友、逝く


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蝉の声が心なしか遠ざかって、夜は虫たちの大合唱。川面をゆく風も涼しくなって、季節はグラーデーションというよりも、プツプツと切れ目を入れたかのように変わっていく。これでは過ぎていった日々を振り返るというより、次の季節のことを思ってしまう。

八月は夢花火。思わず歌いだした。上京して初めて知り合ったSが逝った。18歳のときに同室になってから半世紀の時間が流れたことになる。性格はまるで違ったけれど、心のそこから信じあえる友だった。カメラマンから訳があってテキ屋の大将になって、若い衆からも慕われて、二人の子どもに恵まれて、家族と猫を愛し、愛された。

オシャレで、シャイで、優しく、正義感が強く、最高の友人。元気な頃は、このブログにいつもコメントを入れてくれた権ちゃん。権師匠。だれからも慕われていた。体の機能が徐々に衰えていく難病を抱えて、ここ数年、辛い時間を過ごしていた。やっと楽になれたのかな。

沁みるようなことを言う友人ばかりが、なぜか先に逝く。

コメント

 お悔み申し上げます。山碧木さんは未だお若いから、亡くなった友人の數は未だ數へる程でせうが、僕なんかは、もう殆ど黄泉の住人になり、ひしひしと孤獨感に苛まれて居ます。
 お悔みを言ったり、悲しんで居ると言ふ事は未だこちら側の此の世に居るからですが、此の世に居るのは永くてせいぜい百有餘年、宇宙が生まれて百三十八年の殆どは此の世に居なかった譯ですから、貴兄も僕も直ぐに此處には居なくなる譯です。
 まぁ此の世に居て、良かったか惡かったかは別にして、どふせ生きて居る間は、何でも良かった事、樂しかった事と考へる事にすれば、居ても居なくても樂しいじゃ御座んせんか。

A)
雅蘭洞さんのおっしゃる通りです。
人生の長さなど、考えたこともなかったのに、ここに来て
そんなに残りが無いと分かってきました。
平均寿命までまだ10〜20年を残して、同い年の仲間が亡くなっていくのは寂しいものです。

生きることのすぐ隣りに、平然と哀切と慟哭が居座っている。
それが人生なのだと。
別れを繰り返すことで、きっと何かを得て、それは何かの力となって、
平気な顔で明日も笑って生きていけるのだと思います。

2019年8月30日 09:30 | 雅蘭洞英齋居士

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