2021年1月

お年玉


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麹町倶楽部という五行歌の会には、年間大賞という新春恒例のビッグイベントがある。一年間の上位の歌(12ヵ月分)からメンバーが好きな歌を十首選んで発表するというドキドキの企画だ。

一昨日に結果が発表され、なんと ↑ この歌が、一席に選ばれた。ビックリで、しばし呆然・・・。素晴らしい歌のなかから選ばれたのだから、お年玉をもらったような気分。

そして三席にも、雨の大糸線で詠んだ歌が選ばれた。こうして読み返すと、どちらもあの日をくっきり連れてくる。記憶は、出し入れをするたびに、色を濃くしてページに織り込まれてゆく。


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アンテナショップ


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旅ができないのなら、散歩の足を少し伸ばして、都道府県のアンテナショップで買い物を楽しむのはどうだろうと考えた。

都内には47都道府県のアンテナショップが点在している。そこへ旅気分で訪れ、食べたい&呑みたいを買って我が家でさまざまに妄想をする・・・。

向田邦子展の帰り、近くに新潟物産店があるのを思いだし、立ち寄った。新潟は酒蔵数が日本一。そう思って入ると、いきなりワンコインで呑み比べができる「立ち飲みスペース」があった。500円で三杯。ただしグラスはお猪口。これは小さすぎる・・・我慢しよう。

酒をスルーして、まずかごに入れたのは笹だんご。若い頃、スキーで越後湯沢に通っていた頃、必ず食べていた。笹の強い香りに包まれて、濃いみどり色した餅の中から粒餡が顔をだす。いいねいいね。そして、柿ピーのバリエーションに目を見張る。種類が多い。もう手が止まらない・・・
旅行に行ったと思えば、これくらい〜〜♡


向田邦子展


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向田邦子展「いま、風が 吹いている」を観てきた。没後40年、もうそんなに経つのかと月日の流れを感じずにいられない。タイトルがいいな。もしかしたら向田ブームの風が吹くのかもしれない。
最終日、多勢の若い人たちが来ていたし。


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青山スパイラル一階フロアには、氏のポートレート、エッセイやドラマの脚本の自筆原稿、氏が選んだ100冊の小説、「徹子の部屋」の対談ビデオ、そして台湾旅行に出かける前に録音したという、向田さん最後の応答メッセージが聞ける電話機と、生前の氏を身近に感じてしまう構成。
また天井から????が舞い降りてくるユニークな仕掛けもあって、手にした人はじっくり読んでから、クルクルと巻いて大切に仕舞い込んでいた。

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舞い降りてきた細長い紙を受け取った・・・
「夕暮時というのが嫌いだった。昼間の虚勢と夜の居直りのちょうど真ん中で、妙に人を弱気にさせる。ふっと本音のことを言いそうで腹が立ってくる」ドラマ「冬の運動会」

誰だろう、懐かしい作家の一行を読んでいるような気持ちになった。
たとえば太宰とか・・・

息づかいが聞こえてきそうな原稿を読み、きれいな言葉使いを聞き、氏が身につけていたお洒落な装飾品を眺めて、昭和が息づいていた日々を思い返した。
元気だったら私たちは、どんな作品に出会えたのだろうかと、胸がツンとした。


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山口瞳は氏を可愛がっていた。だからか?こんな一冊を選んでいた

オンライン


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世の中のオンラインが加速している。コロナが起こした大きな社会現象だ。友人のKさんは、ミーティングはもちろん、講座、同期会、歌会と毎日のようにオンラインが続くと驚いていた。

先日ある小学校の校長先生からオンライン授業の最前線を伺った。その小学校では、全生徒にタブレットが配布され、すでにオンラン授業が始まっている。授業の電子化は加速し、2030年には小学校では教科書がなくなり、全てタブレットに収まるというのだ。

ということは、ランドセルも無くなるのか?つまり、爺婆はランドセルを買ってあげる楽しみが無くなる・・・。

打ち合せ中に、そんなことを思いながら、マスクを外してコーヒーを飲み、すぐにマスクを着ける。
そういえば最近、打ち合せ中のコーヒーをゆっくり味わっていない。
香りという五感の一つを失っている・・・。

子供達は言うだろう。わざわざ婆ちゃんちへ行かなくたって、オンラインで会えばいいじゃん。

子どもたちを抱きしめられない日がやって来る!?


