75年


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終戦記念日には、新聞の投稿欄にさまざまな体験が寄せられる。鼻の奥がツンとするような投稿を見つけた。避けることも逃げることもができなかったあの時代、誰もが必死に自分を生きていたことが分かる。

「なぜおまえは一番先に自分の両親のもとに帰らなかった」と一喝した父親も正しい。もし同じ状況下にあれば、娘婿に同じように言うかもしれない。
夫の優しい一言を75年間、胸に抱き続けきた人生は素晴らしい。文体も素敵だ。


コメント

 敗戰の日に出征した人が居たなんて知りませんでした。又、其の日の夜中に歸って來たとは。
 自分の兩親より先に歸って來て呉れて、本當に幸せな方ですね。實父の方も口ではあゝ言っても嬉しかったに違ひないです。
 あの日は本當に暑い日でした。疎開先の鵠沼海岸の家の庭先に御近所の方が何人か來られて、立った儘、天皇の放送を聞きました。中學生の子供の僕には判らない言葉が有りましたが、兎に角、もう空襲が無いんだ、防空壕に驅け込まないんでいいんだ、それだけで嬉しいと思ったのに、來られた人の中には泣いて居る人も居て、何だか變な氣がしたのを覺へて居ます。
 あの日は終戰では無く、敗戰の日だと言ふ事。戰争は自然に終はるものでは無く、勝つか負けるかだ、と言ふ事を忘れると又ぞろ、再軍備をして敵の基地を先制攻撃なんと言ふ馬鹿な事を言ひ出す奴が出て來ます。

A)
お盆に、国立駅前の赤い三角駅舎で開かれている、
企画展『音筆で聞く「私の八月十五日」パネル展』を観てきました。

敗戦が決まったその日、
山田洋次監督、高倉健、やなせたかし、村山富市、林家木久扇ら著名人が、
その日をどう過ごしたか、平和へのさまざまな思いをこめて肉声で語る仕掛けのパネル展です。
当時の絵を見ながら聴いていますと、それぞれの8月15日が蘇ってきました。

次の世代に伝えていくためにさまざまな方法があると思いますが
とてもユニークで分かりやすい企画だと思いました。

6日、9日、幸せに油断していた時間に、全てが終わった・・・
そんなことがない未来であってほしいと思います。

2020年8月20日 11:22 | 雅蘭洞英齋居士

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