宝島社
お〜、今年はこう来ましたか・・・
しばしこの大型の新聞広告を眺めて、沈思黙考。
毎年、正月の楽しみは箱根駅伝とこの宝島社の30段のカラー新聞広告だ。
まるで樹木希林が望み、話しているかのようなコピー、そして図柄はミレイの名作「オフィーリア」だ。花まで忠実に流れて・・・笑いのあとにやってくる、「死」という課題。死生観に向きあわなくてはならない。
ミレイの展覧会でこの絵のホルダーを買っていたので、このビジュアルには驚いた。希林さんの恍惚とした表情は、死に向う幸福感に溢れ、キャッチフレーズの意味性を深めている。
しかしまあ、何というキャッチだろうか。「死ぬときぐらい 好きにさせてよ」。
生きることが大変な時代だから、せめて死ぬときくらい自由にさせてほしい。いやそうではない。いかに生きるかは、いかに死ぬかにつながっている。そう解釈した方がいい。
「断捨離」「おひとり様」という流行語が生まれたのも、生きることに向きあっていこうという時代の空気からだ。
それにしても宝島社は、スゴい。出版業界は右肩下がりと聞いているけれど、どっこい頑張っているぞ!の熱いメッセージがズドーンと届いた。
訳あって、読んでいなかった人のために。
「死ぬときぐらい
好きにさせてよ」
人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進化して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。
2016年1月 6日 12:06
コメント
おめでとうございま~す。なんて、軽く言えませんね。
朝日新聞に出てたんですか?
ズッシーンときました。
どうやって死んでいけるのか、病気は怖いし、交通事故は痛いし、
山で凍死も寒すぎるし、惚けていくのも恐ろしいし、
気が変になりそう。
美しい塵になって死ぬってこと、いまできることは、美しい塵になるように生きるってことか。なんだかどうどうめぐり。
ああ頭が朦朧、お正月早々、きつーい。
A)
お正月に冷や水!?
さすがに掲載日は、三ヶ日ではなく5日でした。
楽に死ねるなんてことは少ないですから
いろんなパターンをイメージしておく。
しすぎるとそれもつまらないから未来など見向きもせずに
ただ毎日を必死に生きる・・・
樹木希林さんのような心持ちには、到達できないです〜
皆で話し合ってみましょうか。
2016年1月 6日 19:48 | ふぁ~い
読売にも出てました。これって凄いコピーだと思いました。
オフェーリアの絵はテレカを持っていて好きだったのですが
夫が珍しく欲しいというのであげました。お棺に入れました。
今日ははからずも命日、このブログに出会えてうーんという感じ、今年もよろしくお願いします。
A)
おめでとうございます。
この広告は、クライアントのアイデンティティ、そして才能のあるクリエータによって、生まれたものだと思います。
ずいぶん時間もかかっているでしょうね。
村岡さんの歌集については、昨年、歌友たちと話す機会を多く持ちました。
このブログにコメントを書いてくださっているtamaさんも購入されたそうです。
いつかゆっくりお話が出来たらと思っています。
2016年1月 7日 05:08 | 村岡 遊
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