22世紀
朝、駅のホームに立っていたら、園児たちが並んでこちらを見ていた。二才くらいの子たちだろうか。数えると八人、みんな金網をがっしと両手でつかんで、走りゆく電車を真剣な眼差しで見ている。特急、特快、鈍行、通り過ぎるたびに喜んでいる。いいなあ、なんでも新鮮に映るんだろうなあ。
そうか、この中の数人は22世紀の扉を開けるのかもしれない。22世紀。
さて、君たちを待つ22世紀は来るのだろうかと、不意に暗い気持ちになった。
2021年3月 5日 15:39 | カテゴリー: 歩キ眼デス3
「歩キ眼デス」。これはいったいなんであるか!?
WalkingとWatchingを合わせた造語なんです。もう20年続けているWalking。
歩きながらの「見た・思った・考えた」を書き記していきます( ^~^ )/
アルキメデスの原理よろしく、ソコに身をおいて、どれだけの発見が溢れてくるか楽しみです。(^ ^♪
Profile 五行 はこべば
コメント
2歳くらいだとマスクはしてましたか?
当たり前に顔を覆う生活が、身体的にも内面的にも
人間にどんな影響を及ぼしていくんでしょうね。
変化に慣れていくのもまた人間なんでしょうが。
A)
マスクはしていませんでした。
人と会う機会が少なくなって、会うとしてもマスク着で
化粧品会社の売上がガタ落ちしているそうです。
さまざまな災難をともなって、新しい暮らしとやらはどこへ。
オンラインのいい影響は、環境への負荷が下がっていること!?
2021年3月 6日 01:14 | QUICO
山碧木さんは22世紀の存續を危惧されて居られるやうですが、同感です。今の地球人は島國根性と言うか、小さな國家意識が強すぎます。人類皆が地球人意識を持たなければ、バルタン星人等に攻めて來られたら、一擧に滅ぼされてしまひます。
小さな國では無く、地球全體を一つの共通の祖國とする地球人意識を、小さな頃から教育しなければいけません。
オリムピックは國家意識を植え付ける最惡の行事です。
國別の對抗意識を無くす爲、國旗掲揚は止めて、個人の成績で競ふべきです。今やオリムピックはスポーツマフィアに依る利權の取り合ひと化して、運動選手を山車にした金儲けの手段に堕落して居ます。何にもしないで數百億圓も儲かるIOCは何としてでも無觀客でもコロナ塗れの「東京オリムピック」を開催したがって居ます。
もっと原點に戻って地球人の體力の限界を競ひ合ふ本來の地球人のスポーツの祭典に戻せなければ22世紀は迎へられません。
A)
大賛成です。
国よりも個人の栄誉を称えるべきですね。
応援するのであれば、国ではなく個人を、だと思います。
もしそんなオリンピックになったら、素晴らしいことが
多く生まれそうな気がします。
キコさんのコメントにも返しましたが
コロナのいい影響は、経済の鈍化による環境負荷への低減です。
こんなことで、喜んではいけないのですが・・・・
2021年3月 7日 09:37 | 雅蘭洞英齋居士
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