2020年2月

閏日


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明日は閏日。ブログに書いた記憶があったので調べると、ちょうど8年前、東京に珍しく雪が降っていた。今年は雪ではなく、厄介なウィルスが空気中を舞っている。

家で大人しくする日が近づいているらしい。ゲームもいいが、本を読む時間やゆっくり思考する時間に充てたらどうだろう。先日亡くなった作家の古井由吉さんは「成長を夢見るより、限界を見越して、社会を変質させるべきではないか」と言っていた。
まさに今がそんなときに思える。


スペイン風邪


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100年前、大流行したインフルエンザ「スペイン風邪」を重ねている。第一次世界大戦の最中、このインフルエンザは世界中に蔓延し、5000万から1億人の命を奪った。戦死者の1600万人よりもはるかに多い数字だ。人の往来の少ない時代、ウィルスを広げたのは兵士だった。若者が罹患し、終には兵士が集まらなくなり終戦を迎えたとさえ云われている。

今は飛行機や船で世界中がつながっている。拡散はあっという間だ。まだまだ序章のような気がしてならない。どんなカタチで終焉を迎えるのか、妄想も進化している。

個性


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歌会にはじつにいろんな人がいる。豊かというか、ユニークというか、一緒に過ごしている時間は、とてもあたたかく心地いい。生物学的にいえば、多くの種が豊かな環境をつくっている、となる。

それは海のなかも同じかもしれない。それぞれが何らかの役割を果たして、関わりを持っている。長い時間をかけて、そんな関係や体系がつくられたのだ・・・個性的な魚たちの写真を整理していたら、ふと歌会で会う人たちを重ねてしまった。


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よく分からない人や

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ネックレスに気を使うお洒落な人や

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ココロが透明な人や

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恥ずかしがりやで隠れてしまう人

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つかみどころのない人まで・・・


親子登山教室


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週末は、親子登山教室のお手伝いで奥日光の森をスノーシューで歩いた。四家族とサポート6人を待っていたのは厳しい雪と風。ときおり襲いかかる地吹雪に大人は閉口したが、子どもたちは歓声を上げて喜んだ。ここが違うんだよなあ〜。雪玉をつくりながら歩く子、グイグイと森の中を進んでいく子、いろいろだ。皆、この日を楽しみにしていたらしい。

今回担当したAちゃんは、小学校二年生の女の子。溌剌として、好奇心旺盛、なんでも楽しんでしまう。今年はカリキュラムに全部に参加したいと言っていたので、また会える。孫のような子から沢山のエネルギーを貰った。


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見えないもの


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花粉シーズンではあるが、新型ウィルス予防のためなのか、見分けがつかないほど、マスク姿の人が多い。つけていない人は、買えない人なのだろうか。地下鉄内で咳を二三度したら、視線が飛んできた。違う違うと咳を我慢したら、苦しくなった。咳一つにも気を配らないといけない。そういえば、こころなしか吊革を握っている人が少ない。

ウィルスだけではないが、見えないというのは、不安で心細い。収束はいつになるのだろう。


天狗焼き


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高尾山に登ると、ケーブルカー山頂駅直ぐにある店で、名物の天狗焼きを買う。以前は細々と売られていたこの天狗焼き、いまや列をなさないと入手できないほどの人気だ。

外はカリカリで、中は熱々の黒豆の餡がギッシリと詰まっていて甘さ控え目。登山口から約一時間半登ってくると、この甘い香りに惹き寄せられてしまう。

天狗にならないように、ハイ、そしてパクリとやる。

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雛罌粟(こくりこ)


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ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟 われも雛罌粟

ぼんやりとテレビを観ていたら、与謝野晶子の歌が紹介されていた。

不思議なことがあるもので、つい最近友人から借りていた漫画本「項羽と劉邦」。三国志が三巻にまとめられている。ここに登場する絶世の美女が虞妃(ぐき)。そうか、虞美人草はここからきているんだとググれば、別名ポピーの名も。ほかにもケシやアマポーラ、ヒナゲシ、そして雛罌粟(こくりこ)の名まで・・・。虞美人草と雛罌粟がつながる。

晶子は寂しさに耐えきれず、五人の子どもを義姉に預け、鉄幹をパリに追った。男を捨ててパリへ赴いた女性画家はいるが、追いかけていくとは・・・真っ赤な雛罌粟の花なかに立つ晶子と鉄幹を思い浮かべて、この歌を想った。


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やられたワン


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ク〜〜〜、やられた。と思った。「イロイロ 遊び 台湾」。こんな提案、したかったなあ〜。台湾観光局/台湾観光協会の観光誘致プロモーションだという。見事なお手前。

広告がつまらなくなったのはいつからだろう。広告全盛の頃、新聞広告や車内吊りを見ては、上手いなあ〜と感心し、こんなことしてられないと、刺激を受けていた。時代が変って、いまやタレントが踊るだけのCM全盛時代。

「イロイロ 遊び 台湾」の一行は、視覚的要素が働いているからだろうか。思わず口にして、その術中に誘い込まれる。ユーモアで好奇心をくすぐられ、行き台湾〜と、なるのかな!?


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陣馬山


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陣馬山は、高尾山と並んで人気の山だ。山頂までの幾つかのルートのほかに、近くの山々とつながっていることもあり、山頂は一年中登山者で賑わっている。この日は風がないにも関わらず、遥か南アルプスまで眺望できた。


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桜が咲いていた。カワズザクラだろうか?

