2016年11月

時無止


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時は止まること無し。書展に出品された友人の作で、思想家の荘子の言葉だ。残念ながら教えてもらわなければ一文字も読めない。この言葉を眺めつつ、こんな一年だったなあと振り返って思う。日めくりのごとく、一週間、一ヶ月が過ぎていった。

時は無常と思うことがある。どちらが良いのか分からないが、悲しみさえも奪っていく。時はあらゆるモノに変化を求め、そこに留まることをさせない。始まりでも終りでもなく、ただ永遠。
この書見ていたら、一瞬だけ、時が止まったような気がした。


雪面はキャンバス


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PB261152.JPGのサムネール画像
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前日の雨と風で、雪の上は枯れ葉図鑑。下を見て歩けば、頭上の木々が分かるはずなのだが、木の種類はトンとダメ。残念なことである。どんな季節でも山歩きを楽しもうと思えば、ある程度の知識を抱えて五感をフル活用すると、想いは広がり深くなっていく。

木々のカタチを見て風の道を知ったり、
雪のなか健気に咲く一輪を見て、思いを馳せるとか・・・。


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要害山(ヨウガイサン・536m)


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JR上野原駅前には名物小父さんがいる。バス会社の方で、リュックを背負っている人を見つけると、アレヤコレヤと世話をやいてくれるのだ。初めはムム・・・だったが、何度か話をしているうちに親しくなった。今回の要害山も先月に彼が進めてくれた山で、「ゴールとスタートを逆にした方がバスのアクセスが良い」のアドバイスを受け、なるほどナットク〜!の山登りとなった。

要害山は通称「オッパイ山」。こんもりとした山のテッペンにシンボルツリーの大きな杉の木があって、下から見るとこれがなるほど〜なのだ。要害山一つだけの登山では、なんだかもったいないので、尾根歩きをしながらいくつかのピークを通過する計画を立てた。途中にビューポイントが三カ所ほどあって、全てから富士山が見える・・・予定だったが、気温が上がってしまい、富士はガスの向こうと相成った。

それでも残雪の尾根歩きは楽しい。約3時間紅葉の中を歩いてから、冷えた体を温泉にじっくり沈める・・・。そして、グイッと一杯。今回も幸せの山行となった。


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オッパイのトップは、この杉の木なのだ


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なだらかな起伏が続く尾根道には雪が残っていた


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夏はこんな風に見えた


権師匠のこと


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思い悩んでいることがあって、胸が晴れなかった。
権師匠のこと。
彼は、ずっと原因不明の病を抱えていた。

「右手首から始まったしびれが右半身全体に広がってしまった」とメールがあったのは10日ほど前。MRIで調べると、脊髄に腫瘍らしきものが確認された・・・。治療法が見つからず検査ばかりが続く。
一昨日の話では、ついにしびれは全身に及び右半身は動かず、まともなところは首から上だけ。夜は首の痛みで眠れず、朝を迎えているという。
「初めの手首のしびれが夢のようだ」。胸にこたえた・・・。

悩んで、彼に伝えた。ブログに書く。皆からパワーを貰おう。

夜ベッドに入ると、天井を睨みつけて苦しんでいる彼がすぐ近くにいるようで、涙がこぼれた。
こんなときに、知らない力で支えられているたんだと、友のありがたさを知るなんて、馬鹿な男だと思うけれど、ブログをいつも見てくれている皆に伝えることが、今できることの一つなんだと思い、公表することにしました。
一緒に祈って、パワーを送ってください。



*「和食の日」の広告が、先週に掲載されていたことが分かりました。心配された方もいらっしゃって、大変お騒がせいたしました。
決定のデザインは「おひつ編」。「和食の日」が定着するまではこんな感じ!?。

11月24日は和食の日


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11月24日は「和食の日」。というわけで、久々に広告の仕事を手がけた。
平成25年、「和食」がユネスコの人類の無形文化遺産の代表的な一覧表に登録された。ここでは「和食」を料理そのものではなく、「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」に関する「習わし」と位置付けている。

