2012年8月

肉食系



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世の中、肉食系がもてはやされているが、昆虫の世界も生まれたときから肉食系というタイプがいる。芙蓉の花を見ていたら、小型のスズメバチがクマバチを襲っていた。細かく団子状にして巣に運び、幼虫の餌にするはずだ。危ないので顔を寄せて観察できなかったが、写真をよく見ると、右の脚一本を花の蕾に引っかけて、作業をしている。飛びながら補食するヤンマや、木の枝を使ってカミキリムシの幼虫をとるカラスなど、動物の世界には器用な種類がいるが、このスズメバチもなかなかだ。残酷だが、弱肉強食、命の連鎖を思えば自然の掟なのだから仕方がない。ただ動物たちは、必要な分だけを摂取すれば終わり。決して食べ過ぎることはない。


イトトンボ



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小金井にある曹洞宗のお寺で、ロケハンをかねて撮影をしていたら、ホテイアオイのある小さな池でイトトンボが羽を休めていた。いつ見てもその繊細なカタチにウットリする。イトトンボは、池や葉の色に同化しやすいので、目を凝らさなければ見つけにくい。風を感じながら飛翔はゆったり、そして羽をたたむ時は尾に合わせてやや上に向ける。イトトンボの所作を見ていると、時間がゆっくり流れていく。


内藤唐辛子



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「錦松梅」の玄関前にあった内藤唐辛子。色もカタチも和テイストだ



この「内藤唐辛子」の話をしたくて、以前迷いこんだ内藤神社と内藤新宿を昨日、枕話にしました。暑くなり始めた頃から、唐辛子をつけた緑のプランターが新宿通りに並び始めたので、不思議に思っていたら、「錦松梅」という佃煮屋の玄関前に内藤唐辛子の説明書きを発見。「その昔、内藤新宿一帯は秋になると、内藤藩の栽培する唐辛子(上を向いて実る八房という品種)で赤い絨毯が敷かれたような風景が見られた・・・・七味唐辛子売りの口上でもその名は全国的に知られていた」。なるほど、そう言うわけね・・・。

さらに調べてみると、「参勤交代のために江戸に屋敷を構えた内藤家(後の高遠内藤家)では、内藤唐辛子や内藤南瓜をはじめとする野菜を作った。そして、江戸の人口が増加するに従って野菜の需要が増大、近郊農家では、これらの江戸野菜が盛んに栽培された」。

どんな風景がそこには広がっていたのか・・・。唐辛子で街を真っ赤にして、特産をつくるという動きは、地域の歴史と文化を伝えるユニークな試み。いつかこの界隈を真っ赤にしてほしいものです。


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*権師匠が、先日のISSの飛行を見事に撮影しました。写真をクリックすると星も見えます。

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8月26日のISS、右から左へ・・・・・
15秒開放撮影・・・1秒ブランク・・・15秒開放撮影・・・1秒ブランク・・・の6回連続を合成。
月が邪魔をしていたので畑の桑の木で隠した。
最後のカットは、例のスッーと消えるところです。
アングルが今ひとつであるが、一度セットすると途中で動かす事が出来ず、これも運!再度挑戦しま〜す!

内藤新宿



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明治5年、内藤氏の屋敷が大蔵省に買収されと、藤原釜足を祭った多武峰神社と共に現在地(内藤町1番地)に内藤神社が建てられた


さて長く仕事場にしているのが、ここ新宿区四谷。山手線のヘソに当たり、「交通の便が良く、皇居に続く新宿通りは風水上もよろしい」と、不動産屋の年配担当者から巧みな説明を受け、ここに事務所を決めて久しい。新宿は江戸時代に「内藤新宿」と呼ばれ、日本橋から甲州街道に向かう最初の宿場町だった。何故ここを内藤新宿と呼ぶようになったか?
ある週末、迷い込んで辿り着いた内藤神社。そこを管理している方が、掃除の手を休めて教えてくれた。


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新宿歴史博物館で内藤新宿の宿場町のジオラマが観られます


1590年、徳川家康が江戸入城の日に、家康は内藤修理之亮清成(ないとう しゅりのすけきよなり)信濃高遠三万三千石の疎に「お前の馬が一息で回れるだけの土地を与えよう」と言った。そこで清成は白馬に跨がり、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷と現在の新宿御苑内を中心に駆けだした。ぐるりを一周して馬は死んだが、家康は約束通り清成が馬で駆けめぐった土地を与えた。そして犠牲となった愛馬を祀っているのがこの内藤神社だという。

