佃島


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今は陸続きになってしまった佃島は、高層マンションから見下ろされている街



先週末は、久々の吟行歌会で参加者七名。月島駅に集合し、江戸の歴史に詳しい友人Yさんの案内で、佃島から明石町界隈を歩いた。
佃島は、江戸時代、徳川家康が隅田川河口の砂州を埋め立て、人口の島を造り、摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃町)の漁師33人を招いて住まわせたところから、この名がついたといわれている。その背景には、本能寺の変に際して摂津国佃村の人たちが家康の脱出を助けたというエピソードがあるらしいが、どうなんだろうか。もしかしたら大きくなってゆく江戸の街に、魚を扱う人や市場が必要だったのかもしれない。

古地図を見ると佃島は、ポツンと田の字をして浮かんでいるように見える。戦災にも合わず、島はそのままの姿で歴史を刻んだようだ。祭の勇壮さ、漁師の荒々しさとともに小さな町で支え合ってきたからこその人情、そして渡し船が唯一の交通手段だったという辺境感が、小さな街から伝わってきた。


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田の字に見える佃島。上の大きな島は石川島(後のIHI)


こんな歌をつくった。

砂州を埋め立て
島をつくり
海という田を与えた家康公
人はここを故郷とし
佃島と呼んだ


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佃大橋から見る佃町。マンションは一軒も立っていない


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