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下山をすれば、喉を潤してくれるお店が待っている


Rさん


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雲ひとつない穏やかな冬の空が広がっていた


高尾山、モミジ平の小さなベンチで、つい先日亡くなった歌友Rさんのことを思い浮かべていた。亡くなった弟と同い年で、急性心不全も同じ。そして憎めない笑顔まで。厄介を抱えていたようだけど、いつもニコニコしていた。ときどきジャブを放ってくるから、こちらもヒュッとグラブを伸ばすと軽くそれに当たって、笑いながら距離をとった。どうして一人が好きだったんだ・・・想いは深まるばかり・・・

昨日の歌会では彼の冥福を祈り、黙祷をしてスタートした。五行歌に会えて良かったね。繫げていくよ。
山で詠んだこの歌で送った。

二月の
紙飛行機は
スローモーション
少年のまんまを乗せて
一枚の空へ


20キロ


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こちら20キロ〜、それに比べて我がリュックの貧弱さよ


一昨日、こんなことしてられないと、リュックに帽子、手袋などを放り込み高尾山に向かった。高尾山口の駅前バス停に、重そうなリュックを横に男性が一人立っていた。「20キロくらいはありそうですね」と声をかけると、『一丁平で一泊しようかと思ってます』。高尾山でテン泊(テント泊)とは珍しい。

20キロを担がせてもらった。直ぐに上がらない。ようやく担ぐと、ズッシリ来た。これを背負って上がれんよなあ。今年79歳だという・・・鍛え直さなければならん・・・。

山の話が始まる。ヒマラヤ、百名山をすでに歩いている大ベテランだった。富士山はかなり撮ってますよという。山と花の話を聞く。ゆっくりと自慢するでなく、飄々としているところが好い。もっとお話を聞きたいですねと言ったら、名刺を出してくれた。

富士山の写真が素晴らしい。


新しい出会いの始まりとなるのか。ちょっとウキウキしている。


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名刺があるはずです・・・


ほころぶ


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棘まで赤く染めて、野バラが綻びはじめました。


謂れ(いわれ)


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これ、なんだったけ・・・この場所でこの花を見ていたはずだけど、あまりに変ってしまうと思いだせない。・・・ムクゲだ。フワフワの白い毛をつけた種は風を待っているのか。

ムクゲ・・・もしかしたら・・・剝くと毛が出てくる。
ムク+ケ=ムクゲ!?


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カモカのおっちゃん


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友人S夫婦から新潟月岡温泉の瓢湖にいます〜とこんな写真が送られてきた。冬はどうした〜と叫んでいたら、ここではしっかり冬鳥がやって来ているではないか。それにしても夥しい数。

カモカのおっちゃんの蒔くエサの総量からしても、カモ一羽の口に入る量は幾ばかりか。それにしても鳴き声だってハンパナイだろう。


自然の無言


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梅だけではありませ〜ん、アタシたちだって〜と、沈丁花がもう蕾を膨らませていた。しかし、この寒波。じっと辛抱、我慢だ。
谷川俊太郎のこんな詩が響いた。

いのちはすべて自然の無言に抱かれ
生きて滅ぶ
言葉を持ってしまったヒトだけが
こうして自然に逆らっている


梅は咲いたが


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アタシ、もう待てません〜♡とばかりに、八重の梅が咲いてしまった。ちょっと早いよね。鶯が群れをなして、蜜のご相伴に与っていました。「こんな風景を見ると、つい喜びそうですが、どんなもんなんでしょうねえ〜」と、お婆さんと眺めていた。


ビールス


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その昔、ビールスと言っていなかったか。いつからウィルスと呼ぶようになったのだ。と、思いながら、哀れなこのビールに手が伸びた。


さよならテレビ


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友人のMさんにこの映画を勧められ、我が街の自慢である小さな映画館「ポレポレ東中野」で観てきた。ガラガラだろうと予想していたら、15分前だというのに大勢の人が並んでいるではないか。整理券は69番。100席しかない椅子は上映時に埋まった。グルリと客層を見渡せば、問題意識を抱えているような顔立ちばかり。久々にある種の緊張を覚えた。

テレビは何を伝えているのか?東海テレビは、ドキュメンタリー番組を劇場版にリメークして、いくつもの話題作を提供している。(一昨年、ここで観た「人生フルーツ」もその一つ)。今回は自社の中にカメラを入れて、報道の裏側を映しだした。

上映中に起きる失笑、ため息、沈黙(当たり前か)・・それはやがて、同志達と一緒に観ているような安心感と浮遊感に変わっていく。

見終わった人たちがゆっくりと腰を上げていく。皆んな何かを話したいような顔して、ぞろぞろ出口に向かっていく。咀嚼して考える時間が必要、そんな感じだった。

私たちはすっかり慣れてしまっている。薄っぺらな番組を観て、ハラハラしたり笑ったりしながら、予定調和の安心へと導かれていくことに。いつしかそれを許容し、その先にあるもの、その裏にあるものを求めなくなった。それ故に、問題意識は希薄となり、いざとなったら社会の中から起きるから大丈夫だと思っている節がある。

今やツイッターなど個人が社会に影響を及ぼせる時代(トランプはメデイアは嘘つきだとさえ言っている)となり、メデイアは、その存在意義が問われているようになった。
そして私たちも情報を監視する・見抜く良識や見識を問われている。

東海テレビの「報道の使命とは」にこんな項目があった。
・事件、事故、政治、災害を知らせる
・困っている人(弱者)を助ける
・権力を監視する

私たちも、テレビを監視しなくてならない。


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