1698年、内藤新宿は宿場町として開設され、次第に旅籠屋や茶屋が増え、岡場所(色町)としても賑わっていった。当時、宿場に遊女を置くことは認められていなかったが、客に給仕をするという名目で飯盛女・茶屋女として置かれていた。ところが1718年10月、幕府は廃止を決定する。吉原がしばしば奉行所に提出していた遊女商売取り締まり願いの対象にもなり、これが宿場廃止となった原因の一つといわれ、わずか20年の歴史を閉じることになった。



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新宿御苑の東側に位置する内藤町。昔は色町だったらしい




夕焼け


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週末、横浜のコートを美しい夕焼けが覆った。以前大山を登った帰りに立ち寄った松江の県立美術館。そこで見たマジックアワーの感動が甦った。日が落ちてから絶え間なく色が変化し、空が燃えるような色に染まっていく。東京では、こんな広い空がみられないから、夕焼けの迫力に圧倒された。
分かっていたら、一眼レフを持ってきていたのに、ちょっと残念だった。
さて昨日のISS、権師匠が予想した通り、すっと空に消えていった。今日もバッチリみられそうです。

◎27日(-3.1) 19:08:03 北西 〜 19:11:23 北東 〜 19:13:29 東南東


モルゲンロート



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朝の光の下では百日紅も爽やかムード



アササンの前にテレビの天気予報を見ると、晴れマークが今月末まで続いている。「まだまだ残暑が続くのかよ〜」と、ブツブツ言って、緑道を歩き始めると、これが意外に涼しい。夜中のヒンヤリした空気がまだ残っているのと、朝の光は弱いから爽やかに歩ける。ビルの側面をオレンジ色に染める朝日は、その日の快晴を約束するモルゲンロート(山で見る朝焼け)のようで、山屋はおおいに喜ぶ。しかし、しばらく歩いていると、気温が10分単位で上がっていくので、後半はついつい急ぎ足になり汗をかいてしまう。



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帰る頃には、百日紅がイキイキしてきます



*さて権師匠からISS情報です。
 日・月とよく見えそうです。

◎26日(-3.2) 19:56:41 北西 〜 20:00:02 南西 〜 20:00:04 南西
名古屋上空になってしまいました。たまさんよく見えますよ。

◎27日(-3.1) 19:08:03 北西 〜 19:11:23 北東 〜 19:13:29 東南東
こちらは福島上空通過です。



哲学堂



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聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、印度の龍樹
・迦毘羅仙の六人を「六賢」として祀ってある六賢台



娘が小さい頃、よく自転車に乗せて哲学堂に遊びにきた。雑木が多く薄暗いところが多いので、子供が少なかったからだ。つまり娘の楽しみより、自分の興味が優先だった。実にけしからん親である、ということを久々に訪れて思い出した。哲学堂は仏教哲学者であり教育家の井上圓了博士という人が、全国で揮毫した際の謝礼を基金として設立した。東洋大学の学長にまで上りつめた人だが、ある事件(哲学館事件)によって職を辞し、この哲学堂で生涯教育活動を続けたようだ。
思い起こせば、愚かな親に似ず思慮深い人になってほしいという願いを込めて、連れてきたような印象もある。この日も歩いているのは、散歩の老人か、本を抱えていた青年とカップルだけで子供は捕虫網をもっている親子の一組だけだった。そういえば「哲学の道」という響きにも弱い。京都に行くと、若王子神社から銀閣寺まで続く疎水に沿った散歩道「哲学の道」がお決まりのコースなっている。もしかしたら「***の道」という***に弱いのかもしれない。



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シオカラトンボがホバリングをしている。歌を考えたが・・・


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池のほとりに韮の花が咲いていた


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書がうまくなりますように




玉川上水(三鷹〜富士見ヶ丘)



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三鷹駅を出ると「風の散歩道」に出ます。この左側が玉川上水



