2020年1月
ひと春早い、あたたかさ。この先、どうなるんだろうニャ。いよいよ日本も40度の夏がやって来るのだろうか。ニャンとも分からん・・・
今年は早い〜!思わずローバイ・・・
あたしゃ、なんだか、おじゃまむし〜〜
眠りネコ、あちこちに・・・
2020年1月31日 15:06
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歩キ眼デス3
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街案内のYさんは、露地や商店街にある名店を知っている。その日も細い露地の一軒、小さな煎餅屋さんを紹介してくれた。引き戸を開けると香ばしい匂い、そして機械の音が聞こえてきた。左手に煎餅を焼く機械と味を絡める釜、奥に小さな商品棚。客は眺めてから欲しい品を伝えて、買う。極めてシンプルな工場併設の直売所だ。
ご夫婦が煎餅を焼き、そのお母さんらしき方が販売。美味しい煎餅を提供するために、一日、手を動かしているんだろうなあ。こんなお店があったんだ〜、ちょっと感動する。Yさんがミックスという一品を買い、試食させてくれた。焼きたての美味さが口に広がった。近くにあるなら、時々買いに来たい!!!。
2020年1月30日 11:44
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歩キ眼デス3
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雑司ヶ谷界隈の七福神や仏様たちは、どことなく表情が柔らかだった。ありがたいオーラはないけれど、なにか暖かみがあり、親近感がある。これは下町の気さくさが繁栄されているのかもしれない。わざわざ、京都や奈良に行かずとも、充分にお参りが出来るお寺や神社が近くにいくつもある。江戸はそんな街だったのだ。
寒桜も微笑んでいるかのよう
2020年1月29日 16:16
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歩キ眼デス3
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そのお店は、鬼子母神境内の大銀杏のそばにあった。「上川口屋 創業一七八一年」の看板が掲げられている。はて、その頃、駄菓子屋なんてあったのだろうか、なんて失礼なことを思う。懐かしいお菓子がズラリ並んでいる。ゆっくり見て、店主の方と話をしてみたいが、今日は残念ながら吟行の流れの中、振り返りながらそこを後にした。店主の方の笑顔と毛糸の帽子が印象的だった。
気になったので、調べてみた。この方は13代目の内山雅代さん、60年以上この店を続けられている。モットーは「皆さんに喜んでもらうために、人生は楽しむために」とあった。
大賛成!
「鬼」の文字の上をご覧あれ。ツノというか、点が打たれていない。ここの像は、鬼ではなく菩薩の姿をしているので、ツノのない文字にして入るそうだ。安産、子育ての神様として広く信仰されている。
2020年1月28日 12:21
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歩キ眼デス3
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毎年一月の吟行歌会は、江戸の歴史に詳しいYさんに案内をお願いをして、七福神巡りをしながら、歌を一首詠むことにしている。今年は「雑司ヶ谷七福神」ということで、護国寺の仁王門前に集合した。
護国寺は、五代将軍徳川綱吉の生母、桂昌院の発願により建立された。本堂は元禄以来の姿(1697年完成)で残っており、江戸の面影を今に伝えている。東京にこんな古い木造建築物があるとは知らなかった。ほとんどが震災や空襲で無くなっていると思っていたから、少し驚いた。
この後、露地を通り、大鳥神社、雑司ヶ谷の商店街を歩いて、鬼子母神、そして明治通りから池袋までのお寺を歩き通して、無事においしいイタリアンのお店に到着。皆さん、よく歩きました。
この後、いつもの角川庭園で歌会を楽しんだ。
上席の歌は、こんなです。即詠とは思えないほどの素晴らしさ、お見事!
かないません。
数百年の Sさん(一席)
香と経が
私に移るか
大伽藍を支える
柱を抱いてみる
千人の子を喰ろうた Kさん(二席)
鬼子母神の
腕のごとく
宙へ宙へ枝を広げる
墓場の大欅
ちなみに小生は圏外で
皆んな知ってる
財は心に
福は公平に
だから歩いて願う
雑司ヶ谷七福神巡り
参加者全員の分を七カ所でペッタンしました
2020年1月27日 16:18
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歩キ眼デス3
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ムム、これはどういう意味・・・一瞬、分からなかった。ここは山の道具を揃えている店のエレベータの前。
山を想えば、山が恋しいだろう。なぜ人なのだ?