そんな背景があるのであれば、和食のもつ深さと広さを表現しようではないか、と考えて提案した三案だ。どの案に決まったかは、明日の読売新聞朝刊で明らかになる。


秋を吸う


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五感全開。久々に一人の山。まずは深呼吸を繰り返す。ヒンヤリとした濡れた落ち葉の匂いが、脳をどんどん浄化していく。前日の雨と風で銀杏の葉が一斉に散ったようだ。黄色に輝く贅沢な道を踏みしめて登山口を目指す。ところどころ、光射す場所では、わずかな湯気。


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尾根道までの一時間、誰とも会わずに行けそうだ。山靴が奏でる枯れ葉の音、時おり響く鳥の鳴き声。秋は見通しの良い森をつくっていた。


いぼむしり


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この時期になると、必ず現れるのがカマキリ君。こいつは大きいから雌だろうか。先日の歌会のやり取りを最初から最後までじっと覗いていた。前脚を見るとギザギザが凄い。こいつに捕まえられて、ムシャムシャ・・・想像するだけでぞっとする。

歌友のNさんがカマキリの別称「いぼむしり」を知らなくて、詠めない歌があったとFBに書かれていた。なんでもカマキリでイボをさすると消えてしまういう俗説から、そう呼ばれているらしい。そんな時代があったのだろうか・・・。
「鎌をもつキリギリス」。やはりこちらの方がピンと来る。



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ミノムシ


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ラクウショウの枝で来春まで越冬〜


久々に見つけたミノムシ。子供の頃、秋になっても野原に入っては虫を探していた。カマキリの卵やマユ、そしてミノムシであったりと、循環して命をつなぐ虫たちのねぐらを見つけては、心ときめいた。なかでも木の枝で見事な住居を作るミノムシはお気に入りだった。

話は変わる。もう30年も前の話。デザイン事務所にはトレスコ(トレースコープ)という写真やイラストをトリミングする大型の機械があった。これを使わせてほしいと、ある日の夕方イラストレータのKがやって来た。かなりの数のトリミング作業があるというので部屋の鍵を貸して帰った。

翌朝、事務所に行くと、Kはトレスコの前で寝袋に入って寝ていた。
「おい、起きろ」と声をかけると
寝袋から顔を出して「おはよう〜、僕、ミノムシちゃ〜ん」と笑わせた。
「俺の寝袋に入って、ミノムシちゃんかよ・・・」
良き時代のエピソードだ。右肩上がりを続ける日本、どこのデザイン事務所にも寝袋はあって、皆恐ろしいほどの残業をしていた。なかには200時間超えと豪語していた輩もいた。


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目を凝らさなければ分からない


飛不動尊


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吟行の途中でこんなお不動さまに出会う。

創建後まもなくのことです。この寺の住職が、ご本尊のお不動様を笈で背負い、はるばる大峯山まで修行にでかけたことがありました。ある日、ご本尊が留守の江戸の寺にお不動様の分身を携えた人々が集まり、お不動様を観想して一心に祈りました。するとお不動様は、一夜にして大峯山から江戸に飛び帰り、祈った人々の願いを叶えてくれました。それ以来、「空を飛び来て、衆生を守りたもうお不動様」飛不動尊と呼ばれるようになりました。

というわけで、そのご利益をいただこうといろんな人が来ていた。つまり落ちないにあやかり、受験合格祈願の絵馬まで〜


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夕べ遅くに、東京でもスーパームーンをが現われた。明るい〜。今度は18年後か・・・、星から見ているかもしれないと思えば、なお愛おしい。


鷲神社(おおとりじんじゃ)


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吟行の続き。前日がお酉様だったので、鷲神社には賑わいがまだ残っていた。酉の日の午前零時に打ち鳴らされる「一番太鼓」を合図に始まり、終日お祭が執り行われる。威勢のいい声が響き、商いが成立すれば「よ〜お」の手拍子が打ちならされる。

春を待つ ことのはじめや 酉の市

正月が近づいてきた高揚した気持ちを詠んでいるらしく、昔は良い時間が流れていたんだなあと思う。吟行歌にも酉の市の歌があった。

酉の市
なごり残す
鷲神社
我が手で集める
残り福

熊手ではなく我が手というのが楽しい。残りものには福があるというし。


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さてスーパームーンが見られない東京である。熊手で雲を取り払いたい気分〜。次見られるのは18年後だというから、もしかしたら星から見ることになりそうだ。


