志村ふくみ展


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訳あって、最終日の昨日、志村ふくみ展「母衣(ぼろ)への回帰」を観てきた。訳とは、時々やらかす早とちりだ。土曜日にいくと工事中の札。「!?」。はたと、間違いだと気づいた。そうか、文学館ではなく、世田谷美術館だ・・・。スケジュールの都合もあって諦める。しかし、己の間違いに笑えるようになったのだから、実におおらかになったものだ。

昨日、気を取り直して、砧公園を突っ切って美術館に向う。まあ、園内の賑やかなこと。日本の園児が皆集まっているんじゃないの。温かくて、秋日和。

志村ふくみ。初めて知ったのは愛読していた家庭画報。染めや織について綴っていたのを時おり読んでいた。色の起源を光と定めた想いは、慈悲に満ち、宇宙や生命の神秘にまで広がっていた。やがて人間国宝になって、さもありなん。そうしてむかえた今回の企画展。最終日はなぜか空いていた。裏の裏!?

最初のコーナーでは、着物の後見頃と袖部分だけで単色の美しさを見せる。紹介もいたってシンプル。タイトルが「朱茜」であれば、解説は「紬織/絹糸、一位」。ただこれだけである。その三つを頭に入れて、眺めると、それは宇宙のよう。「朱茜」は、僅かな光を受けて、淡くて深い朱の一色を伝えている。一位は、小学校の下校時に口にした、あの赤い実の色を想像させた。

ふだん小さなチップでしか見ることのできない日本の伝統色。それを着物の色から味わえるなんて、なんと贅沢。ゆっくり時間をかけて、朱の色を吸い込む。少しばかり植物を知っているのだから、どうしてこの色が生まれる?・・・となって、興味は尽きない。

臭木が抽出した「天青」の淡く儚い青。カラスノエンドウから生まれた「柳の国」の初々しい黄緑・・・。作家の費やした莫大な時間を思うと、作品一つひとつに愛おしさを覚えた。なぜ色が生まれるのか。こんな一文があった。

「色は光の受苦である」。・・・深い。


コメント

あら、すいてましたか? 裏の裏、かもね~。
いい展覧会だったでしょう(⌒∇⌒)
実に見ごたえ、感じごたえのある。

それにしても~~世田文へ!???(笑)
オツカレサマデゴジャリマシタ~

A)
本当に早とちり・・・
以前にも開催前に世田谷文学館に行って、あらまあ〜
仕方なく何かの企画展を見た覚えがあります。

おかげで?空いている展示をゆっくり堪能しました。
柄が入ると着物の展示のカタチが変わったの、気づきましたか?

2016年11月 8日 15:41 |

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