2023年12月

よいお年を〜


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今年もKさんから干支の辰をいただいた

今年も残すところ後三日。早かった。昨年にも増して、一年が加速しているように感じる。コロナは収束したけど、戦争は終わらない、どころか、世界のあちこちで紛争が勃発し始めている。

気候変動、戦争・紛争、貧困問題、食糧問題、AIの暴走など、未来を予測するのが難しい時代。何が起きてもおかしくないのかもしれない。

それでも希望をもって、新しい年に向かいましょう。

年賀状


年賀状の印刷が上がってきた。
今回は、アイデアがなかなか浮かばず、時間がかかった。
その訳をこの三年間からお察し願いたい。

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ミカン


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毎日のように、それも朝晩ミカンを食べるものだから、家人がいつのまにか箱で買っていた。こちらの方がおトクだという。

ミカンといえば、先日「和食と健康シンポジウム」の講演で、ある大学教授が「健康に良い食べ物の一番は日本茶、そして次がミカン」という説を、データを示しながら話をされていた。豆や茸が上位にくるのかと思ったら、まさかのミカン・・・。静岡県人は、恵まれているなあ〜。

そんなミカンを悪くしてはいけないとググってみると、布や新聞紙の上に乗せて、5〜10度の温度・湿度管理の元、風通しの良いところに置く。そして肝心なのは、ヘタを下にすることだという。

なるほど〜と、ザルに布を敷いて並べたミカンたち。・・・ところで、風通しのいいところって、どこだ。

絞められて


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これは、蔓ではなく、蔓に絞められていた木。樹皮を見ると桜かもしれない。長い間、絞められたまま成長を続け、心在る人に蔓の根元を切ってもらい解放されたのだろう。

痛々しい姿になってしまったこの木を見て思ったことは、自然のなかではこうしたせめぎ合いがアチコチにあり、そこにはきっと勝者も敗者もなく、大きな営みのなかに組み込まれているだけなのかもしれないということだった。

それにしてもこの木は、長い間よく耐えたものだ。

ホシくらげノ會


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五行歌の友人、いわさきくらげさんと作った「ホシくらげノ會」。今年は、会員が入って六名になった。隔月の詩歌の勉強会を続けて来たが、毎年創っているカレンダーに、四名の歌を加えようとなり、2024年のカレンダーを創った。

それぞれが二つの月を担当し、12ヵ月が繋がった。小生の担当月は、6月と12月。すでに作った歌を懐かしみながら選んで、二つの月を埋めた。

来年、六人が毎月の歌を眺めていく・・・きっと会への思いが深くなるかもしれない。出来上がりを手にして入ると、なにか充たされていくものがあった。

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二季


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日本文学の研究者、ロバートキャンベルさんが、四季が薄れて「二季化」していく心配を新聞のエッセイに綴っていた。

和歌にも歌われているように、日本人が季節に感じる意識を身体に働きかけ、人間の喜怒哀楽を呼び起こしている。とくに春と秋は、自分の限りある人生を認識するほか、他者と向き合い、心を通わせ、喜怒哀楽を共感しながら分け合ってきた。

途絶えることのなかった季節と人々の営み、言語的表現との深い関係が、「二季化」で無になるのではと不安であるとも語っていた。

日本人の心を知り尽しているロバートさんらしい、感じ方です。四季が薄れてゆくと、詩歌はどうなっていくのか、そんな心配をしてしまいます。

見ていたのか


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見られていたのか・・・


伊集院静


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友人に貸していた本が、半年ぶりに還ってきた。貸した本は、いつのまにか忘れてしまうことが常だが、この本もその一冊だった。

「別れる力」、先日亡くなった伊集院静のベストセラー「大人の流儀」の三作目。タイトルをあらためて見ると、絶妙なタイミングに戻って来たものだが、Eさん、これはいけないと思ったのかもしれない。
無頼派の彼を惜しみ、再読していると、ある一文に目が止まった。

