2018年10月

世田谷フィルオーケストラ


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この日のロビーコンサートは打楽器だった


友人Tさんの奥さんは世田谷フィルオーケストラのフルート奏者。縁があって演奏会のパンフレット制作などのお手伝いをして、早15年以上が経つ。つまり年2回として30回以上、この昭和女子大の人見記念講堂に来ていることになる。お陰さまですっかり縁がなかったクラシック音楽の素晴しさが分かり、今はあちこちに足を運んで聴いている。
歩く、観る、聴く、食べる、そして呑む。ようやく五感の秋がやって来た。


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いつもの二階席から。ハープが二台入っている〜とか思って、待っている


ロケハン


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週末の半日、12月のORMAC「芋煮会」のために立川の昭和記念公園をロケハンした。少し歩いてみようと思い、立川駅北改札口からあけぼの口経由で公園内をほぼ一周。こども広場を横切り、BBQ会場に寄って予約の話を済ませてから、水鳥の池のベンチでボーッとする。
温かい「午後の紅茶」を飲むと、秋の陽射しと呼応して沁みわたる。
ここにも何度も来たなあ〜。しばらくすると、好い雲がやって来た。


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コスモスもそろそろ終わり・・・

ネコ戯らし


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昨日が「ワン」なら、今日は、ネコ。
正式名はエノコログサ(狗尾草)。犬の尾に似ていることから「犬っころ草」。この「いぬっころくさ」が転じてエノコログサになり、これに猫がじゃれつくので、ネコジャラシになったんだと。。


ワンだFULL


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福岡伸一さん


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対談企画ではあったが、その殆どは福岡さんの話に終始した。山口果林さんは聡明な人。私たちの思いを察知しているかのように、昆虫少年、生物学、動的平衡、そしてフェルメールへといった興味深い話を引き出し、福岡伸一という人物を多角的に切りとって見せてくれた。

方丈記の一説・・・川はいつもそこにあるように見えるが、流れている水は二度と再び同じ水ではないという引用で生命科学を語り、「エントロピー増大の法則」の「秩序があるものは、その秩序が崩壊される方向にしか動かない」という宇宙論へと広げていく。

福岡さんは、学者でありながら表現や物の見方が文学的というか、ロマンチストというか、彼の目を通して世界を見ると、この世は「センス・オブ・ワンダー」にあふれているようだ。

二時間の話は、あっという間に過ぎてこんな結びが用意されていた。
東山魁夷の「年暮る」という絵が映しだされ、山口さんが彼の想いを朗読した。


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目を閉じると今もなおしんしんと降り続いている。
それは、静かに、ひとしく、すべてのものごとの上にやわらかく降りつもる。
つまりここに描かれているのは雪の一片一片ではなく、
時間そのものなのである。


家族登山教室


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秋晴れの日曜日は、年に6回の家族登山の日。東京都の最深部に位置する「桧原都民の森」を子供たちと一緒に歩いた。都民の森までは、電車、バスを乗り継ぎ約二時間かかる。数えると今年すでに三回目。縁があるというか、ここがオープンした(平成2年)際に、ポスターやパンフレットなどを制作したこともあって、今もおらが森という愛着がある。

今回のメインは、山ごはんとキーホルダー作り。久しく使っていなかったガス、バーナー、コッフェルのセットでナポリタンを作ったのだが、これが意外に上手くできて好評。14人分がぺろりとなくなった。そして森林館でキーホルダー作り。やっぱりね〜、必ず大人たちが夢中になるのだ。

孫のような子供たちと森の中を歩きながら、受けないクイズを出し続ける。「大きなヘビが二匹いました。名前はなんでしょう?」「・・・・」「ニヒキヘビです」「・・・・」。
「大きなお相撲さんが二匹いました、なんて言う名前でしょう」「・・・」「コニヒキです〜」「・・・分かる分けないよ〜」。
なぜだか楽しいのは、なぜだろう。



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男の子たちはピストル。なるほど、そうなるか・・・


芸術の秋


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昨日おじゃました「さとうしのぶ展」より


この一週間に友人の展覧会4つを回りました。五行歌展、絵画展、書道展、絵画展、どれも刺激を受けました。きっとどこかに記憶されて、何かの時に立ち上がってくるのだと思います。そしてこれから生物学者の福岡伸一さんと山口果林さんの対談を聞きに朝日新聞ホールへ。いまもっとも夢中の福岡氏、どんなメッセージを発信してくれるのか、興味津々。。


地面師


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地面師・・・不思議な肩書というか職業というか、なんとも怪しい漢字三文字。家人から初めて聞いたとき「ジメンシー」と聞き間違えた。
何じゃそりゃ?

