原っぱ
原っぱがなくてもアスファルトの隙間から咲いちゃうよ〜
私たちの日常には、ささやかかな出来事が繰り返されている。気に留めていたらきりがないので、見過ごしていく。例えば散歩の途中に出くわす空き地。ここにどんな家があったのだろうと、周辺の家並みから思い起こそうとするが、すぐにイメージできない。見ていたはずだが記憶されていなかったことに気づく。そうこうしているうちに新しい家が建ち始まると、記憶からすっかり消えてしまう。
散歩の面白いところは、思考も歩き出すことだ。目にする風景から連鎖して思いがけないことを考えていることがある。新しい疑問を見つけて、その答を探そうとしたり、ずいぶん昔の何故が、ふと解決したり。あの原っぱで草と草を結んで、転ばせて泣かせた女の子。あの子は誰の妹だったのだろうとか、原っぱという言葉もやがて埋め立てられるのだろうかとか・・・。
2012年7月13日 11:31 | カテゴリー: 歩キ眼デス
コメント
「原っぱ」と言ふ言葉には懐かしい響きが有りますね。
昭和の初め頃を思ひ出します。
小生は下町浅草の仕舞た屋生まれなので、原っぱには無縁でしたが「ノテ(山の手)」の友達の家に遊びに行くと、例えば三軒茶屋の友人の家なんかは、周りが田圃や原っぱに圍まれて居て「エビガニ釣り」やフットボール等をして遊んだものです。
もう七十年以上前の東京市の郊外の風景が渺茫と浮かんで來ます。
A)
山の手を「ノテ」と言うのですか!
知りませんでした。なんか江戸っこの表現です(^^ゞ
それに、フットボールも、カッコイイ〜
昔はどこの地域にもあって、「原っぱに行ってくる」と言えば
親は安心していました。
喧嘩でケガするくらいで、事件なんか起きない安全な時代でしたね。
70年前ですか・・・・・(^^;
2012年7月14日 07:53 | 雅蘭洞英齋居士
散歩の面白いところは、思考も歩き出すところだ。目にする風景から連鎖しておもいがけないことを考えている時がある。
に、共感しました。思考が歩き出すね!なるほど。
上手く言葉に現されたと思いました。こういう時に、いい案も浮かびますね。
原っぱでトカゲの尻尾を切った男の子はどうしてるんだろ。
A)
歩いていると脳が活性化するんじゃないでしょうか。
自分のしでかした記憶に驚くことがあります。
それは次々に〜〜笑っちゃいます(^^;
その少年は、シッポきりなんかしない
責任感のある大人になっている!
と思う(^^ゞ
2012年7月14日 12:28 | かに
風景からの連鎖・・・・・
そうですね。風景・花木・草花などを見ていると過去の色々な事が思い出されて来ます。
懐かしい人の顔や言葉・・・未来の事などに思いが馳せます。
この花の様にみんな居場所を探しながら懸命に生きようとしているのではないでしょうかね(゜゜)
A)
人の世に疲れたら、自然の中を歩く。
答ばかり探していたら、人生はつまらない。
振り返って、未来に馳せる。良いですね〜〜
余裕も持てそうです(*^-^*)
この花「夕化粧」、好きな花です。
2012年7月15日 17:27 | tama
原っぱ、沢山ありましたね〜むかし・・・
今は周りにはありません。
月見草も沢山咲いていたあの頃が懐かしいですね(*^_^*)
A)
「原っぱ」はもうすぐ、死語になるかも。
都市にあるのは「空き地」。
男の子は花を見る余裕なんかなくて、走り回っていました。
きっと花なんて踏みつけて〜 (^^;)
2012年7月15日 22:36 | 撫子
久しぶりにキーボード触ってま〜す!
首を痛め下を向けず、PCはマウスを触るのが精一杯・・・もう十日ぐらいになります・・・時同じく、相撲が始まりましたが旭天鵬にまだ初日が出ず・・・いやぁ〜、でもこれで明日あたりはいけるぞ旭天鵬!!!
子猫達は順調に育っていますがこんな訳でほとんど世話出来ず・・・どうも外猫で飼うことになりそうな?雰囲気です!
首を痛めた原因は不明・・・そんな今日この頃です。
あっ、そうだ・・・ユウゲショウであるが、なぜ『アカバナユウゲショウ』と言うのか、アカバナがあるのならシロバナもあるのか?・・・と、以前調べた事があった・・・結果は・・・オシロイバナの和名がユウゲショウなので、区別をするために『アカバナ』を付ける・・・という事でした。
A)
おうおう!久しぶりジャノ〜(広島弁)
なんだ、首が回らなくなっているのか!?(^_-)
いずれにしても、無理はいかん。
空を見てもいかん。
我慢しよう。
夕化粧の話ありがとう。
そうなんだけど、本家をこっちにしてもらいたいなと〜
だってあっちはいろんな色(マダラまで)があるんだから、改名してほしい!
と思っている。
2012年7月17日 03:52 | 権之助
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