よく思うこと


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大根おろしのように心がごりごりとすり下ろされ、痛みとみずみずしさが同時にわき上がってくる。
芥川賞を受賞した宇佐美りんさんの書いた小説「推し、燃ゆ」の冒頭にある一文。

先週末の朝刊に掲載されたに彼女の寄稿文のなかに
人と関わりたくなかったと言ってしまうと、なんだか人嫌いのように聞こえるが、そうではない。人を苦手になるよりさきに、自分をよく思っていなかったので、一人でいなくてはならない、人に近づいてはいけないと感じることが多かった。

若い人の揺れ動く繊細な思いと苦悩が伝わってきた。

コロナ禍の中、若い人たちの将来や未来への苦悩を聞くと気の毒になってくる。生きづらい時代、それでもなんとか諦めずに切り開いてほしいと願う。君たちしか未来を変えられないのだから。最近よくそう思っている。


気になる女(ひと)


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新春の富士山は雪が少ない


深夜に大相撲のダイジェスト版を観るのを楽しみにしている。横綱は欠場。大関が弱い。こんな場所がしばらく続いている。そんなわけで相撲はつまらないかといえば、どっこい平幕の有望力士の取り口や技、そしてキャラクターなどにも関心が向けられ、けっこう面白い。

そしてもう一つ。観戦している女性の一人にどうしても目がいく。その女性は、前列の席(向って左側の通路に近い席)で、静かに土俵を見つめている。背筋を伸ばした正座姿がじつに美しい。毎日、定位置。いったい誰だ〜とついにググってしまった。

ネットでは「溜り席の妖精」と呼ばれている・・・すでに相撲ファンには知られていた。しかし詳細は不明。ワンピース&マスク女性への関心が、日増しに増していく。荒っぽい力士と謎の美女の組み合わせ・・・画面から目が離せない。

解説の舞の海〜教えてくれ〜〜


甘党


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神田川でコサギの捕食を眺めていたら、急にお腹が空いてきた。少し先に、創業大正三年・寒天工房「讃岐屋」さんがある。小さな店なので二回に一回は、満員で入れない。今日はどうだと、暖簾をくぐれば、一組だけ・・・よかった・・・

少ないメニューから、焼き団子とぜんざいを注文する。飲み物は懐かしのアップルタイザー。コロナマスクを外して、まずタイザーをグイと一飲み。梅の香りが残って、じつに爽やか。
しばらくすると焼き団子がやって来た。串に小さな団子が五つ。醤油の焦げた甘い香りに鼻がヒクヒク、四本はクイクイと胃袋へ。

そして「餅二つ入り・椀ギリギリまで小豆」のぜんざいがやってきた。あまり甘くはないが、団子四本の後の大盛りぜんざい。これはキツかった。
タイザー、お茶二杯飲んで、なんとか完食。小豆は美味しい。


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半端ない小豆が椀の底までたっぷり〜

コサギ


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珍しく大人しくステイホームの週末を過ごした。神田川沿いを散歩すれば、ムクドリ、カモの声が聞こえてくる。あまりキレイとは思えない川には、コサギが四羽。餌となる小魚を狙っているのだろうか。待てよ、この川にだいたい小魚なんているのか?・・・


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四羽の真ん中からウの幼鳥らしき一羽が水から現れた。ということは、間違いなくいるということ。大人しく観察をしていると、素早く長い首を伸ばして小魚を捕獲しはじめた。10センチくらいの小魚か。あっという間に呑みこむ。他のコサギが奪おうとする動きを見せるからだ。

見飽きることがない。次々に小魚をゲットしていく。欄干にもたれて鳥を眺めるというのは幸せな時間だ。
常に食べ物の心配をしなければならない鳥たちを眺めていたら、急にお腹が空いてきた。

記憶


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見上げて思わず「ビュフェ」と口にする。こんな冬木立の絵を見た記憶があったからだ。画家の名前は記憶のスイッチを動かした。

もう半世紀も前か・・・心淋しい冬木立が並ぶ公園の雪道に、足跡が点々と付いている。その足跡の間隔は狭い。なぜ?

