伊集院静
今年に入ってから同年代の作歌、伊集院静氏の作品を10冊ほど読んだ。
妻の夏目雅子さんを失った後、伊集院さんは悲しみと絶望を抱え重度のアルコール依存症にもなり、日本中を放浪した。そのときにマージャンなどの相手をして寄り添ってくれたのは、先輩作家の故阿佐田哲也さん(1989年死去、享年60)だった。その恩は小説「いねむり先生」で阿佐田さんの人生を投影したほか、豊かな感性は多彩なエッセーでも発揮した。
その一冊「それでも前へ進む」(講談社)には、人生の真実の一端を見つめた珠玉の言葉が並ぶ。50年ほど前の夏、伊集院さんは弟も失っている。当時17歳で高校サッカー部のキャプテンだった。ある夏の日、瀬戸内海の荒れた海に1人でボートをこいで出て水死した。冒険家になるのが夢だったという。
それゆえか、同書に「別離は切ないが、つかの間の記憶でも、人の胸の中に誰かが消えずにいることは素晴らしいものだ」と記した言葉に実感がこもる。他にも「人は身近な人々を失ってみて初めて、その人の思いやりを知る。気付いた時には相手は去っている。世の中はそのくり返しなのだろう」...とも。
また、「私は子供の教育は、他人の痛み、哀しみを自分のものとしてとらえることができるこころが芽ばえれば子育ての半分はできたと考える」「人の死というものは二度と会えないということであって、それ以上でもそれ以下でもない」とも書いていた。
人の死や孤独を温かく包み込むように見つめた伊集院さん。同書の最後はこう結んだ。「理不尽や不条理があって当たり前の世の中を、いつか、そうでない世界にするために、私たちは生きている」と。現代の道しるべの1人でもあったように思う。
彼が残していった名言を一つ。
「政治家とは国を平気でこわす職業なのである」。
2025年6月18日 18:12 | カテゴリー: 歩キ眼デス4
コメント
琴線に触れました。たくさん触れました。
『本当に書かれている通り…』と。
書いてくださった言葉を思い出しながら生きていきたいと思いました。
今年に入って10冊も読まれていらっしゃることにも、
びーっくりです。
ありがとうございます。
A)
そうですか、よかったです。
同世代の作家、カメラマン、作曲家が次々に亡くなっていきましたが
彼らの魂や感性は、残っているように思います。
2025年6月19日 21:23 | ゆみゆみ
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