命日


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こんな川を見るとRさんを思い出してしまう


一昨日は歌友のRさんの命日だった。ちょうど一年前、Rさんが亡くなったと連絡が入った。突然死と聞き、まさか・・・と思った。一ヵ月ほど前に四谷駅で彼と偶然会ってあれこれと話をしていたからだ。少し疲れているようにも見えたが、いつもと変わらぬ様子で、ちょっと哀しみを秘めたような笑顔を投げかけられ、そして別れた。

彼とはあちこちの旅先の歌会会場で話をした。盛岡、気仙沼、仙台、福岡、松山、熊本・・鉄ちゃんの彼は、思いがけないコースを何時間も乗り継いでやってきた。訳ありの人生を歩いていることはうっすら知っていたが、何も聞かなかった。

ロマンチストで寂しがりやで(たぶん)おせっかいで、ちょっとわがままで、弱き者には優しくて、それでいてポツンと離れていることが好きだった(と思っている)。

手帳のカレンダーには亡くなった友人らの命日を記している。その日の朝に手を合わせれば、今なお明るい声で話しかけてくる。
誰もがまだ、そこにいるかのように。



コメント

 友人が亡くなるのは本當に淋しい事です。貴兄は未だお若いから左程多くの友人は亡くなって居られないと思ひますが、僕の齡に成ると半分くらい、いや2/3位は居なく成ってしまひました。若くして自ら死を選んだ者、眠る樣に大往生した者、テニスでサーブをして、其の瞬間にあの世に逝った者、死に方も色々ですが、皆、僕の心の中では未だ生きて居ます。彼等の仕草、笑ひ方や話方の癖も其の儘、話聲もはっきり聞こえます。
 僕が死んだ時に、完全に僕と一緒に死ぬのです。

A)
そうだと思います。
こんな歌つくっていました。

思い浮かべるだけで
誰もが
決め台詞を
浴びせてくる
もう逝っちゃってるのに

心の中でみんな元気にいるのが不思議でなりません。
いい人ばかりだったからでしょうね。

僕が死んだ時に、完全に僕と一緒に死ぬのです。

そうだと思います。

2021年2月10日 06:03 | 雅蘭洞英齋居士

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