2023年7月

涼しさの工夫


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オオバギボウシ


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この時期、低山で花を探してもなかなか見つからない。そんな中で、このギボウシが、暑さに参ったように高尾山中に咲いていた。

春、この若葉は「うるい」と呼ばれ、天ぷらやお浸しなどで食べていた。ぬめりがあって、すこし苦い味がする。

ヤマユリとギボウシが、夏の高尾山の代表的な花かもしれない。

北上


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高尾山中で見つけた一円玉の大きさの抜け殻


この夏蝉は啼くのだろうかの心配が吹き飛んだ。アササンで、ミンミンゼミの声がかき消されるほどのクマゼミの啼き声を聞いた。シャンシャンとその声のけたたましいこと。

少しずつ増えてきたとは聞いていたが、都内で当たり前に聞けるようになった。魚も虫も花もみんな北上し、農作物も北へと向っているという。

気候変動で避難しなければならない人が、やがて2億人を超すだろうと予想されている。人はどこへ向うのだろう。

出会い


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山道で黒い甲虫が飛んできたので、叩いて落とした。触覚が長く黒い輝きを放つのは・・・ノコギリカミキリ。子ども頃に覚えた名前を忘れることはない。小学校の夏休みに標本の一つになったカミキリムシ。半世紀を超えた再会で、なにか懐かしくなった。

少年の頃、甲虫の美しさ、不思議さにハマった。布団に入っても今ごろ水銀灯に飛んできているかもしれないと思うと胸が高鳴り、眠れなくなった。

夏休みは、ほぼ山の中にいた。図鑑と同じ虫を見つけるたびに、成長していく自分を感じた。やがてオオルリオサムシという、美しい甲虫を知って、夢中になったが、出会うことがなかった。たまに標本の中に、それを見つけると、少年時代にスッと戻る。

香り


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高尾山で杉が伐採されていて、その香りが森に漂っていた。檜の香りに似ているが、やや弱いかもしれない。もしかして桜の木を伐ると桜の香りがして、ケヤキからは当然ケヤキの香りがする?林業従事者なら分かるのだろうか。

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そしてもう一つは、この時期のヤマユリ。これも強い芳香を放つ。山中でこの香りに気がつき、どこだろうと、見上げると、斜面に大きなヤマユリが数本、重たげに咲いている・・・なんてよくある光景だ。
一節によると、夜の方が香りが強くなるとも言われ、なんだかモーソーが湧いてしまう。

おっさん登山


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登り口の水音の近く、タマアジサイが咲きはじめた

この時期、登山を誘っても参加者は少ない。低山であればなおさらで、皆さん尻込みをされる。先週の土曜日、高尾山の気温は30度、湿度50%の予想がでたので、おっさん二人を誘って相模湖までのコースを歩いた。

午前中は、陣馬山登山口の横から、陽の当たらない北側斜面を約一時間半ほど登る。尾根沿いに出たら、明王峠で昼飯。西から吹き上げてくる風は、汗をかいたカラダに涼しさを呼ぶ。なによりの至福。

登りで一緒のご夫婦が、いいコースですねと言った。もう何十回と歩いているコースなので、嬉しくなる。「このコース、高尾山の中でも一番好きなんです」と答える。

登山者が少なく、広葉樹の美しい森を上がっていくと、広い杉林が眺望できるポイントに着く。ここで一休みして、ヤマザクラの森を愛でながら、尾根を目指せるのだ。

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ど根性一本杉と命名

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春には、ヤマザクラの花びらがそよぐ

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山頂部とは思えないような穏やかな道が続く


明王峠で小屋を修理している男性がいた。週末だけ登ってきて、一人で来年までに仕上げるという。なんと時間のかかる作業だろう。しばらく話し込み、完成を楽しみにしていると告げて、相模湖へと出発した。

最初と最後にやや急な下りはあるが、広く穏やかな山道が続き、山歩きが愉しくなる。痩せた尾根を歩いていると、下からの風が、三人に声を上げさせる。ビールの前のサイコーのご馳走だ。

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相模湖が見えてくると、コースも後半

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休憩を何回か入れて、無事に相模湖の与瀬神社に到着。参拝をしてから、相模湖駅前のお決まりの居酒屋へ予約の電話を入れる。

さあ、生ビールと丹沢誉が待っている。

梅雨明け


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昨年、梅雨明けの頃、仙台にいた


36度、37度を体験すると、今日の30度くらいがやや涼しく感じてしまう。とすれば、やがてくるだろう40度超えの日々も、慣れていくのだろうか。

そんなことを思いながら、梅雨明けを待っていたら、今日は四国、北陸までだそうだ。梅雨前線が北上することで、梅雨明けとなるので、ジメジメからは解放される。

がしかし、移動性の高気圧が、ドンと列島を覆う。果たして40度超えは、いつどこに来るのか。戦々恐々だ。

N君


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四国の友人N君から、素麵が届いた。今年もまた夏が来た、と思う。彼と出会ってから半世紀近くが過ぎている。二十代に、銭湯で声を掛けられてからの縁をしみじみ不思議に思う。

