ニゴウまで


倒木-3.JPG

暴風、強風、大荒れ、猛烈な勢力、厳重な警戒・・・大型台風が近づくとテレビから聞こえてくるお馴染みの言葉だ。暴風とはどのくらいの風なのだろう。風速60mクラスの風は、どう表現すればいいのか。豪風、激風と、もしかしたら新しい風の名前が生まれるかもしれない。

四谷駅交差点のスズカケの木が無惨な姿になっていた。酷暑の日、いつもこの下で信号が青になるのを待っていた。来年は汗して待たなければならない。次々に襲う台風が、木々をなぎ倒していく。

「酒と女はニゴウまで」という言葉があるが、今度の台風でお終いにしてほしい。なんせ25(二ゴー)らしいので。

*システムエラーが発生〜〜写真がアッップできません。。_`。)


コメント

北海道は最近、颱風と地震に取り憑かれた樣に、頻發して居ますね。地質學的にプレートが入り組んだりして居るのでせうか? ニゴウ颱風は日本海の方へ抜けて、關東地方はやれやれかと思ひきや、北海道には立ち寄る、と言った状況です。
「酒とをんなはニゴウまで」と駄洒落を言って、憂さ晴らしをしたくも成りまさぁね。
 家の祖父は四合迄行った見度いですが、皆、家族づきあひして居ました。二は亀戸の天神裏で大きな料亭を遣って居て、僕は子供の頃、よく帳場に座って居ました。呼ばれた藝者衆が「おかぁさん今ほど」と言って來ると二の祖母の聲色で「へぇ今ほど」と言って「あら、あんなちっちゃいのが?」と驚かすのが樂しみでした。又、三の祖母は葭町で藝者置屋をやって居て、明治座の歸りには、皆で寄って、仕出しの料理で飲み食ひするのが樂しみでした。その近くには、昔、明治一代女で有名な醉月樓があったのですが、僕達が行った頃は勿論無くなって居ました。

A)
太平洋側には入り組んだプレートがあるようで、多くの地震はそちら側で起きています。
そして台風は偏西風の関係で北に上がっていくようです。

ブラックアウトを導いた背景には、国の徹底したコスト削減。
想定していたにもかかわらず、まさかの思いでしょうね。

さてさて、話は昭和の始めに飛んでいきます。
雅蘭洞さんの幼少の頃、もし友達だったら、僕も相当の粋な遊び人になったかもしれませんね。
家族付き合いをしていたなんて、下町ならではの緩やかさだったのでしょうか。
料亭の女将、置屋の女将のいる世界はどんなだったのでしょう。
想像するだけでワクワクしてきます。


2018年10月 6日 16:40 | 雅蘭洞英齋居士

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