紫さん


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紫のクサコならリンドウだろうか



早いなあ、もう四年も経ったんだ。四年前の今日、五行歌の友人、紫草子さんが亡くなられた。いつも明るく元気な人で、圧倒されっぱなしだった。二人して漫才をして遊んだこともあった。

「私も山に連れてってよ〜」
「いいよ、リュックに入れて連れていく」
「どこの山へ行くの〜?」
「姥捨て山〜!」

 チャンチャン。

ご自分の名前、草子を「くさこ」と言っていたのを思いだす。有言実行と言うのだろうか。クサコは九三子。九月三日を命日にしてしまった。これなら誰も忘れることはできない。なら九月三日を「むらさ忌」としようか。
そちらでも歌を楽しんでますか。


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漫才の練習をしたり〜♬


コメント

 漫才の相方はお幾つで亡くなったのですか?
生きて居られれば、良い漫才で樂しませて頂け、狂歌、川柳の
お仲間に入られて居られたでせうに。貴兄の「むらさ忌」も傑作です。
 貴兄のお仲間は未だ皆さんお若いので、餘り亡くなって居られないでせうが、僕の歳になると、一年に立て續けに何人も亡くなる事があります。白樂天の詩の樣に、「昔一緒に遊んだ友人は、雫の落ちるやうにぽとぽとと、亡くなり、半分以上はあの世に逝ってしまひ」ました。生きて居る内に悔ひのないやうに樂しみませう。

A)
紫さんがお元気であれば、雅蘭洞さんと同い年だと思います。
鹿児島生まれの薩摩おごじょですから
竹を割ったような人柄で、誰からも愛されておりました。
いつもお元気で、回りをあっという間に場を明るくさせてくれました。

エッセイや小説も残していますから、雅蘭洞さんとも話があったと思います。
元気な先輩たちを目標に、楽しい人生を歩んでいきたいですね。

2020年9月 4日 11:17 | 雅蘭洞英齋居士

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