背中を流してもらったこともあった。二十代の若者は、いろんなことを語り合いながら、まさに裸の付き合いをしていた。

彼は、四才年上だった。高校時代陸上部だった彼と、週末は近所をランニングをしたり、本の貸し借りをした。お互い忙しくなり、ゆっくり話すことが少なくなったが、たまに会うとなぜか感謝された。なぜか分からなかった。

ときは流れ、彼は故郷の高松に戻り、四国一のデザイン会社を立ち上げ、順風満帆の人生をスタートさせた。還暦まで仕事を務めあげ、会社を社員たちに任せ、海辺の自宅を改装して、週末だけのレストランを始めた。

それから10年が過ぎたと云う。立派だよと誉めると「なに云うとる、ワシはもうええ歳やで〜」と電話口からの声は、若々しい。負けてられないなと、いつも思う。

鳥と蝉


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このムクドリは花を食べていた


朝のウォーキング中にムクドリが大きなものをくわえているのを見かけた。口元がバタバタと動いている。もしかしたら蝉だろうか。くわえたまま飛び去っていった。その後、同じようなシーンを二度ほど見かけた。

もしかしてと、モーソーが働く。昨年、セミの鳴き声が少なかったのは、鳥たちが蝉を捕食していたからではないのか。暑さと鳥と蝉には、なんらかの因果関係があるのかもしれない。この夏の蝉の声を要チェック。


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きみは無事に飛び回っているだろうか

すみだ北斎美術館


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日本山岳会は、創立120周年を記念し「日本の古道120選」を事業の柱とし、全国の支部がいま古道調査にあたっている。そんな背景もあって、この「北斎おおいなる山岳」の企画展に惹かれて出かけた。

富士山をはじめ日本の山々は、山岳信仰によって開かれていった。とくに江戸時代は信仰のひとつとなった「講」がブームとなり、多くの庶民が山に詣でた。そんな山との関わりを北斎らの絵師によって、山の暮らしや風景、伝説として描かれ、多くの作品が残された。

猛暑の日、涼しい部屋で学芸員さんによるスライドトークを聞いてから、ゆっくり見学。約一時間半、日本各地の山々を目で登らせてもらいました。
観終わったら、ビールで心身を冷やす。
あ〜幸せ。


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学芸員さんによるスライドトークもよかった

久保敬親写真展


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動物写真家、久保さんの写真展が、明日から旭川市博物館で始まります。約一ヵ月半の長丁場。北海道の皆さま、ぜひ久保さんの迫力ある動物写真に魅せられてください。全50点以上の作品に出会えます。

・久保敬親写真展


路地


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路地の入口に立つと、吸い込まれていきたい気持ちになる。人の往来を想像し、五感が働きだす。走る子どもたちの声。自転車のチリンが響く。テレビの音と一緒に夕食の匂いが漂ってくる。

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呑み屋街、もうすぐ喧噪の世界になるのだろうか。

人手不足


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炎天燃ゆるばかりの新宿通りは、すでに37度を超えていた。吹く風が熱い。何か冷たいモノをと逃げ込んだ先の店にいたのは、ニャンとも珍しいお運びのロボット。

どこも人手不足らしく、いまは売り手市場と聞く。コンビニや居酒屋には高齢者がいるし、友人の話だと客室乗務員にもOBらしき人がいたという。

このニャンロボット、いろんなことを喋りながら、席席の間を縫っていく。人は気を使って、道を空け、届けられた料理をとってあげる。

こんな社会が始まっていく。

辛口


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キンピラゴボウから取りだしたトウガラシ

最近の酒は甘いとお嘆きの貴兄に辛口の・・・という広告コピーを思い出した。酒は辛口の方が好きなのに、辛い食べ物は苦手だ。我慢して食べていた時代があったが、辛いものが体質に合わない、よくないと分かってから、控えるようにしている。

辛口といえば、辛口で話す人が最近少なくなった。上京したばかりの頃、下町の年寄りは、居酒屋や縁台などで、小言や説教じみた話し方をしていたように思う。辛口だけれど嫌味はなくて、笑いながら聞いていた。年寄りは、どこでも同じだなあと思っていた。

辛口で話ができると云うのは、個性であり才能でありセンスなのかもしれない。誰だったろうか・・・「なに言ってやがる」と口癖だった人。

二つの写真展


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暑いこの時期、出かけるなら涼しいところがいい。というわけで、夏の吟行歌会はここ数年、東京写真美術館に足を運んでいる。今開催されているのは、田沼武能の「人間讃歌」と本橋成一とロベール・ドアノーの「交差する物語」。

