箱根旧街道


PC020121.jpg

「1680年、江戸幕府は箱根旧街道に石を敷き、舗装をした」とこの石畳の道に標識が立っていた。ここは「箱根八里」と呼ばた東海道の小田原宿から三島宿までの32キロの途中にある。以前、箱根湯本駅から元箱根まで、この道を通ってハイキングしたことがある。途中いくつかの石畳を通り、畑宿本陣跡や甘酒茶屋などで休憩をとって、江戸時代の空気を味わいながら歩いた。薄暗い石畳を歩いていると、いまにも飛脚が駆け抜けていくのではないかと思うことがあった。箱根旧街道。名前もなかなか良い。

華やかな大輪の花が、ポツンと散った。中村勘九郎、57才。好い男だった。
合掌。


コメント

今朝一番のニュースで知って、大ショック!
なんとなく予感はあったけど、
近年の著名人の訃報の中でいちばん堪えましたね・・・。
9月の平成中村座がよみがえります・・・ね、権先生。
ご冥福をお祈りします。

さて、箱根。
十七代目勘三郎丈といえば「箱根霊験誓仇討」。
十八代目のそれを、私はついに見られませんでした。

A)
いや〜、男が見ても良い男だった・・・
若い頃頃から、艶のある声と色気のある所作、存在そのものがすでに舞台役者。
年を重ねる度に、オヤジさんに似てきたなあ〜と思ったし
良い女と浮き名を流しても、温かく見守れるような特別の存在だった。
植木等が逝った時のような寂しさ・・・・(T_T)

今日の講談の枕に、話が出そうね〜〜

2012年12月 5日 13:01 |

箱根八里・・・この石畳もその中ですか。
綺麗な石畳ですね。雨や雪の日は滑る事もあるでしょうね。

名役者中村勘三郎さん大フアンでした。朝のニュースで知り悲しい日でした。
大河ドラマに出られたときも日曜日が楽しみで、再放送と二回ずつ見ていました。
せめて後10年・20年素晴らしい舞台を見せて欲しかったです。
余りにも早すぎたですね^^;

A)
まったく、残念です。
葬儀には多くのファンが押しかけてくるのではないでしょうか。
円熟していく演技を見たかったです。

もったいないですね。(T_T)

2012年12月 5日 16:18 | tama

勘三郎が逝ってしまった。

このところ毎日の様に嫌な夢を見るので、早朝のニュース速報のテロップが夢なのか現実なのかわからなかった。
今まで行かなかった中村座に、(勘三郎が呼んでいたのか)今回は六度ほど行った。
最後は本人がライフワークだと言っていた『髪結新三』だった。初演の『め組の喧嘩』は、もっと元気になった時、孫の七緒八との共演を見ようと今回はパスした。
すまん、涙が止まらない。

A)
やはり泣いていたか・・・。
男を泣かすんだからなあ〜

今朝も歩きながら、ずっと彼の所作や話し振りを思い出していた。
あんな良い男、もうしばらくは出てこない。
存在自体が、国宝だった。

しばらくは、泣いていよう。

2012年12月 5日 19:16 | 権之助

コメントの投稿

トラックバック

トラックバックURL: http://1c.3coco.info/mt-tb.cgi/1049