しばし考えた。
人とは、山の仲間や山小屋の主人のことだろうか。
気になったので、調べてみると、百瀬慎太郎という人の言葉だった。明治25年生まれ、旅館・山小屋経営者にして山岳家、そして歌人。その時代であれば、山を愛する人たちを想うのは当然だろうと思った。
2020年1月23日 19:45
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歩キ眼デス3
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やはり買ってしまった。「再確認!」とあったので、今一度、チェックしなければいけない。もう一つの特集「ココロに効く!カラダに効く!ひなびた山の温泉へ」、これも嬉しい。
2020年1月22日 16:39
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歩キ眼デス3
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消費税が3%の頃に発売されている
弟からこんな画集が届いた。けっこうな額だが、どうやら新刊ではなさそうなので、安心した。そういえば数日前に「本を送るから」の電話があった。
坂本直行・・・よく覚えているなあ。
以前「故郷の先人たち」というエッセイを頼まれ、画家・坂本直行を選んだ。札幌の図書館に彼の資料があることを知り、弟に「日高の風ー孤高の山岳画家・坂本直行の生涯」を借りてもらったことがある(しては行けないこと重々承知)。大地を開拓していくという生き方、そして自然と向き合う姿に激しく揺すぶられた。毎日のように眺めて読んで、返却日を過ぎてから慌てて送り返した。
そんなことを覚えていたらしい。ありがたいこと。ページを進めていくと、北の花たちのスケッチとメモが生き生きと標されている。どれも力強い、そして愛情が感じられる。無骨な手と優しげな視線が思い浮かぶ。カッコイイ〜。
こんな男に弱いのは、女ばかりではない。
2020年1月21日 15:44
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昼前には止むはずの雪が高尾山の景色をどんどん山水画に変えていく。息を呑む程の美しさだ。高尾山口に集まったのは6名。参加予定の半数だ。この雪では仕方がない。山頂に着くまでには止むと予測し、登山を決行した。安全な1号路を登っていく。約一時間半で薬王院に到着。今年一年の登山の無事と娘が破談にならないよう祈願する。
とりあえず山頂を目指そうと、さらに一時間余り雪のなかを歩く。山頂直下の食堂に入り、昼食を始めた。店が騒がしくなる。聞けば早仕舞いしたいという。店員の人たちも無事に下山をしたいのだ。我々も長いは無用と早々に食事を終えて、山頂へ急ぐ。
こんな高尾山の山頂は初めてだった。北海道には雪が無いのに、こんな関東の低山が真っ白になって、これも温暖化のせいなのだろうか。ケーブルカーを使って全員無事に下山。宴会の酒が沁みた。
2020年1月20日 17:14
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昨年末に登った秩父の美の山公園山頂で見つけたポスター。公園を管理している方が「外は寒いでしょうから管理棟の中で食事してください」と声をかけてくれた。ではではと、おにぎりを食べながら、写真などを見ていると、この一枚に目が止まった。
初めは手書きで描いたポスターだと思った。しかし近くに寄って見ると、これがじつによく出来ている。この制作者、おっさんかよ〜?このレトロ感覚というか、バタ臭さというか、たまらない味を醸し出している。
出演には参った。主演はダニ。そして、田畑薄着、草刈肌子、肌出狩人、羽衣山菜とある。驚いたのは、クレジットが「KORO FILM」。つまり厚生労働省が認めたポスターなのだ。まあ、よくぞ、これを採用してくれた!
寒さを忘れ大いに笑った。ずいぶん前に張られたのだろう。変色して紙もヨレヨレになっていたが、それがいい味を出している。「山ありダニあり」。忘れられないポスターとして記憶に残りそうだ。
2020年1月17日 17:59
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歩キ眼デス3
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田酒の文字に引かれて近所の居酒屋に飛び込んだ。ビールを頼んでメニューに目をやると、ムムム。「ながらみの塩ゆで」とある。久々に聞く名前。もう40年以上も前だろうか。西伊豆の何処かで泳いでいたら、食べられそうな小さな貝があると、仲間の一人が見せてくれた。地元の人に聞くとながらみと言う食用の貝だというので、全員が海の男となり、ながらみ採りに夢中になった。
ながらみを海水で茹で、貝を少しずつ回転させながら取り出し、ほうばる。「美味い」。味はサザエ、食感はアワビか!?
