神田川


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アササンのコースに、この碑が立っていたのを知らなかった。「神田川」。昭和の名曲の一つだ。いまの若い人にこの切なく哀しい歌詞のイメージは伝わるだろうか。

一緒に出ようと約束したら、待たされるのは男ではないのか?と思うのだが、待っているのは女。待たせてはいけないという女心か。赤い手拭をマフラーに、そして石鹸がカタカタ鳴る、なんとも昭和の貧しかった時代を歌っている。

この碑の近くには、たしか銭湯があった。友人Sが古びたアパートの二階に住んでいて、その銭湯に一緒に行ったことを思いだした。

若かったあの頃、恥ずかしいことや間違いばかりを繰り返して生きていた。そんなことを想起させる歌詞が刻まれていた。


コメント

 神田川は僕も好きな日本の歌の一つです。僕達東京生まれは
學校も會社も家から通って居たので、下宿の經驗は無いのだが、下宿の獨り暮らしは何となく羨ましく思って居たし、この歌の持つ青春の香りは感じる事が出來た。

 そこには甘酸っぱく儚いやうな、然し夢に溢れて居た青春の貴重な想ひ出が、下宿經驗の有無に關係無く感じられた。
 「今の若い人に解るかなぁ」と言ふ事は、今の人は下宿をしても、機械文明に圍まれ過ぎて、情緒生活に乏しく成ってしまった、と言ふ意味かな? 確かに最近は「歌」らしい歌は皆無に成ってしまった。跳んだり跳ねたり、手足を伸ばしたり縮めたり、歌と言ふより輕業に近い。我々にとっては歌と言へば、「神田川」とか「ごめんね」「五番街のマリーへ」とか、もう少し古いところでは「早春譜」「朧月夜」。歌ふ姿勢も東海林太郎見たいに直立不動でなくても、せめてゆらゆらピョンピョンしないで静かに唄って貰ひ度い。

A)
そですね、あのピョンピョンは歌を軽んじていますね。
ヘタだから、動いて誤摩化そうとしているように思えてなりません。

東海林太郎は無理ですが、前川清くらいなら似せて歌えますよ。

そうです、便利は、切なさを消してしまいました。
駅の伝言板なんか、待つ刹那さやすれ違う悲しさみたいなものが書かれていました。
ケイタイがない頃、ドキドキ、ズキズキしていたものです。

若い頃、神田川の友人アパートに6人くらい集まって、よく麻雀をしていました。
余った二人は、風呂に行ったり、食堂で飯を食ったり、公園で歌ったり・・・
時間が沢山あったんですねえ。。

2020年9月 9日 18:26 | 雅蘭洞英齋居士

私も学生時代、この神田川隣のAPに住んでいました。今はマンションに変わったようです。月日の経過は、早いです。歌は聞くだけですが、「神田川」懐かしいです。いつも一人でお風呂に行っていましたが、たまには女性同士で行きました。大好きな人と別れたのもこの頃だったかな?会いたいです。今でも会いたい!と思います。

A)
東中野は、学生の多い街でした。
銭湯もあの頃は、若い人がけっこう多くて、女性は洗髪代を取られた時代。
長髪の男子達はタダでいいのか〜!と話題になったことがありました。

中村雅俊のドラマもこの頃。
男は皆、長髪でした。。

懐かしいね。


2020年9月 9日 22:58 | 田舎者

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