2019年5月

母の一周忌


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早い。あれからもう一年。これから母の一周忌のために札幌へ。初夏を一杯に吸い込んでこようと思っていたのにこれから雨模様。
でも小学校の恩師と仲間、そして中学時代の友人ら、札幌歌会の方々、親戚家族と会える。


昆虫少年


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トンボや蝶が飛んでいるのを見ていると、夏だなあ〜と少年時代に戻っていく。シオカラトンボやギンヤンマを見つけると心躍り、オニヤンマには崇めるような思いで、その堂々たる飛翔を追っていた。そんな思いは刻み込まれているらしく、すぐに昆虫少年に戻っていく。


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和紙工房


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今回の山旅プログラムには、和紙工房見学をセットした。「見学時には、なるべく声をかけないようお願いします」と担当者から事前に云われていた。猛暑の中、工房を訪ね、ベテランの職人さんの後ろで、総勢八人は息を潜めて眺めていると、久保さんはにこやかに話しはじめた。


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手漉きの和紙職人が減ったこと、和紙作りのための道具を作る職人も全国で十人を切っていることなど、手漉き和紙の現状を話しながらも手は止まらない。無駄のない動きは美しい。力が入っていないように見える。が、軽やかなリズムがそうさせているだけで、とてつもない重量を受けながら、一枚一枚の和紙を仕上げているのだ。


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ここに三千本の極細のひごが編まれているという


先人が作った工房は、すべて木(竹)と布だ。木のしなり、膨張、乾き、水との相性をすべて計算されて道具が作られている。改めて日本人はスゴいと思う。巻きすを見せてもらって驚く。ひごの直径は、1ミリもない。つなぎ目の工夫、糸の紡ぎ方、どれをとっても、繊細な職人の技だ。


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久保さんは、若い人はそれなりに味わいのあるものを作る、紙には力強さがあると誉めたたえ、けっして自信の五十年の年期を自慢しなかった。こうでなくてはいけない・・・(反省)。
職人の話は、スッと入ってくる。モノ作り人間の共通した想いが流れているからだろうか。
久保さん、ありがとうございました。


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玄関には紙となる三種類の植物が

仙元山


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エゴの花が散りはじめました


土曜日もアツカッタ・・・。そんな中をORMAC隊は、標高****メートルの仙元山を目指した。埼玉県の小川町駅に集合し、野草を愛でながら川沿いの道を歩く。水辺には鳥たちが遊び、川は魚影が濃い。流れが長閑なので、ついペースも落ちる。


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地図を頼りに仙元山への道を何とか見つけ、分け入っていくと体感温度が一気に下がる。時おりエゴの花がはらはらと舞う。その一輪を手にとって嗅ぐと好い香り。白い絨毯を歩くのがもったいないくらいだ。一時間弱で山頂に到着する。眺望できる箇所はわずか、ウ〜ム残念。

それでも涼風が入ってくる東屋でランチしていると、達成感が湧いてくる。恒例のおやつとお惣菜交換をすれば、それぞれのリュックが軽くなる。心も軽くなる。さあ記念撮影をして、和紙工房を見学しましょう〜。


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3,000メートルには、ちょっと足りなかった・・・

古書店


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時間がなくて、通り過ぎてしまった京都の古書店。こんな中に一歩足を踏み込んでしまうと、時間を忘れてしまうだろうなあ。「日本絵双六集・・」「京都百年パノラマ館」「七福神の彫り方」「露地」・・・開いてみたくなるような本が並ぶ。店内の照明もいい味を出している。本の山に囲まれた向こうには、店主が置物のように座っているに違いない。どんな顔をした御仁なのだろう。
ところで、どこの通りだったか・・・忘れてしまった。


おはぎのさいち


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それは小さなお総菜屋さんだった。えっ、こんなお店なの・・・。週末ともなると、あるモノを求めで県内外から大勢の人がやってくる。周辺の道路は大渋滞となり、それを地元の人は「おはぎ渋滞」と呼ぶ。そう、美味しいおはぎがここで売られているのだ。