吟行「吉原界隈」


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吟行歌会が20回を迎えた。年に四回の開催だから、丸五年経ったわけで、四季折々、一期一会で生まれた歌は、どれも愛おしい。
今回歩いたのは、三ノ輪、吉原界隈。江戸の歴史に詳しい友人Yさんに案内をお願いして、吉原遊郭に想いを馳せ、若旦那や花魁になって往時を偲んで一首を捻る。そんな寸法だった。

吉原の跡は、今はソープランド街。それを囲むように古い神社や仏閣が点在している。最初に訪ねたのが、投げ込み寺と言われた「浄閑寺」。遊女が亡くなると、荒菰(あらごも)に包まれ、幾ばくかの金を添えられて、門前に置かれていたという。その哀れな一生を想うと、心が痛んだ。


投げ込み寺の
新吉原総霊塔
脇から覗けば数多の白い骨壺
ごめんね
冷やかし客のようで

            Iさん

吉原の敷地は約二万坪。そこで働いていた遊女は約三千人。その一画を囲むようにしていたのが「お歯黒どぶ」。真っ黒で汚かったので、お歯黒どぶと呼ばれた。名前の由来は、遊女が化粧をする際、お歯黒を流したためとも、また溝の水がお歯黒のように黒く濁っていたからだともいう。


秋日和に歩く道も
一皮むけば
お歯黒ドブ
時代に埋め込まれ行く
自分の上はどんなだろうか
 
            Sさん

日陰の路地に
落ちた種でも
花は咲く
「あちきの居場所は
ここでありんす」

            Iさん

吉原大門の前には、いま六代目の柳の木がぽつんとある。遊び帰りの客が、うしろ髪を引かれる思いでこの辺から振り返ったらしく、その名を「見返り柳」。もしかしたら亡くなった遊女たちも見送ったのかもしれない。

男も女も見送って
肩の荷がおりました
見返り柳
ぽつんと
たそがれており

          山碧木


歩いて、想って、捻って一首。さあ100回に向けて、また一歩・・・。


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1111


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イイなイイな、公園の親子は


今日は1が四つ並んだ。だから、いろんな日であったらしい。例えば「電池の日」、+−+−。「鮭の日」、圭の字が十ー十ー。なるほど・・・。ほかにも靴下の日、たくあんの日、きりたんぽの日、煙突の日・・・いろいろある。

1はスタートの数字。11月11日、トランプ氏はホワイトハウスでオバマ氏と会談し、政権移行について協議。アメリカは、世界は、どこに向うのか。


はちきん


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「はちきん」というらしい。まさに男勝りの女(ひと)だった。夕べはあんまりにも寒いので、一杯引っかけて帰ろうと、いくつかの居酒屋を思い浮かべた。よし、勇気だしてあの店に入ろうと選んだのが、20年以上前から目をつけていたこの店だった。

外から中が伺いしれない、重そうな木のドア、ベタベタと張り紙が多い・・・しかし昭和の風情。そして気になるフレーズ。「風の便りと旬の味」。変だけど妙に心を引かれる。
ドアを開けると、いきなり顔があった。「いまさ、メニューを書いてたのよ」。開いているのかと聞けば、いいよと言う。半畳ほどの玄関で靴を脱ぐ。なんで脱がなければならないのだ?
「以前飲み逃げされてさ〜」・・・なるほど。

年中無休。ただし何時から始めるかを決めていないと言う。「よくドアを開けたねえ」「気に喰わない客は追い出すんだ」。
土佐のハチキン。ウィキペディアにはこうある。

話し方や行動などがはっきりしており快活、気のいい性格で負けん気が強いが、一本調子でおだてに弱いといわれる。後ろを振り返ることなく前進し続けるといった頑固さや行動力あふれる点で、土佐の男性と共通する。

二人いた客は帰り、さしで呑んだ。「そっかあ、苦労したんだ」「よく頑張ったね」。二時間後、少し酒の回ったハチキンは泣いていた。なんだか聞き上手をしてしまった夜・・・。

