時無止


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時は止まること無し。書展に出品された友人の作で、思想家の荘子の言葉だ。残念ながら教えてもらわなければ一文字も読めない。この言葉を眺めつつ、こんな一年だったなあと振り返って思う。日めくりのごとく、一週間、一ヶ月が過ぎていった。

時は無常と思うことがある。どちらが良いのか分からないが、悲しみさえも奪っていく。時はあらゆるモノに変化を求め、そこに留まることをさせない。始まりでも終りでもなく、ただ永遠。
この書見ていたら、一瞬だけ、時が止まったような気がした。


コメント

 思索的0を發見した印度人、老荘や佛敎の無の思想。東洋人は西洋人よりも無、涅槃、佛性に就いては深い洞察眼を持って居る樣に思ひます。

時が止まる時。それは人が死ぬ時でせうね。
自分が死ぬ時には次の瞬間は無いのですから。他人の死は、其の人に取っては時間の繼續は無くなるかも知れませんが、それを見て居る自己に取っては未だ次の瞬間はあると感じて居ます。死が自分に起こる時は一生の記憶も、此の世に存在して居たのか否かも何もかも無に成るので、無そのものも有る事は無い。無限の永遠そのものも無。

A)
単位を自分としてみると、「無限の永遠そのものも無」なのかもしれません。
我思う、ゆえに我ありです。

削られ、丸くなり、錆つき、時が教えてくれるのは、
どんなものでもカタチを変えていくこと。

今のところ全然変わらないのは、雅蘭洞さんだけ!?

2016年12月 3日 08:31 | 雅蘭洞英齋居士

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