ある朝、それが分かった。小学生が用心しながら足跡を辿って歩いている。通学する小学生のために、大人の誰かが早起きをして、歩幅にあった踏み跡を付けていたのだ。

口にすると記憶のドアが開くことがある。

五輪終


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この歌を詠んだのは去年の10月。発表すると、意外に反響があった。
この歌の矢面に立たされているのは組織委員会の森会長だ。先日、新年の挨拶で最後に語ったのは「スマホをみると、私の悪口ばかり、菅さん以上だった。長い人生でも初めて、森内閣でもこんなにひどくなかった」。

このコメントの向こうにある森さんの思いを想像した。
「本当は、俺だって中止にしたい。しかし今、そうもいかんのよ」。語り口、語り方には、立場の辛さがにじみ出ている。関係者は分かっていて気の毒がっているのかもしれない。時間が経って「あの時は辛かったねえ・・・」と振り返るのか。

現役で立場にあると、私見・私情を通せないことがある。

\^o^/^o^\ニュース
サッポロの「RAGAR」は、スペルミスのママ売り出されることになった。廃棄するのはよくないと言う消費者の声に会社は発売を決定したようだ。
意外に売れる!?のではないかと予測している。


スペルミス


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今日発売予定だったサッポロのラガービールのラベルデザインに、スペルミスがあり発売が延期されたというニュース。「RAGER」と表記されるべきを「RAGAR」と印刷してしまい、出荷前に気付いたという。

厳しいチェックを受けてるはずなのに、なぜこんなミスを・・・そう思ったが、昨年末に同じようなミスをしていたことを思いだした。

「CALEDAR」とすべきところを「CALENDEA」とし、入稿ギリギリまで気付かずにいた。「RAGER」とは、全くの逆だ。そうだと思い込んでいると、チェックは甘くなる。

思えば数年前、甲武信岳で小屋を見つけられず山頂付近で途方に暮れたのも、小屋の位置を尾根一つ間違えて覚えていたからだった。地図を見ても勘違いに直ぐに気付かなかった。あとで10年以上の勘違いをしていたことに気付く。

チェックした担当者を気の毒に思う。このビールは出荷されるのだろうか。


ほっかぶり


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東北、日本海側の雪は半端ないようだ。秋田湯沢町の歌友からは「街が埋もれてしまって出歩けません、郵便局にもいけないので、発送が遅くなります。ずっと雪かきをしています」のメールがあった。

テレビには、降り積もった雪が、平屋建家屋の屋根近くまで達している様子が映しだされていた。ふと、ふるさと札幌の冬の日々を思いだした。

「おい兄貴、行くぞ!」と、父から声がかかる。受験勉強を途中で止め、アノラックと軍手、長靴を装着し、スコップを持って父を追いかけ、家の回りの雪かきを始める。夜に何度か済ませておかないと、朝、家から出られなくなることがあるからだ。30分くらい体を動かし続けると汗が噴き出てくる。「これくらいにするか」の声がかかってスコップを仕舞い、玄関に入ると、父は頬被りの手拭を外して、雪をはらう。「しかしよく降るな〜」と言いながらも気持ち良さそうだった。

雪かきといえば父の頬被り。それを「ほっかぶり」と言っていた。聞き続けた言葉は、深く記憶される。ほっかぶりは、父の造語だとずっと思っていた。あるとき調べると、仙台や鹿児島の方言とあった。北海道には、内地から連れてこられた言葉がいくつもある。ほっかぶりもその一つだったのだと知った。


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素足


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年が明けると楽しみの一つが、宝島社の新聞広告30段だ。今夕に緊急事態宣言が再発令され、なんだかタイミングがピタリとあった。

「感染拡大は、個人の責任だそうです。宝島」。〜だそうです、とあるのが、いかにも宝島社らしいコピー。それぞれの社会生活をミニマムにしなければならないようですと、やんわりと言ってるのか。