新聞によると日本の大手住宅メーカーが、この地面師らにまんまと63億円を支払ってしまったとある。戦後のドタバタならまだしも、今の時代にこんなことが起こるなんて、じつに可笑しい。アッパレをペタペタ貼りたくなる。まるでドラマを見ているようで、思わず登場人物を並べて俳優を選んでしまった。

三文字目の「師」に注目。なんで「師」なのか?そもそも「師」とは・・・教師、宣教師、美容師、講談師、マッサージ師と世の中、たくさんの「師」がいらっしゃるわけだが、地面のプロなのだろうかと、ググった。

地面師とは、土地の所有者になりすまして売却をもちかけ、多額の代金をだまし取る不動産をめぐる詐欺の手口の一つ、またはそうした手口の詐欺師。
そうだ・・・サギにも「師」がつく。「師」の付くいわれは何だろう。

落語は落語家、講談は講談師、じつに不思議。
いつか分かった時にまた続きを・・・。。


塩害


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これは、十月桜かもしれない・・・


耳慣れぬ言葉。塩害。大型台風による塩分を含んだ潮風が、農作物や街路樹、そして人工物にも大きな被害を与えている。「植えられたコスモス約100万本がほぼ全滅」とか「季節外れの桜開花相次ぐ 全国で350件」「電線から火花が発生する現象が300件以上起きていた」などの新聞記事を目にした。

気持ちのいい潮風も塩を含むと大きな害を及ぼす。今年は暑い日が続いたかと思うと、台風、そして塩害まで・・・観光地は、踏んだり蹴ったりだろう。


佃島(2)


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佃島には、取り残された古い下町の空気というか、懐かしい気配があった。それは助走を付けなくても隣りの家にひょいと飛べそうなくらいの路地の狭さだったり、人情に溢れているけれど、キツそうな顔をした人たちが、今にも出てきそうな古い家だったり・・・。

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低い街並の中にポツンと住吉神社があった。戦災にも合わなかった古いレンガ造りの神輿蔵、三年に一度の祭にお披露目される八角神輿、そして手水舎に彫られている漁師や獅子など、その時代の佃島の歴史が残っていた。


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渡船場の前でYさんが話をしていると、女性が近づいて来て「ここに嫁いで60年です」と話し始めた。こんな出会いも吟行の楽しいところ。「昔はこの前から船が出ていて、多くの人が行き交っていたんです」と往事の風景を思い出しながら話された。もしかしたら花嫁姿で河を渡った来たのだろうか。
佃の渡しは昭和39年の東京オリンピックの年まで対岸の明石町を結んでいたが、佃大橋が完成して渡しは廃止された。


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佃煮屋さんが三軒あって、その一軒で「あみ、しらす、あさりの皮包み・三品」を買った。

佃島


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今は陸続きになってしまった佃島は、高層マンションから見下ろされている街



先週末は、久々の吟行歌会で参加者七名。月島駅に集合し、江戸の歴史に詳しい友人Yさんの案内で、佃島から明石町界隈を歩いた。
佃島は、江戸時代、徳川家康が隅田川河口の砂州を埋め立て、人口の島を造り、摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃町)の漁師33人を招いて住まわせたところから、この名がついたといわれている。その背景には、本能寺の変に際して摂津国佃村の人たちが家康の脱出を助けたというエピソードがあるらしいが、どうなんだろうか。もしかしたら大きくなってゆく江戸の街に、魚を扱う人や市場が必要だったのかもしれない。

古地図を見ると佃島は、ポツンと田の字をして浮かんでいるように見える。戦災にも合わず、島はそのままの姿で歴史を刻んだようだ。祭の勇壮さ、漁師の荒々しさとともに小さな町で支え合ってきたからこその人情、そして渡し船が唯一の交通手段だったという辺境感が、小さな街から伝わってきた。


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田の字に見える佃島。上の大きな島は石川島(後のIHI)


こんな歌をつくった。

砂州を埋め立て
島をつくり
海という田を与えた家康公
人はここを故郷とし
佃島と呼んだ


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佃大橋から見る佃町。マンションは一軒も立っていない


白いクレパス


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絵を観ていると思い出が蘇ったり、もしかしてと創造の羽が生えてくることがある。過去と未来が交差するそれは静かで幸せな時間だ。この夏「巨匠たちのクレパス画展」を観て、一つ発見があった。この展覧会はサクラクレパスがパトロン。展示された絵の全てはクレパス画ばかり。えっ、これが?クレパスだけで描かれている?と驚く。

クレパスといえば、子供、初めてのお絵かき、日記帳、そんなイメージしかなかったから、日本の著名な画家たちのクレパス画を観て唸った。どれも名画ばかり。色彩の豊かさ、華やかさは想像をはるかに超えていた。熊谷守一、小磯良平、三岸節子、梅原龍三郎、林武、加山又造ら多くの画家たち、もしかしたらクレパスに夢中になっていたのではないか、と静かに興奮した。

油絵と見紛うような絵の中にクレパスでなければ生まれないような色彩の美しさがあった。なぜこんなに色が豊かになるのか。目を凝らして観ているうちに、共通しているテクニックを発見した。それは白いクレパスの重ね塗りだった。原色部分に白いパステルが入ると淡い色調が生まれ、何とも穏やかな風合いを醸しだす。白いクレパスって、下書きだけではなく、こんな素晴らしい働きをするんだ。クレパス画を鑑賞する楽しみが広がった。

観終わって、クレパス画のことを思っていたら、こんな歌ができた。

白いクレパスって
聞き上手な人に似ている
重ね色をして
どんどん
魅力的に変えていく


そして、先日の「没後50年藤田嗣治」の絵画展からは・・・

嗣治の
乳白の少女の頬と
虚ろな瞳
あの日  ホームでサヨナラした
君とおんなじ

秋という触媒に反応させて、もっと私を引きだそう.


