権力
2021年9月 3日 15:19 | カテゴリー: 歩キ眼デス3
「歩キ眼デス」。これはいったいなんであるか!?
WalkingとWatchingを合わせた造語なんです。もう20年続けているWalking。
歩きながらの「見た・思った・考えた」を書き記していきます( ^~^ )/
アルキメデスの原理よろしく、ソコに身をおいて、どれだけの発見が溢れてくるか楽しみです。(^ ^♪
Profile 五行 はこべば
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コメント
『あっ、わかります。わかりました。』
お写真…素敵ですねっ。
A)
予期せぬことが起こりましたね。
週末に撮った写真が役立ちました。
2021年9月 3日 17:06 | ゆみゆみ
あの人は全く自分の言葉を持って居なかった。
國民に寄り添ひ、話合ふ政府、と言ひ乍ら事實はニカイに寄り添ひ、國民には一度も自分の言葉で話合はなかった。自分で文章を書いた事が無いから、一頁、紙を飛ばして讀んで居ても、氣が付かない。壊れたレコードのやうに「安心 安全」と繰り返し乍ら、自分一人で頷いて、不安さふに眠さふな眼で辺りを見廻してはおどおどして居た。最後は側近にも見放され、未だ
經驗の浅い小泉大臣だけを頼りに四日間相談し、結局、彼にも見放される始末。赤坂の料亭の一室で作られた傀儡總理は、出來た時から、賞味期限一年と決まって居たのだらふ。
A)
スガスガしくない終焉を お纏めいただきありがとうございます。
この振り回された一年を思い返すことができました。
寄り添う、安全・安心、普段使っていた言葉が、手垢がついたようになってしまい
言葉のもつ真意を見つめ直しました。
番頭の器の人が、主人になってはいけない。
その典型な例ではないかと、この一年を見ていました。
最後に株を上げましたね (株価)
↑ 今日の新聞より
辞めると分かって、株価が上がる。
なんとまあ、皮肉というか、寂しい最後でした。
次の人たちも器でない人たちが並び、日本はどこへ連れていかれるのか
心配の種は尽きません。
2021年9月 7日 11:53 | 雅蘭洞英齋居士
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