写真に目を移せば、素足の少女がスカートの裾をパンツに挟んで、熱心に机を拭いている。床はすでに丁寧に拭かれているのだろう、清潔に見える。

「言われなくても、やっています。」。モノを大切にすることを教えられていた、昭和30年代・・・あの頃は、子どもの多くはまだ素足だった。

水の冷たさ、土の暖かさ、草の匂いなど、足の裏はセンサーのように反応した。音をたてずに廊下を歩く、陽がさした畳の温かさを感じる、足を小さくしたくなる三和土の冷たさ、そして木の肌や泥まで、足の裏はきっと学んでいたんだ、とこの写真は教えてくれる。


言葉


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昨年を振りかえると、心太(ところてん)のような一年だった。狭いところに押し込められ、何もさせてもらえぬまま、コロナという押し棒でグイグイと押され、気がついたら細く緩く締まりのない一年となって終わり。もちろん味も素っ気もありやしない。

ため息をついてばかりいても仕方がない。ふと思いだして、昨年の春にメルケル首相が国民に向けたテレビ演説を改めて読んでみた。

この時期すでに、ここまでまとめていることに驚く。言葉のもつ意味と重みが沁みてくる。興味とお時間のある方におススメめします。

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2020年3月18日 メルケル首相のテレビ演説

新型コロナウィルスにより、この国の私たちの生活は今、急激な変化にさらされています。日常性、社会生活、他者との共存についての私たちの常識が、これまでにない形で試練を受けています。

何百万人もの方々が職場に行けず、お子さんたちは学校や保育園に通えず、劇場、映画館、店舗は閉まっています。なかでも最もつらいのはおそらく、これまで当たり前だった人と人の付き合いができなくなっていることでしょう。もちろん私たちの誰もが、このような状況では、今後どうなるのかと疑問や不安で頭がいっぱいになります。

本日は、現下の状況における首相としての、また政府全体としての基本的考えをお伝えするため、このように通常とは異なる形で皆さんにお話をすることになりました。開かれた民主主義のもとでは、政治において下される決定の透明性を確保し、説明を尽くすことが必要です。私たちの取組について、できるだけ説得力ある形でその根拠を説明し、発信し、理解してもらえるようにするのです。

本当に全ての市民の皆さんが、ご自身の課題と捉えてくだされば、この課題は必ずや克服できると私は固く信じています。

ですから申し上げます。事態は深刻です。皆さんも深刻に捉えていただきたい。ドイツ統一、いや、第二次世界大戦以来、我が国における社会全体の結束した行動が、ここまで試された試練はありませんでした。

私からは、感染拡大の現状についてご説明するとともに、政府や国・地方自治体の機関が、共同体の全ての人を守り、経済・社会・文化の損失を抑え込むためにどのような取り組みを進めているかをお話しします。さらにそうした取組において、なぜ皆さんが必要なのか、一人ひとりに何ができるのかについてもお伝えしたいと思います。

さて、感染拡大に関してですが、これについて私がお話しすることは全て、政府と、ロベルト・コッホ研究所の専門家、その他の研究者、ウイルス学者の人々との継続的な協議に基づいています。現在、世界中で急ピッチで研究が進められていますが、未だ、新型コロナウイルスの治療法もワクチンも開発されていません。

こうした状況において、あらゆる取り組みの唯一の指針となるのは、ウイルスの感染拡大速度を遅くする、数カ月引き延ばす、そして時間を稼ぐということです。時間を稼ぎ、研究者に治療薬とワクチンを開発してもらうのです。同時に、発症した人ができるだけよい医療を受けられるようにするための時間稼ぎでもあります。

ドイツは、世界有数ともいえる優れた医療体制を誇っています。このことは安心材料ではあります。ただし、あまりに多数の重症患者が極めて短期間のうちに搬送されるようなことになれば、我が国の医療機関も対処できない状況に陥ってしまうでしょう。

これは、単なる抽象的な統計数値で済む話ではありません。ある人の父親であったり、祖父、母親、祖母、あるいはパートナーであったりする、実際の人間が関わってくる話なのです。そして私たちの社会は、一つひとつの命、一人ひとりの人間が重みを持つ共同体なのです。