お店の名前は「主婦の店 さいち」。仙台市内から車で30分ほど郊外のごく普通の小さなスーパーマーケットだ。店内の一角にある「おはぎコーナー」まで、入口から真っ白な導線が標されている。粒餡、きな粉、ずんだ、納豆の4種類が陳列棚一杯に並ぶ。選んでいる端から手が伸びて、おはぎが無くなっていく。おはぎに失礼と・・・。

1個108円。いくつかの単位でパッケージングされ、一日で5000個が売れるという。秋保という小さな町まで、おはぎを買いにくるエネルギー・・・凄いというか驚き。周辺にはお店よりも広い駐車場が三つあり、誘導する警備員が何人もいた。いやはや、おはぎオソロシヤ〜

甘味が抑えられて、我が家での評判もよかった。全国のおはぎファンの方、ぜひお試しあれ。


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こんな小さなお店


君の名は


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鬱陶しい日々がくるまで、しばしこの風と光を楽しもうと空を仰ぐ。台風一過のような良いお天気〜今日はアロハでも来ていこうかなと思っていたら、朝一番にクライアントとの打ち合せがあるのを忘れていた。残念。

初めて見た〜を体験したければ、花を好きになるのがいいと思う。まだ知らない花がどれだけあることか。仙台市の郊外で見つけた花たち。ゆっくり名前を調べたい〜。


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なんで、この樹にピクピクと反応をしたのだろう。珍しい樹形をしているからか。いやいや、よく見ると太い幹が途中から五本に分かれているではないか。

五!?。五、五、五、いまカラダは、この数字に過剰な反応を示す。五行歌25年。一日25時間、GOGO25、あれやこれやが一日、頭の中を駆け巡っている。


五月の風


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仙台の緑の風は心地よい。我が身を風にまかせ、自由に泳ぐ緑の枝先を眺めていると、人生これ以上幸せなことはないのではないか、と思えてくる。
たゆたい、なぶられ、ひるがえり、樹々の緑は五月の風と遊ぶ。あ〜生きて冬を越して良かった。父は生前そんなことを言っていたが、分かるよなあと思う、五月の風と緑なのだ。


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風にのって、フジの香りが届く


目に青葉


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ホウチャクソウが咲き始めた


花粉が消え、梅雨までのわずかな間、一年でもっとも空気がうまいと感じる。目に青葉の・・・の諺があるように、緑の美しさも存分に味わえる。
明日からは仙台。ケヤキ並木の美しい青葉通りが待っている。


N先生


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昨晩、小学校時代の友人Sさんからメールが入った。「6月に帰ってくるのでしょうか。年賀状を読んだN先生が会いたがっていますから、ミニクラス会しましょう」。そんな内容だった。そうだ、母の一周忌で帰りますと書いたなあ・・・。

いま思えば、N先生こそ我が人生を決定的にした人だった。「君は絵の才能があるから、伸ばしなさい」と云われたのを卒業後も覚えていた。図工は卒業までの三年間、通信簿に「5」が付いていた。

NHKの朝ドラ「なつぞら」を観て、あの頃の自分と同じ状況にいるなあと主人公を愛おしく思っていた。好きなことをして生きていきたい。ただその一念だった。若さと言うものは恐ろしい。それしか見えなかった。

37年目後のクラス会の時に、「先生っていい仕事ですね。僕はあの言葉を忘れずに、頑張れたんですから・・・」。そんなこと言って、N先生をおおいに泣かせた。自慢の教え子の一人として記憶されたのかもしれない。

N先生は、札幌美術協会の要職にあったと聞く。体育の先生だとばかり思っていたら、美術にも造詣が深かったのだ。卒業してから55年、恩師と交流をもてる幸せを感じている。


舞妓さん


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すれ違う度に唄ってしまう。舞妓の舞妓のこねこちゃん〜♬。長めの帯を揺らし、下駄の音も高らかに、ソッソッと涼しげに歩いていく。そういえば、芸者はネコで幇間はタヌキと先月の吟行歌会でそんな話を聞いた。いつかは、お座敷遊びをしたいものだと思うが、ツアーでなければ無理だろうなあ。

というわけで、庶民は錦市場商店街を目指す。卵だけを売るお店や、栗、干物、ゴマ、湯葉、豆、佃煮など若い頃なら見向きもしなかった専門店が約400メートルに渡って並んでいる。


