から広葉樹の森づくりも進めているらしい。

雇用期間の延長により退職者が少なくなり、ボランティアが減ってしまったとお二人は嘆く。200人近くいたメンバーも80人まで減ってしまい・・・・・どこも同じなんだ。

森を守ることは山を守ること。これから山はどうなっていくのかなと少々不安になった。


冬苺


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晩秋から冬にかけて、陽の当たる林道沿いで冬苺は赤い実をつける。小さくて粒もわずかだが、手にとって口に放り込むと、甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
こんなに沢山あるなら採っていこうかなと思っていたら、親子が小さなタッパをもう一杯にしていた。

「ジャムにするのかな?」と小さな男の子に話しかけると、とてもうれしそうに笑った。
いいなあ親子で・・・君はこの冬苺を忘れないと思うけど、おじさんも君たちのことを忘れないと思うよ。


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心拍数


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クラゲの寿命は約一年だが、ベニクラゲは不老不死といわれている


朝方、心拍数が上がってきて目が覚めた。体が水をくれ〜と叫んでいる。ごそごそと這い出し、水を補給しながら前夜の酒宴を振りかえる。そろそろ酒は終わりにしようと思っているのだが、止められない。

ずいぶん昔、五木寛之のエッセーに人や動物の心拍数は決まっていて、1分間の脈拍回数から寿命が計算できるとあった。数式はY=ax。Yは一生の心拍数。aが一年の心拍数で、xが寿命。つまり心拍数が多い動物は長生きができない。

心拍数で比較すると、ネズミ毎分600回で寿命約4年。ゾウやは毎分20〜40回で70年。ゾウガメは平均寿命146歳。

呑み過ぎの年間回数と早打ち心拍数をその数式に加えると、そんなに長生きはできないだろう。絶好調〜と言いながら、どこかでポキッと逝くのかもしれない。


赤紙


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いまの若い人に「赤紙」と言っても何のことやらサッパリ分からないだろう。新型コロナで医療体制が逼迫という大本営の発表を聞いて、いよいよ我が国の医療の旗色が悪くなっていると知った。

今日の歌会の参加者も少ないし、国民外出禁止令でも発動されれば、戦時下の空気(なんや知らんけど)に近づいていくのではないか。そしていつか我が身にもコロナからの赤紙が届くやもしれない。


焚き火


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コロナ禍、テレビ局はステイホームを意識した番組を考えている。先日紹介した旅をしない旅の番組「妄想トレイン」もそうだが、最近、身も心も預けてしまうのは「魂のタキ火」(NHK火曜日)。

焚き火を囲んで、初顔合わせの三人がポツポツととりとめのない話をする。カメラは炎と彼らを映しだす。たいした内容のある話なんてしない。焚き火の前ではそれがいい。主役はあくまでも燃え続ける焚き火だ。ときおり爆ぜる音がして火花が飛ぶ。焦げた臭いも漂ってるに違いない。

テレビ側の空いた席に我が身を置くと、あたかも四人で囲んでいるような気分になる。炎だけを見つめているといつしか話し声が遠くなっていく。
焚き火を囲んで呑んだのは、いつだっただろうか。


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暗渠


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神田川から高円寺へと続く長い一本道を初めて歩いたのは、もうかれこれ30年以上も前のこと。直ぐにこの道は昔、川だと分かった。不要となった川には、フタをされ道として残った。暗渠は都内にどれくらいあるのだろう。

人の往来が少ない暗渠の道。河の上という感覚で歩いていくと、時代を遡っていく気分になっていく。


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暗渠の道の特長はカーブが多いこと

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大きな道に出ると決まって橋の名前がでてくる


芸術の秋


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この緞帳を見て、すぐ分かる人は講談通だ


友人の展覧会、友人の姪っ子が監督をした映画、応援している講談師、落語家の舞台にと、この二週間、せっせと足を運んだ。

可笑しかったのは、講談の宝井琴調師匠のお話。目が合ったからこんなエピソードを語ってくれたのか「師匠のお嬢さんが、冬休みなんで子どもたちを連れて実家に戻っていたんですね。寒い日の朝、庭で洗濯板を出して自分のものを洗っていたら、お嬢さんが縁側で「子どもたち集合〜」「昔はこうして洗濯をしていたんです」

「昔じゃありやせんよ〜いまですよ〜ってブツブツ言ったんですが、修行中はよく赤切れをつくっていやした」。ここに出てきたお嬢さんこそ、本郷歌会の前代表のYさんだ。

菊之丞、権太桜の師走、晦日の話を思いだしながら、年の瀬の街を歩くというのも乙なもんだなと思うのだった。


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毎年恒例のネコ中心の展覧会

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絵師Kさんの姪っ子さん二本目の映画「空に聞く」を地元ポレポレ座で

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昨日は新橋ホールでご贔屓の菊之丞の「二番煎じ」を


ワクチン接種


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山茶花の花が散っていた


予防接種法改正案なるものが参院本会議可決され、国民にはコロナワクチン接種の努力義務が生じると報じられていた。有効性や安全性が確認できないのに随分と急ぐものだ。

新しいニュースでは、新型コロナの症状には100種類以上あるとNHKが報道。もしかすると先日の原因不明の顔の痛みは、その症状だったのかもしれない。ならば我が体には、抗体が出来ていると判断していいのだろうか。

焦ってつくったものには、当然リスクがある。様子を見守りたい。


流行語


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今年の流行語大賞は「3密」が選ばれた。これはもう異存のないところ。その他の候補を見ると「愛の不時着」「アベノマスク」「ソロキャンプ」など、馴染みのある言葉が目につく。しかし「フワちゃん」、これはなんぞや?
毎年、知らない言葉が選ばれることが多くなった。世間とのズレというか、距離と言うか、無関心というか・・・どちらにしても数年経つと「それなんだっけ?」となる。

この流行語大賞なる年末企画は、1984年(昭和59年)に創始されている。「イッキ!イッキ!」「セクシャルハラスメント」「オバタリアン」「小泉劇場」などは懐かしいが、「ブッチホン」「毒まんじゅう」「品格」・・・今となっては!?だ。

そういえば、流行り風邪という言い方があったが、
今年ならもちろん・・・

アボガド



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窓辺に置いたアボガドの種から芽が出ていた・・・