銀の穂


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秋の陽と風を受けて、ススキの穂が銀色に光っている。秋をしみじみ感じさせてくれるススキだが、アメリカではこのススキが侵略的外来種として嫌われている。日本にやって来たあのセイタカアワダチソウのように。ところ変わればである。このススキ、穂が飛んでいくと、野もいよいよ冬支度だ。



コメント

へェ~そうなんですか?
他国では 嫌われ者なのでしたか?
箱根仙石原のすすきの景色が大好きです!

午前中は 冬支度・・・?
障子の張り替えをしました。
暖かい内にと。

A)
ススキは北米では、嫌われ者らしいです。

障子の張り替えで、きっと室内も明るくなったんでしょうね。
小さい頃、お湯で始めてもいつの間にか水になり
冷たい思いをしながら紙を剥がしていました。

おかいこさんは、四季の移ろいを楽しんでいますね (^^ゞ

2012年11月 9日 14:04 | おかいこさん

 ススキの穂は敗色濃くなった戰の末期に、何處に使ふのか知らないが、アメリカへ飛ばす風船爆彈の原料になる、と言ふので藤澤の小學校へ疎開して居た僕達は採集に狩り出された。

 子供心にも「こりゃもう負けだ」と思った。燈火管制で黒い幕で電燈を隠すのにうんざりして居たので、兎に角、早く負けた方が良いと思って居た。「天皇」と言ふ言葉を聞く度に直立不動の姿勢を取らされて、何て馬鹿化た事をするんだらふと思って居た。幼稚舎に居た時は敎室に天皇・皇后の寫眞なんか飾って居なかったので、藤澤の小學校の敎室に二人の寫眞が飾って有った時「何だこりゃ、大變なとこに來ちゃったなぁ」と思ったもんで有る。

A)
ススキから、こんなお話が聞けるなんて楽しいです。
風船爆弾・・・と聞くと、風船に乗って飛び立ったおじさんを思い出しました。
どこへ行ったんでしょう。

直立不動の姿勢というと「オソレオオクモ〜」ですね。
嫌なことをさせられたものですね。

我が家では、厳格な親父が天皇のような存在でしたが・・・(+_+)

2012年11月 9日 18:53 | 雅蘭洞英齋居士

銀色に輝くススキの写真綺麗ですね、
ススキは枯れてからでも重宝がられます。

刈り取られたススキは萱として合掌作りの屋根に葺きかえられもします。
戦時中は田舎では木炭の供出が割り当てられておりましたから、
萱を刈って来ては水に浸けておいて、母は炭俵をせっせっと編んでいました。
ですから母の手は何時も赤切れで哀れでした。
お米は作っていてもほとんど没収され代わりに外米が配られました。
一番嫌な事でした。

憲法9条は絶対守らなければならないと思っています。
戦争のない国を応援して行きたいです。

A)
ススキから、お母さんの手の赤切れを思い出へ・・・
辛い時代のお話ですが
昔は、自然と共に暮らしがあったかということですね。

「母の好きな花」と歌に詠まれることはあっても
お母さんの赤切れにつながる歌は、知りません。
いつか五行歌にされたらいかがでしょうか。

いやな思い出を二度と繰り返したくない。
みんな思いは同じですね。

2012年11月11日 13:48 | tama

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