この機会に何よりもまず、医師、看護師、あるいはその他の役割を担い、医療機関をはじめ我が国の医療体制で活動してくださっている皆さんに呼びかけたいと思います。皆さんは、この闘いの最前線に立ち、誰よりも先に患者さんと向き合い、感染がいかに重症化しうるかも目の当たりにされています。そして来る日も来る日もご自身の仕事を引き受け、人々のために働いておられます。皆さんが果たされる貢献はとてつもなく大きなものであり、その働きに心より御礼を申し上げます。

現在の喫緊の課題は、ドイツに広がるウイルスの感染速度を遅らせることです。そのためには、社会生活を極力縮小するという手段に賭けなければならない。これは非常に重要です。もちろん、国の機能は引き続き維持され、物資の供給体制は確保され、経済活動は可能な限りの継続を図っていきますので、あくまでも理性と慎重さに基づいて行っていきます。

しかし今は、人々を危険にさらしかねないこと、個々人あるいは共同体にダメージを与えかねないことをことごとく縮小していかねばならないのです。

人から人への感染リスクをできる限り抑えていかなければなりません。

日常生活における制約が、今すでにいかに厳しいものであるかは私も承知しています。イベント、見本市、コンサートがキャンセルされ、学校も、大学も、幼稚園も閉鎖され、遊び場で遊ぶこともできなくなりました。連邦と各州が合意した休業措置が、私たちの生活や民主主義に対する認識にとりいかに重大な介入であるかを承知しています。これらは、ドイツ連邦共和国がかつて経験したことがないような制約です。

次の点はしかしぜひお伝えしたい。こうした制約は、渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです。民主主義においては、決して安易に決めてはならず、決めるのであればあくまでも一時的なものにとどめるべきです。しかし今は、命を救うためには避けられないことなのです。

こうしたことから、今週はじめより、いくつかの重要な近隣諸国との国境において、国境管理と入国制限措置が強化されています。

大企業・中小を問わず企業各社にとり、また小売店、飲食店、フリーランスの人たちにとり、状況はすでに非常に厳しくなっています。そしてこれからの数週間、状況は一層厳しくなるでしょう。政府は、経済的影響を緩和し、特に雇用を維持するため、あらゆる手段を尽くす考えであり、このことを私は皆さんにお約束します。

私たちには、この厳しい試練に直面する企業や労働者を支援するために必要なあらゆる策を講じる力があり、また意思があります。

また、食糧供給は常時確保されていますので、どうか安心していただきたい。たとえ商品の棚が一日空になることがあったとしても、商品は補充されます。スーパーに買物に行かれる方に申し上げたいのですが、ストックの買い置きが有意義であるのは、何も今に始まったことではありません。しかしそれは、節度を守ってこそ、です。商品が二度と手に入らないかのごとく買い占めに走るのは無意味であり、結局、他者への配慮に欠ける行為となります。

さてここで、感謝される機会が日頃あまりにも少ない方々にも、謝意を述べたいと思います。スーパーのレジ係や商品棚の補充担当として働く皆さんは、現下の状況において最も大変な仕事の一つを担っています。皆さんが、人々のために働いてくださり、社会生活の機能を維持してくださっていることに、感謝を申し上げます。

ここで、本日、私にとって最も重要な点についてお話します。国がどのような対策を講じても、急速なウイルス感染拡大に対抗しうる最も有効な手段を用いないのであれば、それは徒労に終わってしまいます。最も有効な手段とは、私たち自身です。誰もが等しくウイルスに感染する可能性があるように、誰もが助け合わなければなりません。まずは、現在の状況を真剣に受け止めることから始めるのです。そしてパニックに陥らないこと、しかしまた自分一人がどう行動してもあまり関係ないだろう、などと一瞬たりとも考えないことです。関係のない人などいません。全員が当事者であり、私たち全員の努力が必要なのです。

感染症の拡大は、私たちがいかに脆弱な存在で、他者の配慮ある行動に依存しているかを見せつけています。しかしそれは、結束した対応をとれば、互いを守り、力を与え合うことができるということでもあります。