まあ、よくこの暑いなかを歩きますね〜と声がかかりそうですが、アルキメデスなので仕方がありません。二年半前にスタートした玉川浄水全コース踏破に向けて、週末の夕方、三鷹〜富士見ヶ丘間を歩いてきました。下調べもせず、期待していなかったのですが、途中にある山本有三記念館や井の頭公園、スタジオジブリなど、寄り道したいポイントが多く楽しいコースでした。三鷹駅南口を出るとすぐに玉川上水に出ます。そこは「風の散歩道」という標識が出ている通り、風が爽やか。川の側、木立が続くからでしょうか。緩やかな川の流れに沿って、ツクツクホウシとヒグラシ、そしてミンミンゼミの声を聞きながらの散歩は、懐かしい夏の夕方を感じました。
そして富士見ヶ丘に着く頃、雲行きが怪しくなり、突然の夕立。慌てて飛び込んだ喫茶店。ここが良かった。古い日本家屋風で図書の趣味、少し暗めの照明、そして白玉ぜんざい・・・ニッコリです。ロバート・キャパの写真集を見ながら、白玉ぜんざいとコーヒーのセット。幸せは前触れもなくやってくるものです。



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しばらく歩くと山本有三記念館が右手に


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幅約2メートルの「路傍の石」。でかい!イメージと違った


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こんな道ではミンミンゼミが鳴き


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こんな道ではツクツクホウシが鳴き

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この道ではヒグラシの声が遠くから


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この緩やかな川の流れ。江戸時代の土木技術は凄い


アメリカンスロープ



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磐梯山のほぼ中間くらいから猪苗代湖に向かって、長い下りがスキー場の中にある



磐梯山の帰り道、うんざりするほど長い猪苗代スキー場を下りていたら、ふるさと札幌にあった幻のスキー場のことを思い出した。昭和30〜40年代の頃だろうか。誰が付けたのか、「アメリカンスロープ」という名のスキー場が藻岩山の麓にあった。なんとハイカラな名前だったのだろうと、今も懐かしく当時のことを思い出す。当時の小中高には、スキー遠足という授業!?があって、昼食とおやつを持ってスキー場で一日を過ごす。アメリカンスロープといってもリフトなんかない。到着すると生徒はスキーを装着して並び、斜面の雪を踏み固めながらゆっくり下りていくのだ。当時そこは地崎組という会社の広大な所有地だった。たぶん市がスキー場として借りていたのだろう。スキー上手は楽しかったが、苦手な生徒は転んでばかりで辛かったに違いない。吹雪の日の昼食時は、動物のようにみんなが寄り添い、冷たくなったおにぎりを黙々と食べた。週末もスキーを抱えては、友人同士で暗くなるまで滑った。
今は市街を一望できる高級住宅地となっている。あの時のみんなは、アメリカンスロープのこと、知っているのだろうか。



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一歩踏み出すごとにたくさんのトノサマバッタやイナゴ、コオロギが翔ぶ、飛ぶ、跳ぶ


磐梯山(3)



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花粉を食べていたツマグロハナカミキリ


番外編です。昆虫写真家の六田晴洋さんの新聞連載「里山に生きる」の記事の中に、気をつけて野山を見ていると、いろんな昆虫に出会えるとあった。どの昆虫にも好きな花木があって、注意深く見ると、吸い寄せられるように集まっていることが分かる。子供の頃から甲虫が好きなせいか、鎧をつけたようなその姿を見ると、いまでもつい目を奪われる。触覚や頭、そして六本の足が実に精巧に動く。子供たちがオオクワガタに夢中になるのがよく分かる。


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タデ科の植物イタドリの花に夢中のセマダラコガネ


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緑色の光沢が美しいルリハムシ。体長は6㎜くらい


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レースの葉っぱを作った犯人は誰だろう!?



磐梯山(2)



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小さなクルマユリがポツンと絵になっていた



花の季節を過ぎていたので、期待をしていなかったが、それでもいくつかの高山植物に出会えた。ヤマハハコ、ウメバチソウ、ウスユキソウ、ソバナ、タカナナデシコ、シシウド、アキノキリンソウなど、秋の花が野山を埋めていた。今年の夏は雨が多かったので、花たちも大変だっただろうと思う。どれもやや疲れているように見えたが、夏を謳歌したのだろうか。この日、磐梯山の山頂と麓では温度差がかなりあった。山頂ではダウンを着ている人もいたのに、登山口は射すような暑さ。下りてみて、季節が夏であることを実感した。