どちらの写真展も、戦前から昭和の後半まで、市井の人たちの日常を活写している作品が並ぶ。瞬間を永遠に替えてしまう写真を見ていると、簡単に加工してしまう今の時代は、なんとも怪しい。

この瞬間の写真を   渡辺加代子(一席)
撮るために
かけた時間を思う
今は指先ひとつで
修正可

鉱山、サーカス、演芸場、劇場、プロレス場、キャバレー、駅など、そこに生きたエネルギッシュな人たちとそんな時代に、懐かしさと温もりを感じた。

象の額に触る    かおる(一席)
サーカスの少女
人差し指から溢れる信頼
どちらの瞳にも
宿る慈愛

ロマ こびと ストリッパー  
食べていける
受け入れてくれる
時代が
そこにあった   山碧木星(二席)

子どもたちは、いつの時代もイキイキして逞しい。炭坑で、路地で、街角で、その笑顔は未来に向けられている。

この一枚は   宇佐美友見(一席)
私の物語
なくした蝋石を
ここで
見つけた


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ロベルト・ドアノーの「パリ市庁舎前のキス」の前で


負けに不思議の負けなし


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銘酒「北雪」の三段重ね、店長エライ!


この名言を贔屓野球チームの情けない負けに重ねて、深く納得をする。おいおい、そんなミスをしていたら、この裏に失点するぞぉ〜・・・あ〜やっぱり・・・。

ため息をついて、酒がすすむ。野球に限らず、ゲームや勝負の流れには、法則がある。ミスをしたほうが負ける。

負けに不思議の負けなし。この後に、こんな言葉が続く。
勝ちに不思議の勝ちあり。

相手が勝手に転けて、勝ちが転がり込むということだろう。ミスに学ぶことは多いが、ミスを重ねてばかりいると気分は落ち、メートルが上がる(今は使わないか?)。

ベイスターズ、エンゼルス、分かってるんかい!

日傘


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シルバーシートに日傘が一本


新宿通り、大きな日傘の人が追い抜いていった。チェックの素敵な柄だ。見ると男性だった。いまや日傘は夏の必需品。だけど男性がさしているのを見かけることは少ない。後ろ姿が、なんか不思議な空気を醸し出していた。

じつは一つ持っているのだが、少し重いのと、上手にさして歩けない、の理由から、傘立てに入ったままだ。モッタイナイ。

熱射病になりやすくなったし、あの男性のように、もう一度広げて歩いてみようか。

エコ不安


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仙台市郊外の山、泉ヶ岳中腹で出会った峠

人はいつか死ぬ、けれど平気で生きていけるのはなぜだろう。
不安を抱えたところで、いつか死ぬのであれば、生きている間を一所懸命に生きるしかないじゃないか。そう思って人は生きているのだ。そう思っていたら・・・

今、若い人たちに「エコ不安」なるものが広がっているという。エコ不安とは、環境問題に悩み気持ちが沈んでしまうことで、不安や罪悪感が募って、こころ病む人が多いという。

知らなかった。やはり、ちゃんと地球を思って、暮らしている人がいるのだ。森林火災や大雨、猛暑など毎年、起きている気候変動に対して、誰もが不安をもっていたのだ。

自分が死んでいくのは
怖くないけれど
地球が病んでいくのは
哀しく、切ない
なぜだろう

私もエコ不安という病を抱えている一人なのだと思った。

清流


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四万十の川床にディレクターチェアを出して座り、ビーサンの素足は川の流れにまかせ、缶ビールを呑みながら、好きな本を読んでいると、川音も涼しげに聴こえる。

汗を流して働いているオトッツァンたちよ、申し訳ない、と、そんなことを昔、椎名誠がエッセイに綴っていたのを思い出した。

たしかに呑んでいる間は、充分に幸せだけど、森を抜け、歩きはじめると、真夏の倍返しが待っていた。

中野サンプラザ


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中野サンプラザが昨日、閉館した。思い出の多い建物が、また一つ消えていく。社会人一年目のときに住んだ街が、中野だった。喰えないカメラマンとアパートの一室(二間)を借りて、暮らし始めた。毎日のように遅くまでの仕事が続き、銭湯に行くといつも掃除が始まっていた。

その落ち着かない銭湯で、何度も顔を合わせる男がいた。生涯の友になるとは、そのとき想像すらできなかった。田舎から出た者同士、銭湯で夢を語り合っては、友情を育んだ(この男とのそれからはいつか)。

それから中野を出て、中央線の街を点々とする。通勤途中の車窓からは、いつもサンプラザが見えた。ただボーッと見つめているうちに時間が流れていった。

中野サンプラザといえば、加山雄三ショー、娘を連れてのボーリング、上層階でのテニス教室、たまに待ち合わせ。無くなると分かって、記憶はポツンポツンと繋がっていく。