母逝く


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母を送った翌日、家族と近くの浜を歩いた


もう7月なんだと、昨日カレンダーを見て気がついた。過ぎ去っていった時間だけを思っていたら、過ぎていく時間をすっかり忘れていた。

28日、出棺の日、降り続いていた雨はピタリと止んで、北海道らしい晴れ間が広がった。母を送るのにふさわしい空。洩れる光が、さまざまな木々の緑を輝かせた。父も弟も、別れの日は吹雪だったから、嬉しい六月の青空だった。

この日は、いつか来る日だった。いや、もうすぐ来る日だった。妹から母のさまざまな数値が下がり始めたことを、知らされていたので、覚悟はあった。弟から「お母さん亡くなったよ」の連絡を受けた時、間をおいて思ったのは、「辛さからやっと解放されたね」だった。

名ばかりの長男は、母のことのほとんどを妹に頼っていた。母が90歳になった時に妹は、こんなことを言った。「私一人が母を独占しているみたいで、申し訳ないね」「いつ母とお別れをしても何も悔いはないよ。沢山のことをしてもらって、沢山のことをしたから」。

その言葉は温かかった。気遣うその優しさに感謝した。いくら母のことを思っても、妹にはまるで敵わない。きっとそんなふうに思っている兄への配慮の言葉だったのだろう。

あれやこれや、書けばきりがない。人生は続く。


コメント

そういう事だったのですか。お悔やみ申し上げます。
静かな文面を読んで、長く生きられたお母さまへのお気持ち伝わります。
お盆があったり一周忌があったり、残されたものはあれやこれやしながら心の中で少しずつお別れしていくものでしょうね。
残された家族の有難さがしみじみ感じられたなあと、自分のことを振り返ります。
どうぞお健やかにお過ごしください。

A)
母は、老衰でした。
ここ一年くらいでしょうか、どんどん体力が落ちていきました。
妹から、「お兄ちゃん来て〜」の連絡があるたびに、母に会いにいくと
「頑張る」と言って、復活していたのに、もう一杯一杯だった・・・

葬儀には、叔母たちや従姉妹、従兄弟、姪と甥らが集まって
賑やかに歓談することができました。
それはそれで、良かったです。

さて、次は自分たちの世代。
そんなことを感じて、生きていくんですね。

ありがとう〜♬

2018年7月 3日 11:48 | ふあ~い

お母様・ご家族様長い間ご苦労様でした。
お寂しく成られましたね。
優しい娘さんや息子さん方に見守られお母様は本当にお幸せでしたね。
お浄土で皆さんの幸せを願い続けて下さることでしう。

A)
一つの時代が終わりました。
妹や弟に、沢山エピソードを聞きましょう。
僕は、彼らが知らなかった、若い母のことを思いだして話してあげましょう。
母のルーツを調べて、母の人生を追いかけていければと思っています。

孫やひ孫が生まれ、裾野が広がっています。
そちらにも目を向けていきましょう。

ご丁寧な、お声がけをありがとうございます。

2018年7月 8日 17:18 | tama

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