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打ち上げ花火を見ているようなミヤマシシウド


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日当りの良い湿地に咲く、梅の紋そっくりのウメバチソウ


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秋の代表的な花、アキノキリンソウ


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開花期間が長いタカナナデシコ


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名前を聞くだけでなぜか心がざわつく、ヤマハハコ


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花の季節を終えたウスユキソウがまだ残っていた


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山頂付近はシシウドが枯れ、アキノキリンソウが夏の終わりを伝えていた


磐梯山(1)



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おっ!山頂か?と喜ばせて、約40分の急勾配が続く



ついに「雨男」の由々しき名を返上したか、と思わせるような朝を磐梯山の麓で迎えた。降り続く雨音を聞きながら自棄酒で眠りについて、朝、目が覚めると鳥たちの声。お〜呪縛は切れたか!すぐに荷物をまとめて登山口へ。雨が降り続いたせいか、人が少ない。いいぞ〜。軽い準備運動をしてから、ブナの森に入っていく。水を吸い込んだブナの森は、神々しいほどの静けさがある。なんども深呼吸をして、森の澄んだ空気をいただく。時折、風が吹いて歓迎の飛沫を頭から受ける。その気持ちの良いこと。身体が純化されていくようだ。



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時折ガスが切れて、下界が顔を見せる



磐梯山に来たのは今回で三度目。一度はスキー場から登り始めたのだが、コースを間違えたのとあまりにも良い天気だったので、動いていないリフトの降車場でつい昼寝をしてしまい、諦めた。二度目は、友人の車で山を一周した。良い山なのですぐに登るのはもったいないと思った。しかし、昨年登った吾妻からこの山を眺めて、よし来年は登ろうと決めた。



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はい、記念すべき70座目に登頂!


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山頂近くのお花畑は秋を思わせる雰囲気


エンジェルウイングジャスミン



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今日も女子選手らにエールを。いまエンジェルウイングジャスミンの香りが爽やかです


未明にアチコチから応援の声が聞こえてくるなか、連日の睡眠不足も忘れ、ナデシコの決勝戦に力が入りました。惜しくも破れはしましたが、立派な銀メダル。一生懸命頑張ることの感動と喜びをもらい、スポーツの素晴らしさを満喫しました。吉田選手も三連覇、見事でした。娘に肩車をしてもらえる父親の気持ちはどんなものなんだろうと、日の丸を掲げてリングを廻る二人をぼんやり見ていました。
あ〜これで一段落だと思ったら、今度は男子サッカーと女子バレーボールで因縁の日韓戦。磐梯山(百名山の70座目)への体力が消耗しそうです。


ヒメジオン(姫女菀)



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やりました〜〜レスリング!女子二人「金」!ナデシコのサッカーをはじめ、柔道、バレーボール、卓球、水泳・・・そしてレスリング。今回のオリンピックでは多くの競技で女性たちが大活躍。観ていて惚れ惚れします。そんな活躍を期待して、先週末テニスコートの近くで撮ったこのヒメジオンを今日の一枚にします。春から咲き始めるハルジョオンに代わって野原に咲く強い花。「姫」は「小さい」、けれど辛抱強くて逞しい。まさにこの花と同じ。
ヒメジョオンは1個体あたり47,000以上の種子を生産し、さらにその種子の寿命が35年と長いこともあり、驚異的な繁殖能力をもっている、と紹介されていました。
今晩も下りたがろうとする目蓋をテープで止めて、バレーボール、レスリング、陸上を応援しましょう!



アメリカフヨウ



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炎天下の道端に巨大な花が咲いていた。直径は30センチくらいか。ハイビスカスをそのまま大きくしたような花で、フヨウの仲間だろうと想像がついた。花びらに光が当たり涼しげだ。調べてみるとアメリカフヨウとあった。宿根草で冬になると地上部を枯らせ、春になると芽が出てくる。開花は7月頃からで、花をつけると一日で萎んでしまう一日花。つまりこの花は今日でお終いなのだ。


昨日の女子バレーボール準々決勝は、最後まで目が離せない素晴らしい好試合でした。今日は3個目の金メダルを目指して、レスリングに伊調 馨(いちょう かおり)が登場します。


そしてISS情報
◎8日/19:15:19 南西 〜 19:18:30 南東 〜 19:21:42 北東
昨晩は、雲の中からくっきりと現れました。今日はどうでしょうか。



