水無月


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ひょいと潜ると・・・


昨日、空梅雨と書いてからふと思った。六月は旧暦でいう水無月。雨の季節になぜ、こんな名前なのか。不思議に思って調べたら「無」は「の」と読む助詞の役割とある。つまり「水の月」。なるほど・・・単純に納得。とすると、神無月も同様に「神の月」か。

雨の音を聴きながら楽しむものに、もの想い、読書、お茶と水羊羹、菖蒲園の散歩、そして旅の計画などがある。

嫌いだった梅雨の季節が、心を落ち着かせるものなのだと感じるようになったのは、時間が作ってくれた余裕なのだろう。雨が降りはじめると、窓を少し開けて、雨音を楽しんでいる。


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心配して親を捜すカイツブリの雛三羽

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天敵に襲われずに成長できるのは僅かだ

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カワウは襲わないのだろうか!?


コメント

 「水無月」の「無」は「の」と言ふ助詞だったのですか。一つ勉強させて頂きました。「神無月」が「神の月」と言ふ事は神様は多勢、出雲に集まる「神の月」と言ふ事だったのですね。今迄は逆に神様が皆出雲に集まって神が居なくなるから神無し月、と言ふと聞いて居ました。
 所で其の後、カイツブリの三羽の子供達はどふ成りましたか?お母さんは何處?

A)
そうなんです。
神無し月の解釈の方がロマンがあって、良いのかもしれません。

カイツブリの母親はしばらくしてか浮かび上がり
ヒナ鳥にとったエサを与えました。
三羽もいると、どうやって均等に与えているのかと
心配をしましたが、ちゃんと分かるんでしょうね。


2021年6月 4日 09:42 | 雅蘭洞英齋居士

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