まさに、一人ひとりの取り組みにかかっているのです。私たちは、ウイルス感染拡大を無抵抗に受け入れる以外になすすべがないわけではありません。私たちには対抗する手段があります。それは、互いへの配慮から人との間に間隔を置くことです。ウイルス学者の助言ははっきりしています。握手はしない、手洗いを頻繁かつ徹底して行う、他の人との間隔を最低1.5メートルあける、そして今は、特にリスクの高い高齢者との接触を極力避ける。

これらを実際に実行するのが私たちにとっていかに大変なことか、私も承知しています。困難な時期であるからこそ、大切な人の側にいたいと願うものです。私たちにとって、相手を慈しむ行為は、身体的な距離の近さや触れ合いを伴うものです。しかし残念ながら現状では、その逆こそが正しい選択なのです。今は、距離を置くことが唯一、思いやりなのだということを、本当に全員が理解しなければなりません。

よかれと思って誰かを訪問したり、不要不急の旅行に出かけたりすることが、感染につながりかねない今、こうした行動は控えるべきです。専門家の方々が、今は祖父母と孫が会わないほうがよい、と助言しているのは、十分な根拠があるからこそなのです。

不要な接触を避けることは、感染者数の増加に日々直面している全ての医療機関関係者のサポートになります。そうすることで私たちは命を救っているのです。接触制限は多くの人にとって厳しいものであり、だからこそ、誰も孤立させないこと、励ましと希望を必要とする人のケアを行っていくことも重要になります。私たちは、家族や社会として、これまでとは違った形で互いを支え合う道を見つけていくことになるでしょう。

ウイルスが社会に与える影響に対し、さまざまな形で立ち向かおうとする創意工夫が見られます。おじいさん、おばあさんが寂しくならないよう、ポッドキャストを録音してあげるお孫さんなども一例でしょう。

私たちは皆、親愛や友情を表す手段を見出していかなければなりません。それはスカイプ、電話、メールであったり、あるいは郵便の配達は続いていますから手紙であったりするかもしれません。買物に行けない高齢の人を近所の人が支援する活動など、すばらしい取り組みの例を耳にしますし、きっと他にもいろいろできることはあるでしょう。私たちは、互いに置いてきぼりにしないという共同体の姿勢を見せていきます。

皆さんに呼びかけます。どうか、今後しばらくの間適用されるルールを守ってください。政府としては、再び戻せるところはないかを継続的に点検していきます。しかし、さらに必要な措置がないかについても検討を続けます。

事態は流動的であり、私たちは、いつでも発想を転換し、他の手段で対応ができるよう、常に学ぶ姿勢を維持していきます。新たな手段をとる場合には、その都度説明を行っていきます。

ですから皆さん、どうか噂話は信じないでください。様々な言語にも翻訳されている公式な発表だけを信じてください。

我が国は民主主義国家です。私たちの活力の源は強制ではなく、知識の共有と参加です。現在直面しているのは、まさに歴史的課題であり、結束してはじめて乗り越えていけるのです。

私たちはこの危機を克服していくと、私は全く疑っていません。ただ、犠牲者数はどれほど増えるでしょうか?私たちは大切な人を何人、失うことになるでしょうか?このことは相当程度、私たち自身の行動にかかっています。今こそ、固い決意のもと、皆でともに行動するときです。制約を受け入れ、互いに助けあうのです。

現状は深刻ですが、この先はいろいろな展開があり得ます。

ということは、一人ひとりがどれだけ自制してルールを守り、実行するかが、全てではないにせよ、今後の展開を決める一つの要素なのです。

かつて経験したことのない事態ではありますが、私たちは、思いやりと理性を持って行動し、命を救っていくことを示していかなければなりません。例外なく全ての人、私たち一人ひとりが試されているのです。

皆さんご自身と大切な人の健康に気をつけてください。ご静聴ありがとうございました。


おめでとうございます


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今年の干支は丑、ということで、年賀状にはこの赤べこをあしらってみた。赤べこは、会津地方の民芸品の張り子で、赤い色には魔除けや厄除けとしての願いが込められている。

疫病が流行った昔、この赤べこが防いだという謂れがあるのなら、施策が後手後手に回るこの国にはモ〜ウ頼らず、この赤べこをダウンロードしていただき、ぜひ玄関ドアやマスクなどに張っていただければ、と思うのであります。


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