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ゴールはお馴染み学問の神様である錦天満宮

無鄰庵


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京都の二日目は、Iさんの立ち上げの五行歌会に出席した。会場は南禅寺前の「無鄰庵」。訪れるのは三回目だ。明治維新、官軍の勇である山県有朋は、接収した地にこの別荘を建てた。外装・内装の隅々に贅沢で高度な技術が施されている。東京なら旧岩崎邸庭園の洋館だろうか。

この会では「五行歌全国展示会」への参加をお願いするはずが、連休前に200名の定員に達してしまったため、今回はそのことには触れないことにした。歌を創るのは初めてという方もいたが、レベルの高い歌ばかりで驚いた。

一席は代表であるIさんの歌。

全身で
泉を呑むようだ
青空に透けた
千のみどり葉を
仰げば

我が歌は、異彩を放っていた。

ここより先
立ち入ってはならぬ
あなたの
顔に
マムシが出ます

どう読めばいいのか、コメントを言うにも勇気がいる。
喩えるなら、女優の木村みどりこが目を細めながら笑っている様子だろうか。
ときどきこんな看板を目にするが、一歩足を踏み込むと、本当にマムシは出るのだろうか?と疑う。もしかしたらタケノコや松茸が出るのではないか・・・。


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広い庭園を彩るカキツバタ

高瀬川


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川の柔らかなカーブが心を和ませる


週末は京都で、ちょっとしたミッションがあった。夜までの時間を暑さと人混みを避けるように木屋町通を二条通から高瀬川に沿って南へと散策した。江戸の頃、この周辺は大きな藩邸が高瀬川に沿っていくつも並んでいたらしく、船着き場の跡や小さな橋などに往時を偲ばせるものがあった。

坂本龍馬や中岡慎太郎、後藤象二郎らがこの橋を渡ったのかもしれないと思えば、感慨も深くなる。京都はちょっとした路地にも思いがけない歴史があったりするので油断はできない。


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初夏は水と青葉が涼しげ


風薫る


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桐の花が咲いたよ


風薫る五月。なぜ五月の風は薫るのか。それは、花たちの香りを運んでくるから。新緑の香りはもちろん、果樹の花や園芸植物、ハーブ、桐の花など、淡く甘い香りは、心をはずませてくれる。


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ずいぶん前に咲き終わりました


駆け足


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アップにするとカワユイ

花が咲けば虫たちも集まってくる。暦の上では、もう夏だ。新緑も、暦も、そして老いも仕事の時間も駆け足ですすんでいく。


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まさしくハナムグリ

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誰かが着色したみたいだ


檀一雄碑



20年前、取材の帰りに能古島で檀一雄碑を探し当てて感慨にふけったことがあった。若い頃に「リツ子その愛」「その死」を読み、いつかは能古島に行こうと決めていたから、自分の約束を一つ果たしたような歓びがあった。このとき能古島からの船が港に着き、下りて来たのはなんと、息子の太郎氏だった。偶然とはいえ、大きな躰を見たとき、オヤジそっくりだなあと嬉しくなったことを覚えている。

今回は、秋の展示会のための福岡美術館の会場チェックと九州歌会に参加という目的が合ったので、能古島はオマケの旅。太郎氏が建て直したという家の裏手にある、もう一つの碑に今回は会えた。

歌碑には、律子の死を悼んで詠んだ歌 ―― 「つくづくと櫨(はじ)の葉朱く染みゆけど下照る妹の有りと云はなく」と刻まれている。
意味は「櫨(はぜ)の木が真っ赤に染んで来たが、今その下に佇んで自分に見せてくれ。最愛の妻は逝って悲しく切ない」。


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モッコウバラが裏庭に沿って咲いていた

レンゲ畑に太郎さん!?と思ったが違った


終わりと初めの日に


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平成の最後の日、令和の初日、そして今日と五行歌展示会のパネルデザインの真っただ中にいる。静かな東京で、歌と写真に向き合っているというのは悪くはない。穏やかで安らぎの時間だ・・・と言いたいところだが、じつはあまり時間がない。

詩歌もそうだが、絵や写真の前に立って思うのは「いい作品は、足を止める力を持っている」ということだ。


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