そんな昔を思いだして、楊枝で上手く引きづり出して食べると、磯の香りが口に広がった。思わず額を叩く。酒と合う。これだけで好い・・・
もうこれは、しがらみとなる。と一人馬鹿なシャレを言いながら、鉢一つを瞬く間に喰いつくしてしまった。
2020年1月16日 12:04
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百蔵山を下りるとロウバイの花が咲いていた
雪が降っていませんと秋田の姐さんからメールがあった。北海道からも雪が無いよ〜と連絡があった。今年は変な冬だ。北海道といえば、オーストラリア。昨年から燃え続けている森林火災の焼失面積が北海度の広さに及んでいるという。
おいおい北海道って、九州の倍の面積だろう。それがいまもなお燃え続けている。どれほどのCO2が排出されているのか。シドニーでは多くの市民が、呼吸器系疾患の危険に晒されている。なぜそんなニュースが日本では騒がれないのか。コアラの火傷ばかりが報道されて。
大規模火災は、北半球でも起こり始めている。温暖化で超えやすくなっている植物。火がついたらなかなか消えてくれない。これからが山火事のシーズンだというから、オーストラリア全土が燃えてしまうのではないかと不安になる。
不謹慎ながら、こんな歌を思いだした。
2020年1月15日 19:12
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今年の初登りは、山梨県の百蔵山だ。すぐ近くに扇山もあるので、ついでにと思ったが、すぐに諦めた。千メートルの登りはキツかった。最後のクサリ場では、この山には頂上がないのではないかと愚痴の一つも出てきた。もうそろそろと思って見上げるのだが、なかなか見えてこない。
休憩時に見える富士山の姿がどれほど励みになったことか。クサリ場がようやく終わって見上げると、きつい斜面が消えていた。西に向って歩くと明るい山頂だった。数人が富士山に対座してお昼を食べている。辿り着けば、なんと穏やかな山頂。遥か下に中央高速と小さな街並みが見える。
またあそこまで降りるのかよ〜と眺めながら、とりあえず今年最初の山を登れたことに安堵した。いつものようにおにぎりは、赤飯と梅。最後に行きついた二種類だ。
食べながら思うのは南半球。こうした今もオーストラリアは燃え続けているのだろうか。いつまでこの緑の山々はあるのだろうか。地球のこれからを心配しながら、富士を眺めていた。
JR猿橋駅を降りて宮下橋を渡ると百蔵山と扇山(右)が見えてくる
2020年1月14日 11:06
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ミーソン遺跡は、ベトナム国内に8つしかないの世界遺産のうちのひとつで、6世紀から13世紀頃まで栄えたチャンパ王国の遺産だ。広いジャングルの中にたたずむ神秘的な遺跡群は、8つの地域に点在し、どれもレンガを積み上げていくだけの建築技法で作られている。
気がついたのは、遺跡に彫られた像の顔がことごとく破壊されていることだ。いつの時代も征服者は、像の顔を壊したくなるのだろう。なかには歪な顔があるのだが、全体のバランスや色具合で、それが後年に加えられていることが分かる。
チャンパ王国は長い間、海洋国家として、アジア海域全体で活躍のしていたが、16世紀にキン族という今のベトナムを作った民族により滅ぼされた。つまり顔の破壊者は、このキン族!?。
チャム族の伝統舞踊があった。53もの少数民族がベトナムの各地に存在していて、その中でも最大規模を誇る少数民族がチャム族。全体に細めで小さい人が多い印象だった。
踊りは男たちの打楽器に合わせたシンプルな舞いなのだが、とても優雅に感じた。きっと古くから変わらずに続いてきた踊りなんだろうなあと眺めていた。
笑顔の素敵な人たちだった
2020年1月10日 19:00
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チャム族の人たちの舞いに出会えた
2020年1月 9日 17:15
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ここにパクチーをドンとトッピングする
美味しかったのはフォー。ホテルの朝食ビュフェ、夕食の〆、空港でとよく食べた。最初に食べた麺の柔らか過ぎ以外、どれも鳥の出汁が美味しく、麺がスイスイと喉に入っていく。ポイントはパクチー。これ一つで上品でボンヤリしているようなフォーがキリッとしてくる。