「政治家とは国を平気でこわす職業なのである」。なんとこの絶妙なタイミング・・・役人と政治家の多い国は、傾いていくとも言っている。まさにまさに・・・。

マナーの悪い人間、品性の良くない人間、楽をして生きる人間には、厳しかった。反面、不器用な人間や弱者への眼差しは温かだった。

伊集院静、カッコイイ人生だったなあ〜

星空


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小淵沢駅から八ヶ岳眺望

週末は、日本山岳会「子どもと登山委員会」の次年度の計画を兼ねた忘年会だった。メンバーは、二ヵ月間のヒマラヤ遠征から帰ってきたばかりのIさん。日本山岳会・120周年企画「日本の古道120選」のプロジェクトリーダーで副会長のNさん。そして委員会のメンバーのAさん。

常宿にしている八ヶ岳の施設内にあるロッジを今回初めて利用した。ログキャビンの造りで、山小屋風の室内。これなら遅くまで呑めるな〜と楽しみにしていたのに、お疲れモードや長いテント生活の日々もあってか、皆さん九時過ぎには就寝・・・。

「おいおい、なら、ここまで来て打ち合わせする必要ないじゃないの」とブツブツ言いながら、独りワインを呑んで、外に出ると、満天の星空。

星座には詳しくないので、よくは分からないが、こんな沢山の星は久しぶりだった。数日前なら双子座流星群が見られたかもしれない。

まあ、この星空に出会えたのだから、良しとするかと納得し、凍てつく中、星を見ていた。


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南には甲斐駒ケ岳、昨晩の雨は雪となっていた

山岳古道120


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ロゴタイプを作りました

日本山岳会は創立120周年を迎えるにあたり、記念事業として、古道、特に山岳古道の調査をすすめています。
これから少しずつですが、HPでも公開されてゆきます。

 ↓

流れていった時間


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動いていく景色を見るのが好きだ。じっと眺めていると、時空の中を生きていることが分かる。それも移動スピードによって、見えてくる景色によって、湧き上がる感覚が変わってくる。

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釣り人の時間、刻々と変わる天空の光、高度によって広がりを見せる俯瞰、そして流れていく灯火の下には、哀しみや幸せがあるのかもしれないとか、記録映画を見ているような気持ちになっていく。
写真を見ながら、今年、流れていった日々を思い出している。


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アワテズ


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サワガニ(騒がず)

高尾山新コース


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こんなこと、してられないと立ち上がり、週末、久しぶりに一人で高尾山の新しいルートを探して歩く。いくつものルートを上手く繋ぐと100以上のコースが生まれるはず。そのくらい高尾山の懐は広い。

コロナ開けから高尾山には、どっと人が来るようになった(と思う)。高尾駅、高尾山口駅は週末ともなると、ホームに改札は人だかりだ。とくに多いのが外国人。諦めて、帰ろうかなと思うが、混むのは主にロープウェイ、リフト、高尾山神社に集中するので、そこへは近づかないようにする。これが肝心。

今回も、昭文社の地図にはおそらく出ていない、林業に携わる人の山道を下りた。これがなかなか好いのだ。いきなり眺望が現れて、ビックリ。登りから人気の少ないコースの組み合わせが出来たので、新緑の頃、皆を連れて来よう。

大竹英洋さん


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この本を携えて、自然写真家の大竹英洋(おおたけひでひろ)さんに会いにいった。大竹さんは、テレビの「ワイルドライフ」にときどき出演されているカメラマンで、彼もまた、星野道夫さんの写真に憧れた一人。

夢の中に現れたオオカミによって、写真人生のスタートを切ったという。200人ほどが集まった小さな会場で、スライド・トークショーが始まった。北米大陸のノースウッズという地をフィールドにして自然や動物たちを撮っていて、その作品集「ノースウッズ 生命を与える大地」は一昨年度の土門拳賞を受賞している。

動物たちの命溢れる写真はもちろん素晴らしいのだが、彼の人柄を伝える言葉には、自然や生き物に対する謙虚さが溢れ出ていた。自然と対峙し、ただ待つという時間をどう過ごしているか、自分に向ける生き物たちの眼差しに、どんな意味があるのか。

心の温まる彼の話を聞き終えてから、「いまの環境への思いと地球の寿命は、後どれほどでしょうか」と質問した。アメリカやカナダで出会った山火事、洪水、氷河の融解などから地球環境の危機を覚えていて、個人的には、地球は厳しい状況にあると思っています、と語られた。

