記憶


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見上げて思わず「ビュフェ」と口にする。こんな冬木立の絵を見た記憶があったからだ。画家の名前は記憶のスイッチを動かした。

もう半世紀も前か・・・心淋しい冬木立が並ぶ公園の雪道に、足跡が点々と付いている。その足跡の間隔は狭い。なぜ?

ある朝、それが分かった。小学生が用心しながら足跡を辿って歩いている。通学する小学生のために、大人の誰かが早起きをして、歩幅にあった踏み跡を付けていたのだ。

口にすると記憶のドアが開くことがある。

コメント

 久振りに癪に觸らない画題です。寫眞もいいです。
僕もビュフェの繪は好きです。どふ言ふものか、ビュフェとかユトリロの繪は寂しい孤獨な感じが迫って來る繪ですが、好きです。
 二人とも親との關係が希薄だったので、家庭的な温かさに觸れる事が無く、淋しかったのでせうね。ビュフェは残念にも晩年に成って自ら命を斷ちましたが。
ビュフェの繪は風景や静物、人物さへも、どれもがひょろ長い感じで構成されて居るので何となく記憶に残り易いです。
 寂しさの中にそこはかと無い詩情が漂って居ますね。。特に冬の寒い日に感じる、誰でもの心の奥に潜む孤獨感に訴えるのでせうか。

A)
人の記憶というのは不思議ですね。
映像として記憶されていた何かが不意に言葉になる・・・
それが、何かにつながっていく。

もうこれから先、溜めることは余り出来ないはずなので、
底にたまっている澱から旨味を引き出していくことができればと思います。

北国育ちなので、冬のこうした景色には心が揺さぶられます。

2021年1月16日 06:31 | 雅蘭洞英齋居士

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