母の時間
ホームの自室で、母は飽きもせず、時々表情を動かしては、外の雪景色を見ている。両手は車椅子の上で重ねたままだ。このポーズをどれだけの時間を続けてきたのだろうか。
僕はというと、母が声を上げて歓迎してくれた先ほどの時間から、六十年ほどをフィードバックし、あれこれを思い出そうとしていた。
ちょうどデッサン教室で母の横顔を描く生徒のようなポジショニングに座っている。顎がちょいとしゃくり上がって、耳が大きくて、目を細めて雪景色を見つめている横顔は、なんか外国人みたいで、繕うことのない美しさがある。
ときどきこちらを向いた時にだけ、目を合わせて微笑む。
パチパチと燃える暖炉が近くにあって、薪の匂いが漂ったりすれば・・・きっと永遠のような時間が生まれるのかもしれない。
わずか前に母と不思議な会話をしていた。
誰かに会いたい
誰かに会いたい と繰り返すから
誰に会いたいの と聞けば
誰かに会いたい と言う。
いったい誰に会いたのか、それすら思い出せないのだろうか。
思い出せないから、なお寂しくなるのだろうか。
母親は長男が一番可愛いのだと友人に言われた。なら、沢山の恩返しをしなければならないのだが、出来ることといえば、こうして母のことを思ってあげるくらいだ。
雪が強くなってきた。
きれいだねえ〜と言えば やだねえ〜と言う。
きれいでしょ。 やだねえ〜。
18歳で札幌を離れた人間と、ずっと雪かきを続けてきた母とは、雪の価値観が違うのだ。
わずかな会話の中に、忘れていた時間や想いが湧きあがってきた。
四時過ぎたけれど、時間は大丈夫?
母が不意に言ったので、驚いた。
時計を見て、ちゃんと話ができるじゃない。
そうだね、明日またくるからね。
手を優しく包んで、別れた。
2018年3月 2日 15:49 | カテゴリー: 歩キ眼デス3
コメント
3年前に102歳で亡くなった母の事を思い出しながら・・・
涙があふれてきました。
暗くなる前に帰りなさいと・・・
そうしていつも「また来るね~」といって手を握って別れていたことを 思い出します。
A)
食事が摂れなくなって、今度は危ないかもしれない・・・
妹からのメールがあり、飛んでいきました。
ところが、いく少し前から食事ができるようになって
回復してきたんです。
元気な顔が見られてよかった。
ハガキをしばらく書いていなかったからかな、と反省。
想える時間をつくて貰って、母に感謝しました。
横顔を見ていると涙ぐんでしまいますね。
100歳を目指してもらいたいです〜
2018年3月 4日 14:45 | おかいこ
何と温もり溢れる時間でしょう。
会話は少なくてもお互いに通じ遇っていらっしゃる。
「傍にいてくれるだけでいい」そんな感じですね。
お母様は優しいお子様が健在でお幸せですね。
若い人の様に綺麗な手をしていらっしゃいますね。
写真見てたら無性に涙が溢れました。
私も最近良く母の事を思い出しています。
幾つになっても母は有難い存在です。
A)
ねえ、苦労をしたことのないような手です。
でも4人の子どもを育て上げたのです。
もっとゴツゴツしていた手でしたが、月日が経つに連れ
きれいにそして柔らかになっていきました。
話さなくてもいい時間というのは、とても穏やか。
笑い合うだけ・・・
たまさんがお母さんを思い出すように
僕もこの時間と母の手を思い出すのでしょうね。
2018年3月 8日 16:08 | tama
コメントの投稿