存在感


P9035689.jpg

この給水塔を見ていたら、「存在感」という言葉が浮かんだ。すでに廃屋となってしまった屋上に、すくっと立っている。「廃屋になったけど、僕がここを守っているんだ!」と言っているかのように。

ところで、こんな給水塔、あまり見かけない。昔見た映画の田舎のワンシーンにあったような・・・。思い出した。「バクダットカフェ」。ドイツの田舎から夫婦でアメリカ旅行をして、ラスベガスから少し離れた砂漠で夫婦げんかが始まる。デブの奥さん、存在感あったなあ・・・挿入歌の「コーリング・ユー」も沁みたなあ〜。あの頃は、映画をよく観ていた・・・。


コメント

 私は斯ふ言ふ風景が好きだ。確かに存在感がある。
西日の中に蔦の絡んだ壁。意味あり氣な廢屋の上にどっしりと構へた姿が、落魄れて行く斜陽貴族の家の、昔氣質の父親の樣で有る。
 少なくとも、櫻の木を切られる音を聞きながらも、樂天的にパリの生活を笑ひ乍ら話して居るラネフスカヤ夫人には見えない。(あの木を切る音の演出は村山知義さんの演出で、ロシヤの原作には無い)

A)
散歩を始めたときには、もうここは廃屋でした。
ですから、その前のことは知りません。
いつもは壁すれすれを歩いて、ぶら下がる蔦ばかりを見ていましたが
ふと給水塔をじっくり見たのです。
ここだけが別の時間が流れているみたいです。

桜の園は、昔文学座の舞台を見たことがありますが、トンと記憶に薄いのです。
杉村春子だけは覚えていますが・・・

2014年9月 8日 18:11 | 雅蘭洞英齋居士

コメントの投稿

トラックバック

トラックバックURL: http://1c.3coco.info/mt-tb.cgi/1502