いつかどこかで、もっと話をしてみたいなと思う人だった。
最新の著書「もりはみている」に、彼のもう一つの視線を感じ取った。


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12・8


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82年前の今日、日本中でバンザイが響き渡った。日本が、真珠湾を攻撃してアメリカに宣戦布告、国民は勝利を信じて疑わなかったからだ。日本はどの国にも負けないというアホな神話が、多くの国民を洗脳していた。そして若い命を失い、惨めな敗戦へと向かっていった。

最近、ある書評で「幸福な無自覚」という言葉に出会った。知らない、自覚のない人間は、不幸なのではなく幸せなのかもしれない、ということか。

歴史家トーマス・カーライルの言葉にも「人生の悲劇は、苦しむことではなく、見過ごしてしまうことだ」とある。悲劇というのは、気づきのないところから始まる。

落葉


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この秋、ホオノキの下を随分歩きました

まるで、今日が約束の日だったのかのように、プラタナスの葉が次々に舞い落ちて、まるで外国にいるかのような風景を創っていた。四谷交差点から新宿通り、そして外堀通りにかけてプラタナスが主人公の風景である。

落ちた葉は、路上で舞い、車の後を追い、急ぎ足に踏まれて、千々に細かくなってゆく。土に戻ることも叶わず、欠片となったモノたちは、次の命の糧となれるのだろうか。

余りの美しさと街の変容に、詩人になってしまった。

プラタナス


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新宿通りのプラタナスが、空の青と澄んだ光を受けて、色づいた葉をヒラヒラさせて揺れている。いくつかの茶褐色が混ざりあい、ため息が出るほど美しい。

陽が当たる場所、建物の影になる場所で樹の色づき方が大きく違う。大きなビルの影となる樹は、まだ緑を残している。人も同じなのかもしれない、なんて思って見上げている。

健康


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帝国ホテルのロビーのバラに圧倒された


昨日「和食セッション〜次世代に繫げる和食の集い〜」の講演を聞いた。興味深かったのは、医学系の大学教授が健康に効果のある食物に、緑茶、ミカン、キノコの三つをあげていたこと。

お茶は、循環器疾患の死亡リスクを抑え、要介護・認知症のリスクの低下に効果があるという話だった。緑茶は、中学生の頃からほぼ毎朝、食後に二杯ずつ飲んでいる。健康の源は、緑茶であると知り、密かに嬉しくなった。

講演の最後に面白い言葉が出た。ピンピンコロリの反対は「ネンネンコロリ」。可笑しくて声を出しそうになった。眠ったままあの世かなとも思ったが、そうではないと云う。

今日、撮影の仕事の後に、友人カメラマンと健康談義。彼は奥さんと共に二年前からビーガンになったと告白した。肉、魚だけでなく、卵や乳製品も口にしない。玄米、豆、キノコ、海藻などを中心とした食事。一番の驚きは、大好きな酒も止めたということ。これは寂しかった。

肉食で96才のベースマン、はたまたビーガンのカメラマン、対極の二人がテーブルを共にすることはありえない。ビーガンのカメラマンは、ジャズが好きなのになあ〜。

BS


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サクラサク

今日から12月。NHKのBSがチャンネル101だけにまとめられた。それに伴う、NHKのアナウンスが実にわかり難いものだった。なんでだろうと思ったら、簡単なことだった。

「BSの103が無くなります」。こんな一言が言えなかったからだ。なぜか!?
無くしてしまうことへの視聴者からの問合せが怖かったからだろう。「なぜ無くす」「なぜ番組を減らす」「視聴料を半額にしろ」、そんな声を危惧したからに違いない。

「時間帯が変ります」として、BS101へと誘う。これを回りくどい言い方で、伝える。現場からは、分かりやすくの声があったはずだが、上層部は頑として、「時間帯が変ります」を押し通したのだろう。

こんな説明にときどき出くわすことがある。「させていただいています」の謙譲的丁寧語もそうかもしれない。「しています」で、いいではないか。

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