心引かれる話が一つあった。どうしてここの場所なんだ?
「屋根に落ちる雨音が聞こえてさ、電車の音が響くだろ、それがいいんだよ」


鳥兜


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秋の山には、まだ花が残っている。ミズヒキ、ノコンギク、ホトトギス、そしてトリカブト。この花に出会うと、いささか緊張するのはなぜだろう。昔、誰かに毒の話を擦り込まれたからか。そう思って見ると、濃い紫色のふくらみにも妖しさが漂う。

花言葉は「騎士道」「栄光」「人嫌い」「厭世家」「復讐」。


花屋さん


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イベントがあるのだろうか、この日は貸し切り・・・


砧公園に行く途中に、大きな倉庫にしか見えない花屋さんがある。いつもドアが閉められているので、初めは何の店か分からなかった。初夏だったか、ドアが開いていたので中に入ると、お〜〜う!なんと〜素敵な花屋さん・・・というか、なにかの複合施設!?

聞けば、パーティや結婚式場としても貸しているとのこと。お店の名前は「KOUBOU-HANAYA」。花の香り、光を抑えた室内にモダンな家具の数々、クラシック音楽・・・HPには「時を刻んだものだけが放つやさしい温もりをお届けします」とある。

砧へお越しの時は、ぜひ一度覗いてみてほしい。

志村ふくみ展


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訳あって、最終日の昨日、志村ふくみ展「母衣(ぼろ)への回帰」を観てきた。訳とは、時々やらかす早とちりだ。土曜日にいくと工事中の札。「!?」。はたと、間違いだと気づいた。そうか、文学館ではなく、世田谷美術館だ・・・。スケジュールの都合もあって諦める。しかし、己の間違いに笑えるようになったのだから、実におおらかになったものだ。

昨日、気を取り直して、砧公園を突っ切って美術館に向う。まあ、園内の賑やかなこと。日本の園児が皆集まっているんじゃないの。温かくて、秋日和。

志村ふくみ。初めて知ったのは愛読していた家庭画報。染めや織について綴っていたのを時おり読んでいた。色の起源を光と定めた想いは、慈悲に満ち、宇宙や生命の神秘にまで広がっていた。やがて人間国宝になって、さもありなん。そうしてむかえた今回の企画展。最終日はなぜか空いていた。裏の裏!?

最初のコーナーでは、着物の後見頃と袖部分だけで単色の美しさを見せる。紹介もいたってシンプル。タイトルが「朱茜」であれば、解説は「紬織/絹糸、一位」。ただこれだけである。その三つを頭に入れて、眺めると、それは宇宙のよう。「朱茜」は、僅かな光を受けて、淡くて深い朱の一色を伝えている。一位は、小学校の下校時に口にした、あの赤い実の色を想像させた。

ふだん小さなチップでしか見ることのできない日本の伝統色。それを着物の色から味わえるなんて、なんと贅沢。ゆっくり時間をかけて、朱の色を吸い込む。少しばかり植物を知っているのだから、どうしてこの色が生まれる?・・・となって、興味は尽きない。

臭木が抽出した「天青」の淡く儚い青。カラスノエンドウから生まれた「柳の国」の初々しい黄緑・・・。作家の費やした莫大な時間を思うと、作品一つひとつに愛おしさを覚えた。なぜ色が生まれるのか。こんな一文があった。

「色は光の受苦である」。・・・深い。


剪定


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酉の市の看板のすぐ傍を「神を信じなさい・・・」のお言葉を発する辻説法の車が通り過ぎて行く。あ〜年末なんだなあとシミジミしていると、街路樹剪定の一団が現われた。切る人集める人運ぶ人、こちらも年末恒例の光景だ。風に乗って小さな枝や葉が車道に飛ばされていく。

紅葉する前に、剪定をするんですね。
「ええ、早目がいいんです。センテイ必勝と言いますから・・・」


お茶の花


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なんで今ごろ咲くのだろうと思ったら、お茶はツバキ科の植物。よく見ると白い椿のようで、やや小ぶり。蕊は冠のようにひらいて、それぞれが花にも見える。甘い蜜に誘われてか、蟻が数匹かくれんぼしていた。


ピラカンサス


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枝がまったく見えないほどに、ピラカンサの赤い実が滴っている。襲いかかって来るようでもある。どれほどの重量だろうか。我が身の幹や枝ぶりを考えていないのだろうかと思う。なにかに喩えたいのだが、すぐに出てこない・・・。