出陣学徒壮行会


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忘れていた。71年前の昨日、明治神宮外苑陸上競技場で「出陣学徒壮行会」が行われた日だった。雨のなかを水しぶきを上げて行進する学生たち。その映像を見ると、悲壮感をかき立てられ、いつも胸がつまる。

週末、偶然に見たNHKの「カラーで蘇る東京」の「戦後復興・オリンピックへ」でもその映像が流れた。そこで作家杉本苑子さんの言葉が流れ・・・胸に沁みた。


五輪開会式の興奮に埋まりながら、20年の歳月の果たした役割の重さ、不思議さを考えた。
同じ若人の祭典、同じ君が代、同じ日の丸だが、なんという意味の違いだろうか。
きょうの五輪はあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。
私はそれが恐ろしい。


杉本さんは71年前、明治神宮外苑陸上競技場で、ワアワア泣きながら隊列を乱して、出て行く学徒らの後を追っていった。「行ってらっしゃい、行ってらっしゃい」と、びしょぬれの日の丸の小旗が破けて棒だけだったのを、夢中で振り回していたそうだ。

2020年のオリンピックに向けて、神宮の森に大きな競技場が造られる。そのために「出陣学徒壮行の地」碑が一時的に移設された。昨日は元学徒や遺族らがそこに集まり、学業の志半ばで命を落とした多くの人たちを追悼した。わずか50人の出席だったという。


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コメント

 僕の先輩の多くの方もあの隊列の中に居た。僅か五十人の參加と言ふ事は、皆さん91歳を過ぎた方々なので、亡くなった方も多い。
 僕の先輩の方も去年90歳で亡くなった。彼は特攻爆撃機の操縦士だった。戰友と言ふのは生死を共にしただけあって特別な感じがあるらしく、よく集まって居た。

 星さんも言はれて居る樣に、同じ國歌でも、全く意味が違ふ。死にに行く爲に唄はれるのでは無く、共に樂しみ、意義の有る時間を共に過ごす爲に唄はれて欲しい。
 今の保守反動政府に秘密保護法の實施や第九絛の改正を絶對にさせてはならない!! 戰争を知らない政治家が危ない橋を渡って居る。軍靴の冷たい響きが聞こえて來る。

A)
戦争とは、こんなものだったのかと、気づいた時はもう遅い。
そんなことすら想像できない人たちが、挑発に乗っていく。

行きたけりゃ、あんたが行け!

巻き添えはごめんだと言っても、法の力で、殺しに、殺されにいく・・・
冗談ではない、そんな気持ちです。

初めやさしい声や誘いは、どこか怪しい。
そう、思っています。

2014年10月23日 11:15 | 雅蘭洞英齋居士

戰時中は死に行く者は大學生だけでは無かった。我々昭和の少國民も、憲兵の監視下で松根油を掘り、竹槍で鵠沼海岸から上陸して來るアメリカ兵を刺し殺す訓練をしたのである。憲兵はダミ聲を枯らし「天皇陛下の御爲に名譽の戰死を恐れるな!」と「一、二、三 やぁっー」と三歩走って行って竹槍を突き出すのである。(この所爲で天皇が大っ嫌ひに成ったのである)
 子供心に「馬鹿だなぁ。その前に鐡砲で撃たれちゃうじゃないか」と思ひ乍らも、竹槍を突き出して居た。唯、戰で死んだらどふなるのだらふ?と子供の頃から死後の世界とか生と死の問題は深く考へる癖がついてしまった。
 戰に負けてから、上陸して來るアメリカ兵が火焔放射器で何十メートル先迄焼き盡くす報道フィルムを見て「やっぱり竹槍がアメリカ兵の腹に届く前に火達磨になるじゃないか」と納得したものである。

A)
母からも竹槍の話を聞いていました。
戦後随分経っての話でしたから、母も明るく話しましたが、
なんと間抜けなことを・・・と思いました。
火焔放射器があることを知っていたら、槍を投げていたのかもしれませんね。

子ども心に強烈に覚えていたのは、
パラシュートで下りてきた米兵を人のカタチが無くなるまで、
多くの人が棒でたたき殺したという話でした。

憎しみがそうさせたとはいえ、戦争は人の心を変えてしまうのだと
恐ろしく哀しくなりました。

2014年10月26日 10:02 | 雅蘭洞英齋居士

火山噴火・地震・津波・洪水、等々自然災害だけでも相当な被害が出ている昨今、戦争の加担までして殺し合わねばならないのか。
60年日本は憲法のお蔭で殺し合う事もなくやって来れたのですから絶対現状を維持しなければだめだと思います。
戦争を知らない人の言う事を聞いていては絶対だめです。

A)
一昨日、特定秘密保護法に反対する大学生らが、渋谷でデモ行進をしました。
香港の影響を受けてなのかもしれませんが、大人しい彼らが立ち上がったことは
新しい何かがスタートするのかもしれません。
応援していきたいと思います。

2014年10月26日 21:18 | tama

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