このパクチーは、好き嫌いがはっきりしている。家人は丁寧にそれを避けていた。上目使いでそれを眺めながら、もったいないなあ〜と毎回完食し、スパーでフォーのカップ麺までお土産に買ってしまった。
全ての料理が美味しく、体重1キロ+で帰国〜
2020年1月 8日 17:23
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歩キ眼デス3
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朝に夕に、一人でホイアンの街を歩き、さまざまなモノを口にしているうちに思いだしたのは、開口健のベトナムを伝える熟語の数々だった。それは熱帯のエネルギーに満ち満ちた妖しいまでの言葉の洪水。「夏の闇」「輝ける闇」だったか。
旧市街の細い露地に入っていくと、様々な臭いが鼻をかすめていく。嗅いだことのある臭い、うっと立ち止まり探りたくなる臭い、異臭なのか食べ物の臭いなのか、脳が麻痺していく。この臭いの様々こそがベトナムなのだろう。
怖い、汚い、臭いの3Kの露地にこそ、この国の原点がある。昨日食べたシーバスのフライは、シークワーサをかなり絞ってかけたが臭みがあった。ヘドロのような臭いのする川辺でヘルメットまで被って貝を採っていた人がいたから、その近くで捕れたのかもしれない。生きていくことは大変なことなのだ。
けたたましいクラクション、そして夥しい呼び込みの声が街に溢れている街、ホイアン。昭和の日本となんら変らない人々の暮らしがあった。
一方で、家人たちはリゾートライフを楽しむ。こんな二方向の旅の楽しみ方があってもいいのかもしれない。
2020年1月 7日 15:19
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映画のセットのような大洞窟がいくつもある
娘から毎年のように海外旅行を誘われる。けれど、休みが取れないのと、長時間、機内に閉じ込められるのが厭で、断っていた。ならベトナムはどうかと聞いてきた。渡された資料に「五行山」なる三文字。なんじゃこれは?もしかしたら、なにか縁があるのでは・・・。
よし、ここに行こう!と、鼻息荒く立ち上がった。
というわけで、旅の三日目、ダナンという街から五行山に向った。入山チケットを購入し、キツい階段を汗をかきながら登っていく(娘たちはエレベータを使用)。ここは流行りのパワースポットととして有名らしく、世界中の老若男女で混雑していた。
五行山は、5つの山で構成されていて、ベトナム最後の王朝であるグエン王朝の第2代皇帝ミンマン帝という人が、風水でも有名な陰陽五行説を元に名付けた。それぞれの山の名を宇宙を構成する金、木、水、火、土をモチーフとしている。なんでも「西遊記」にも登場した山で、暴れん坊だった孫悟空が500年間ずっと、閉じ込められていた山としても有名だ。
五行山の最も高いところは標高100m。しかしアップダウンが激しいことと、大理石の階段がよく滑るので、気が抜けなかった。湿度もあり、持参した山の手拭が役に立った。
ほぼ垂直によじ上る洞窟があったり、休憩所があったりで、アミューズメントパークのような五行山。「五行山」の三文字に引かれてのベトナムだったが、この国は、もう一度訪れてゆっくり回ってみようと、人生初めてのココナツジュースを飲みながら思うのだった・・・。
2020年1月 6日 17:15
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洞窟の最深部にあるフェンコン洞窟の巨大大仏
明けましておめでとうございます。
年末より、最初で最後!?の家族旅行でベトナムに行ってまいりました。昨年の秋、娘から海外旅行の話があり、あちこちの国を打診されている中、ベトナムの資料の中に「五行山」の名!?
五行歌+山。これは行かねばなるまい・・・。ここへ連れていってほしい。全て任せると娘に一任。ベトナムの人たちのエネルギーに翻弄されながらの旅のお話は、週明けから。
今年も、歩きながらの「見た・思った・考えた」を書き記していきます。よろしくお願いいたします。
2020年1月 3日 19:15
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