台風マリア


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これでもかと今年は、台風が次々にやってくる。それも鼻息の荒い体育会系のようなタイプばかり。たまには「どうした、しっかりしろ、大丈夫か?」と、こちらが心配してしまうような文系優男風の台風は来ないものだろうか・・・。

生まれた台風には、全て名前が付けられる。出生場所や規模で命名されるわけではなく、台風委員会(日本を含む14カ国が加盟)がすでに用意した140の名前を順に付けていく。先日取り上げた台風25号(ニゴー)には「コンレイ」。カンボジア語で「伝説の少女」という意味らしい。

話は半世紀ほど前に戻る。学生時代、何かの記事で「台風マリア」という名前を知った。それをテーマに童話風のシナリオを作り絵本にしたことがある。マリアの哀しみが雨になり台風になるというストリーだ。そんなことを思い出しながら、題詠「台風」の歌を一つ作った。


ママが熱がってる
だから
風を起こして
雨を降らせて 冷やしてるんだ
台風マリアが哭き叫ぶ


*台風マリアは、No.13(アメリカ命名)。今年7月、日本に来た台風8号の名称。


白杜鵑草(シロホトトギス)


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初めて見た。白いホトトギス。新宿御苑だったか、以前、若い女性がホトトギスを見て、気持ちが悪いと言っていた。なるほど〜、そう云われるとたしかに不気味ではあるが、見慣れてくると、あ〜もう秋なんだなあと思う。
花言葉は「永遠にあなたのもの」。


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雨粒にもシロホトトギスが映っていた


タイチョー不良


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イベントと呑み会が続き、抵抗力を失っていたのか、風邪の菌に制圧されてしまった。美人アマチュアゴルファー風無口女医に助けを求める。いつからですか、喉が赤いですね、クスリを出しておきましょう、のいつもとおんなじの言葉をありがたく受けとり、ものの1分で診察終了。
最初のクスリで鼻水は止まり、咳が消えたが、たまに出るクシャミが腰に響く。今日も早寝をして、早く復活しよう。

昨日は、月イチのORMACで、東京都で最も標高のある大岳山登山。隊長は辛い、ムリを押して中央線に飛び乗る。青梅を通過してから雨が降り始めた。すぐに止むだろうと鷹を括っていたが、なかなか降り止まない。ウ〜ム仕方ない!というわけで、知っている宿坊に電話を入れ、風呂・ビール・蕎麦のランチコースを頼む。

晴れ男、晴れ女で快調に10月まできたが、ついに涙雨。Aさんと檜の風呂でゆっくり世間話をしてから、フキ味噌、ヤマイモの千切り、手づくり蒟蒻の刺身、ワラビの和え物を摘みながらビール、日本酒に突入。蕎麦を食べて、すっかり酔いが回った頃、雨が上がった。


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雨の日は雨を楽しむ。ツリフネソウも水をたたえて


ニゴウまで


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暴風、強風、大荒れ、猛烈な勢力、厳重な警戒・・・大型台風が近づくとテレビから聞こえてくるお馴染みの言葉だ。暴風とはどのくらいの風なのだろう。風速60mクラスの風は、どう表現すればいいのか。豪風、激風と、もしかしたら新しい風の名前が生まれるかもしれない。

四谷駅交差点のスズカケの木が無惨な姿になっていた。酷暑の日、いつもこの下で信号が青になるのを待っていた。来年は汗して待たなければならない。次々に襲う台風が、木々をなぎ倒していく。

「酒と女はニゴウまで」という言葉があるが、今度の台風でお終いにしてほしい。なんせ25(二ゴー)らしいので。

*システムエラーが発生〜〜写真がアッップできません。。_`。)


100日


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通夜の日、妹が母を送る五曲を奏でた。皆が思い出に耽り、涙した



今日、母の100日法要だった。あの日からを振り返る。葬儀の日、雨が上がって晴れ上がり、兄妹、甥っ子らと棺を運んだ。親しくしていた住職は、七日、十四日、二十一日と四十九日まで、七日起きに法要に来てくれた。そして今日も穏やかなお天気だったらしい。

あの頃、腰痛が酷くてロキソニンのお世話になっていたが、葬儀が終わり、帰郷してからはすっかり痛みが消えた。もしかしたら、母が天国へ持っていってくれたのだろうか。そんなことを今日、思っていた。


それぞれの秋


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いやはやの台風だった。酷暑が終わった途端に、強烈な雨と風の連続パンチ。猛烈娘の25号も接近中だという。この星は、どうなっていくことか。
意地悪ばかりしていると、しっぺ返しを喰らう。なんでもそうだ・・・。

電車のドアが開き、四谷駅のホームに足の乗せた瞬間、キンモクセイの香りに包まれた。きた〜。空気ひんやり、香りふんわり。気温が下がると一気に開花が始まるのだろうか。キンモクセイが秋を連れてきた。