五行歌漬け


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大黒天が祀られていた東叡山寛永寺護国院は、建立されてから400年


週末は五行歌漬けだった。一昨日は吟行歌会「谷中の七福神巡り」で、昨日は関東新年歌会。懇親会では司会と聞いていたので、これはほとんど呑めないと判断。吟行歌会後に大好きな居酒屋で痛飲。気がついたら二日酔い・・・というわけでフワフワした気分の一日を過ごした。その効果か、緊張もなく大役をなんとか果たせた。


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古いお店が突然現れて、街歩きが楽しくなる


吟行歌会は、今月の4日にロケハンをしていたので、迷路のような谷中の道をスイスイ案内できた。広い参道が延びていたり細い路地が現れたりと、谷中界隈は江戸時代から変わっていないのかもしれない。


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大きなヒマラヤ杉と小さなパン屋さん

懐かしいお菓子「シベリア」で盛り上がったり、歌を作ったり、冬の一日を楽しんだ。上位三作品は明日紹介。

コメント

 谷中と言ふと、千代紙屋の故廣瀬さんを想ひ出す。此の人との出遭ひが又、面白い。 未だ汽車の特急「つばめ」があった頃なので何十年位前に成るだらふ?未だ獨身の時だった。

 大阪からの車中で僕が「膝栗毛」の黄表紙を讀んで居たら、隣の席に居た年配の人が「黄表紙はお好きですか?」と訊いて來たので「えぇ黄表紙とか歌舞伎の本は好きですよ」と言ったら「私は谷中で千代紙屋をやって居るもんですが、江戸時代の千代紙も復活させやうと版木を彫って居ますから、今度うちへいらっしゃいな」と言ふ事で、歌舞伎やら浮世繪やら話が彈み、あっと言ふ間に東京へ着いた。

 其の後、廣瀬さんとは彼が亡くなる迄長く付き合って居たが、外國の知日派の友人が來ると、いつも廣瀬さんの工房へ行って、千代紙を摺る所を見學させて貰った。
 廣瀬さんのうちで時々千代紙や千社札の話の會が催され、其の會へ行くと、紹介の時に「長谷見さんと御一統さま」と言ふので、友人達は「御一統」と言ふ表現が「古めかしくって面白い」と言って居た。この廣瀬さんと言ふ江戸っ子も、もう居なくなってしまった。


A)
もしかしたら「いせ辰」かなと思って検索すると、そうでした。
いせ辰は、江戸時代からの老舗で初代は廣瀬辰五郎。

千葉県出身。農家出身。日本橋の団扇問屋伊勢屋惣右衛門に奉公、のち、認められのれん分けをしてもらい元治元年(1864)錦絵と団扇製作の問屋「いせ辰」を開店。明治維新の混乱の中江戸にとどまり、のれんを守る。とあります。

雅蘭洞さんがお会いした方は四代目にあたる廣瀬さんという方でしょうか。
「こだま」でもなく、特急「つばめ」ですか。
そして「黄表紙」というのも知りませんでした。調べると絵入り小説本の総称とあります。

黄表紙の筋書き自体はたわいもないような話であるが、言葉や絵の端々に仕組まれた遊びの要素を読み解くことに楽しみがあった。ふきだしの様なものが描かれるなど現代の漫画に通じる表現技法を持っていた。

人の縁とは不思議なものですね。
趣味の世界でのお付き合いが、一番長く続くような気がします。
それにしても文芸や音楽など、多芸多趣味の雅蘭洞さんは、筋金入りの酔狂な遊び人ですね。

2018年1月16日 09:19 | 雅蘭洞英齋居士

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