熱中症


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テニスでチェンジコートする度に、熱中症にならないようにとかなりの水分補給をするのだが、どうも間に合わない。人より発汗するのか、必ずと言っていいほど軽度の熱中症になる。休む度に水道の水を頭にかける。こんな暑い日にみんなよくやるなあと、水場からコートを見渡すとほとんどが年配者だ。テニスにも熱中症なのだ。育った時代環境が特別なのか、この暑いなかよく動くなあと感心する。あれだけガブガブ飲んでいたのに、終わって体重を量ったら二キロほど減っていた。


さて、未明のなでしこサッカー、熱中させてくれました。興奮冷めやらぬ権師匠からも祝福の写真が届きました。


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なでしこJAPANがフランスに勝利した直後、お祝いのISSが北西に現れました!
左のちょこちょことしたのがプレアデス星団/スバル。その下が木星。
一番下にナナメのオリオン座


今夕もISSショーが待っています、男子サッカーの前に観ておきましょう。
◎7日 20:08:18 西南西 〜 20:11:31 北西 〜 20:14:45 北東


荒川兄からは、長岡の花火の写真が〜。

■長岡花火B(光川十洋)IMG_0178m.jpg

夕立



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つくづく雨男だと思う。週末、吟行歌会の庭園で突然の夕立にあった。雲が低く重そうなので、そろそろ降り出すかなと思っていたら、空が割れたのではないかというほどの雨が落ちてきた。樹々や屋根、石畳から気持ちの良い雨音が聞こえ、夏の暑さをしばし鎮めてくれた。皆さんシャワーのような雨の景色を見つめている。どうやら「夕立」がお題になりそうだ。

突然の夕立は
ほんの少し
夏を沈める
飛翔も合唱も
この音の向こう


ビヨウヤナギ(未央柳)



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この花は開花期間が長い。咲き始めは5月の初め頃だったと思うので、もうかれこれ3ヶ月くらい咲いている。夾竹桃のようなスリムな葉の上に、触手を思わせるような細長い雄しべ。放射状に広がれば、打ち上げ花火のようで華やかだろうと思いながら見ていると、わずかばかりだが心が涼む。



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すぐ近くにヤマブキもまだ咲いていた。なぜか花びらが白くなっているものがあった。


サルスベリの花の香り



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以前サルスベリの花の香りのことを書いた。赤よりもピンク、ピンクよりも白、色が淡くなるほど香りがあると。白いサルスベリの花がもう散り始めていたので、顔を寄せると藤色を薄めたような白色から、やはり上質なコロンを思わせるような香りがした。足早にこの下を通り過ぎさっていく人は、たぶん気がついていない。もったいないなと思う反面、ひとり悦に入っているのも悪くないような気がした。



権師匠から珍しい甲虫「マメハンミョウ」の写真が届いた。


東北地方の南部以南に分布し、年1回発生する。土中の蛹で越冬した後、成虫は7~8月に出現する。成虫は豆類等の葉を食害した後、土中に産卵する。ふ化幼虫は作物を加害することはなく、バッタやイナゴの卵等を食べて成長する。
つまり幼虫時代は益虫、成虫になると害虫になるので、どう対応したら良いのか分からん昆虫のようだ。


マメコガネ



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まあこの熱い時期に、何をしてるのマメコガネよと廻りを見渡すと、どれもカップルだ。このマメコガネは子供の頃から好きな甲虫で、手の平に乗せては足先のくすぐったさを楽しんだものだ。緑色の光沢が美しく、動きも鈍くて可愛い。小さいからマメだと思っていたが、マメ科の植物によくついている。調べてみると意外なことが分かった。

マメコガネは日本在来種だったが、1916年にアメリカ合衆国のニュージャージー州・リバートン(Riverton)で発見された。これらはアメリカで甲虫類の検疫が始まった1912年以前に、日本から輸出されたアヤメの球根に幼虫が紛れて移入したものと考えられている。
以後、マメコガネは天敵の少ない北アメリカで一気に分布を広げ、重大な農業害虫となってしまい、太平洋戦争時には「日本憎し」の宣伝材料にマメコガネも使われたほどであったといわれる。日本発の外来種であることから、現地では"Japanese beetle"(ジャパニーズ・ビートル)と呼ばれて嫌われている。

戦前に日本を飛び出した和製ビートルだった。たしかに繁殖しそうだよね。