板橋宿


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週末は、吟行歌会。桜の散るなか、京都へと続く中山道へ、日本橋から数えて一番目の宿となる「板橋宿」界隈を散策した。案内は、いつものように歴史・演芸ライターの山口師匠だ。

板橋宿は、上宿、仲宿、平尾宿の三つ宿の総称で、それぞれの宿には名主がおかれ、旅籠(宿屋)は約50軒、2500人の人たちが暮らしていた。

宿泊客は旅人だけではなく、旅人の見送り人や飯盛女(宿場女郎)目当ての客もいたそうで、おおいに繁栄したらしい。しかし明治に入ると中山道の役割も薄れ、宿も次第に寂びれていき、板橋遊郭として賑わいを変えた。

いま、仲宿のメインストリートは賑やかな商店街となり、多くの人で活気づいている。宿といえば飯。タイムスリップしたかのように、何軒もの米屋とその倉がそのまま残っていたのが印象的だった。


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縁切榎
縁を切りたい人が通ったと云う名所で、榎に触ったり、樹皮を煎じて呑むと願いが叶うと云われた。現在の榎は、三代目。今もその信仰は活きているらしく、願いが書かれた多くの絵馬がぶら下がっていた。


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榎の樹皮を剥がされないようにと竹で防御

板橋宿の旅籠で働く飯盛女と呼ばれた人たちを想って、こんな歌を詠んだ。

飯盛女
この逞しき呼び名よ
飯も
女も
山盛りにして


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板橋と云う橋があるとは知らなかった

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コメント

私が大学1年生の時に住んでいた所。
懐かしい中山道です。

A)
そうですか、板橋に〜
いいところですね、元気のある街でした。

2022年4月11日 20:46 | たみ

竹を巻いて防御なんて、とても思いつきません。
感動してしまいます^ ^

A)
江戸の頃は、随分と剥がされていたようです。
三代目も厳重に囲いをされていましたが、剥がす人はいるのでしょうか。

おかしいいですよね。

2022年4月13日 16:26 | ゆみゆみ

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